乗せてもらっている車の助手席で寝るかどうかは、運転者との関係性よりも世界との関係性を表しているような気がする
つまり
世界は優しい、と考えているかどうか
助手席で躊躇なく眠ることができる人は
自分が傷つけられる可能性がある、とか
相手に嫌われるかも、とか
そんな事を考えていないのだと思う
自分の欲求にも素直だから
その点でも健全そう
そんなことを考えたのは
前日ほぼ徹夜だったけれど
友達が運転してくれているのに
自分が寝るわけにいかなかったから
ひたすら耐えた
という話を知り合いから聞いたからで
今の私だったら考える間も無く眠り
起きてから「あ!ごめん寝てたー!お疲れさまー!ありがとねー!」でスッキリ!
だけれど
以前の私だったら、非常識、あるいは身勝手な奴と思われるのが嫌さに同じように必死で耐え、
初めのうちは罪悪感から、運転者にどうでもいい事を話しかけたり世話を焼いたりし、そのうち不機嫌になって黙り込み
なんなら、何度も「寝てていいよ!」と勧めない運転者の事を軽く恨んだりするかもしれない(←完全な逆恨み)と思った
助手席に乗っているだけで
「座っているだけなのだから、これ以上楽をしてはいけない」と考えている時点で
どんだけ
「役に立たなければ居場所がない」と怖れていたのだか!って感じですよね?
「彼が運転してくれているのなら
疲れていても助手席で寝てしまうのはNG」なーんていうアドバイスが未だにありそうだけれど
友達だろうが、パートナーだろうが
助手席で寝られたくらいで臍を曲げるようなら
逆に
「くっそー!働いてもいねーくせに寝やがって!」と思っているって事で
つまりは運転者自身も
「役に立たなければ居場所がない」
「世界は優しくない」
という前提を持っているわけよね
うん
そんなケ◯の穴の小さい人とは
早めに別れよっか!
横浜駅から15分 石川町
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