オバはんはお節介焼きだ
結婚してしばらく経った35、6?才くらいの頃
大学のゼミの教授(男性)に
「中年の女性って、どうして何かを
ちょっと聞くと、モーレツに世話しようとしてくれるの?」
と聞かれた
育児休暇中に
子育ての喜びと、社会から隔絶する不安の両方で揺れていた私は、オバはんの気持ちが手に取るようにわかった
「家庭外から必要とされる自分にコーフンするんじゃないっすかね」
人間とは悲しい生き物である
あなたしかいません!
と無垢な目で見つめつつ、一心不乱に乳を飲む我が子に、これ以上ない愛情と満足を感じながらも
「ママの生活はどーですかー?」
で、始まる独身の同僚からのメールに
しばらくハイヒールを履いていない自分を勝手に卑下してザワザワする
仕事している時は
子どもたちのムチムチした手が恋しいくせに
毎日ムチムチの相手をしていると
職場に逃げたくなる
奥様を亡くされたシングルファーザーが
子育てのために自宅で働ける仕事に変えたものの
収入が不安定だった当初は特に
育休中に社会から隔絶されて不安を感じる女性たちの気持ちがわかった、と言っていた
その気持ちがわかる男性は
どうして中年女性は…
という質問はしないかも知れないな
と思った
伴侶
家
子ども
人間関係
仕事
収入
学歴
肩書き
どれも自分の属性だし
でも
どれも
1つだけでは決定的に自分を満たし
表してくれるものではない
それでも
取捨選択しながら
1つ1つ手に入れる事が生きることで
1つ1つ手を離れていくことも人生なら
幸せ、とは
何を手に入れても
満足な状態ってこないのかも知れないと
心の底ではわかっていても
いつまで経っても
手に入らなかったものに
うっすらとした憧れと
自分に対する不満を抱いていたとしても
一瞬でも満足している状態を味わったら
幸せだ
と決めてしまうことなのかも知れないな