本当の自分をあまりにも一生懸命に探そうとすると

かえってわからなくなる理由は

 

 

カントのいう「物自体」と同じで

事物の本当の姿を我々人間は決して認識することが出来ないからだと思う。

 

 

物自体(変な日本語だけれど、英語のTHINGS IN ITSELFだとなんとなくニュアンスがわかる気がする)

とは、偏見とか先入観とか、好き嫌いとかを一切排除した、物そのものの姿

 

 

私たちが事物を認識する時は必ず

「田中さんは優しい人だね」

「田中さんは優柔不断だよ」

「田中さんは怒りっぽいんだね」

というように、自分自身の知覚や経験から田中さん像をキャッチする

 

 

10人いれば、10通りの田中さん像があるし

1人の中でも「初めは怖い人だと思っていたけど、案外かわいい人だった」と印象が変わることもある

 

 

10人いれば、10通りの見方があるわけで

だから、私たちが見ている世界は自分の脳内現象である、って言われるんだよね。

それぞれの人が、それぞれ持っている前提を使って認識している世界だから「脳内現象」。

 

 

それぞれが見ている世界は、それぞれが見たいように見ている脳内現象

そこで、カントはみんなが認識している田中さんとは別に、

「我々の知覚とは独立した田中さん自体が存在する」と言ったわけ

 

 

でもさ、

田中さん本人も、自分には色々な面がある、と考えているよね?

TPOで振る舞い方も違うだろうし、成長するにつれて考え方も変わったりする

しかも、他人から「田中さんって怒りっぽいよね?」と指摘されて

「ええええー?私怒りっぽい人間だったの!?」なんて再認識することもある。

 

 

田中さん本人も、

自分自身を、過去の経験や、持っている前提や好き嫌いを基に見ているから

「知覚とは独立した本当の自分」というのは、認識できないの

 

 

自分自身も、自分流に知覚した脳内現象だから

 

 

優しいっていう基準なんてすごく曖昧なものだし

怒りっぽいというのも、どの程度で怒りっぽいと感じるかは人それぞれだもんね

 

 

それなのに、時間とエネルギーを使って

「本当の自分」というのを見つけようとすればするほど

認識できない、というカントもぶつかった壁にぶつかっちゃうんだよね

 

 

本当の自分を知覚しようとした時点で

自分流に解釈した自分という脳内現象しか認識できないから

 

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だからいっそのこと

本当の自分を見つけたいのだったら

 

まずは、自分のことも世界のことも見たいように見ちゃえばいい。

というより、それ以外に方法はないから

 

 

見たいように見ちゃえばいい

だって、脳内現象だから、見た通りのものになるのだから

という事を忘れずに

 

 

自分は完全ではないけれど完ぺきな存在だ

という事を疑わないで

 

 

自分を認識する時には

掃除が苦手だけど、かわいい

持つのが嫌いだけど、かわいい

ずっと寝ていたいけど、かわいい

と、語尾に気分が良くなるワードをつける

 

ワードは

愛される

大事にされる

幸せになる

など、お好きなものを

 

 

とてもじゃないけど

可愛い、愛される、大事にされる、と思えない原因は

「愛されなかった、大事にされなかった」経験から学んじゃった勘違いだから

 

今まで身に着けてきた余分なもの、要らないものはどんどん捨てていって

「残したい自分」だけ残していけばいいよ

 

 

しばらく辛抱強く続けたら

今いる場所で、必ず見たい風景が見られるようになるからね