アメリカの調査で
成功した人の子ども時代を調べたところ
教育などの環境要因を抜いて
親に反抗的だった
という特徴があることがわかった、という





えんがわ日記というタイトル通り
ほっこりな中にも
丁寧に暮らしながら真摯にご自分にもご家族にも向き合っていらっしゃる
母さんさんのブログに
「親を裏切ってなんぼ」
と、あったのを見て
思い出しました





親を超える
というのは子どもにとって
大きな通過儀礼



超えるっていうのは
年収や肩書きで上回る、のではなくて
親が創り上げた保護の世界の囲いを乗り越えて
外に出ることなのだと思う




そして今度は
育ってきた世界との間に
健全な交流を保てる境界線を引いて
自分の世界を創り
その中で自分の家族を育む



親を裏切る勇気を持てないと
自律した大人としての人生を歩むのが
とてもとても難しくなる




仕事も
人間関係も
もちろん恋愛も子育ても上手くいかないし
心身の健康も損ないやすい






毛利子来先生の本で知った
カーリル・ギブランの詩を
自分が親になってから
心の中で
おそらく千回以上は反芻している


特にこの部分

『子どもは明日の家に生きている。

  あなたはそれを訪ねることも、夢見ることもできない。

 (中略) 


  あなたは弓である。

  そしてあなたの子どもは

  生きた矢としてあなたの手から放たれる。

  

  弓ひくあなたの手にこそ喜びあれと』




長女が生まれたばかりの時に知って
初めての子どもだったから
親ってそんな覚悟がいるのか!と
淋しい気持ちになった



でも
それからずっと
弓ひく手にこそ喜びがあることを前提に
少しずつでも覚悟を固めようと
折にふれて肝に銘じている





歌手のオーディション番組で
「母を喜ばせたいから頑張ります!」
と抱負を語る青年のコメントを小耳に挟み
反射的に


娘に向かって
「君たちは絶対に母を喜ばせるために何かするのはやめなさいよ!」とウザい釘を刺してしまうくらい肝に銘じている



ウザい
ものすごくウザい



なんだか
子離れ出来そうもない自分の努力義務を
子どもたちに強制しているような気がするのは
やっぱり
まだ潔く弓を解き放つ覚悟が出来ていない
鼻くそみたいに未熟な親だからだと思います