「普通」ほど多岐にわたる概念って
他には見当たらないかもしれないってくらい
実はバリエーションに富んでいる



私は日本が大好きだけれど
それでも時々
みんなが
普通でいようとするあまりに
すごく苦しんでいる様子が辛くなる


普通なんて何処にもない、ということに
気付くことは結構難しいのかもしれない


集団生活な中では
多数決や、声の大きい人の意見や、前例や、無難な線で物事が進んでいくことに慣れてしまっているせいなのかもしれない


だから個人的な人間関係になると
途端に関係がギクシャクする



共通の目的がなく、調停する先生もいない場面で
2人以上の人間が
それぞれの普通を持ち寄った時どうすれば良いか
学校でもほとんど習った覚えがない



自分とは対立する立場の弁護をするディベートの練習もしなかったし
友人間で意見が割れた場合には
常に「相手の身になって考えなさい」と
一方が我慢する結末を推奨された



世の中には色々な人がいるんだよ
と教える時
教師は暗に世の中には弱者と強者がいる
とイメージしていたような気がする



平均から離れていることは
怖れられるか貶められるかで
面白がられるよりは煙たがられる


実際は
普通の家庭なんてないし
普通の人も
普通の収入も学歴も身長も体重も結婚時期も無い



それなのに
多くの人が普通の幸せを欲しがって
どこかにあるはずだと信じて疲れ果てている



幸せを感じるバリエーションの数だけ
普通の幸せは存在する



妻の普通と夫の普通と子供の普通は
全部違う
夫婦でも親子でも違う
自分自身の中ですら
いつもいつも同じではない


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それぞれの普通をどう扱うかは
本当はかなりデリケートな問題なのだ
いつも多数決や圧力で決めていると
押し切られた側の中には
押し切られた数だけ不満がたまる


少しずつ心を削り取る
とてもとても危険な不満が



日本人は優しいくせに
普通ではないものには
驚くほど不寛容だから
社会でも不満は溜まり続ける



普通なんて何処にもない
自分が普通だと考えているものの中身が
近くにいる人とどれくらい違うか



普通は
そんなこと改めて話さないかもしれないけれど


本当はこれ以上に確認しなくてはならないことって、滅多にないほど大切なことじゃないかと思う

     


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