医学部に通っているお嬢ちゃんが
「哲学科の奴らは働けよ!」と言っていてワロタ



私も1日の大半をじっとして過ごしているけれど
お嬢ちゃん、考えてる時間も我々は労働時間にカウントしてるのよ



ところで
偶然に
面白い文章を2つ発見しました



元は英語で、調べてみたけれど出典が不明なので書いた方のオリジナルなのかもしれませんが



意味としては
正解を探そうとするな
選んだ道を正解にしろ



もう一つはね
愛情をかけたものが
愛しいものになる



別々なことについて書かれた
全く関連のない文章なのだけれど
言っていることは同じ



後になってみないと
それが正しかったかどうかなんてわからない



同時に2つの人生を歩めるわけじゃないから
あの時あっちを選んでいれば…なんて
いくら考えたって意味はない



産院の取り違えで
我が子だと信じてきた子どもは
赤の他人だった、という映画が時々あるけれど
どの親も、苦悩の末に最後は育ててきた子を今まで通り、我が子として選ぶ



それは愛情ではなくて
執着を愛だと勘違いした愛着だ
と賢者はいうかもしれない



そうかもね
そもそも家族は選べないのだから
愛情がない家族にも
手間と時間をかけてきた愛着だけは存在する



家族に抱いている感情は
基本的に愛着なのだ
つまり執着が入っている



そして
私たちは普段
愛着と愛情を厳密には区別していない



愛着から愛情が生まれることもあるし
愛情が執着に変わることもある



ややこしいよね
外科志望のお嬢ちゃんはメスで切り捨てたくなるだろうね
わかるぅ
↑さらにウザいと嫌われそうだ




しかしここからが本番なのだ







どーせ
愛情と愛着の境界なんて曖昧なのだし
どっちかがもう一方を産む可能性があるのだから



自分に手間と時間をかければ
自分に愛が生まれる
つまり自分を好きになる
(因みに他人に好かれる自分になる努力は、自分に手間と時間をかけているとは言えない。相手を満足させるために時間を割いているだけ)


A君よりグイグイ来たから根負けして結婚しただけの旦那にも、手間と時間をかければかけただけ愛が生まれる



A君のほうが条件が良かったのに
今の旦那と結婚したのは正解だったのだ
というか、正解にするのだ!



自分が選んだ道を正解だ、と言えないことを
無責任とか他人軸という



何度選び直しても
その都度責任を取れば無責任ではない



どちらを選ぶかは対して重要じゃない
選んだものを正解にする覚悟が大切なのだ



選んだお菓子を子どもが食べきらなかった時
「自分で選んだんでしょ?」と責任転嫁するのではなく
選んだものは責任持って食え
と怒るべきだったようだ
↑今更反省かいっ



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