身体は目に見える潜在意識
©️ホリスティックケア・プアマナです
「感じるなって生きるなってことかな」
リブログしてくれた「母さん」のおっしゃること
うん
すごくよくわかる
魂を抱きしめるハグを送りますね
ぎゅー
感情を感じ切ろうとしても脳内反省会が始まってしまうにもコメントを下さって
虐待とまでは行かなくても
抱きしめられるより叩かれた記憶の方が多ければ
自分より力のある人が接触してくる イコール
叩かれる
否定される
自分が存在しないことにされる
という恐怖を感じてしまうのは当然のこと
この場合もそうだけれど
感じ切るだけでなく
「自分の感情を感じる」ことは
自分とは何者か?を形作るスタートライン
でも、毒親は感情にまで指示と教示を与えてしまうから、子どもは『自分自身が何者か』を、自分の体験から絞り込んでいくことができなくなっちゃうんだよね
子ども
「この歌好きだな」
↓
「ギターの入り方もカッコいいな」
↓
「ギター練習してみようかな!」
↓
「もっと上手くなりたいなー♪他の音楽も知りたいなー♪」
と、どんどん発展派生していき
好きな音楽、苦手な音楽、ミュージシャンの生き方、考え方などに影響を受け、自分の好き嫌いや人生哲学まで学んで自分が何者かを特定していく機会ができる
しかし
毒親が介入すると
子ども「この歌好き!」
毒親「そうかしら?なんだか下品だわ」(教示)
↓
子ども「ギターの入り方がかっこいいな」
毒親「ピアノのほうが上品よ」(教示・指示)
↓
子ども「ギター練習してみようかな!」
毒親「ギターなんて弾けても何にもならないわよ」(教示)
↓
子ども「もっと上手くなりたいなー♪他の音楽も知りたいなー♪」
毒親「音楽ばっかり聴いてないで勉強しなさい!」(指示)
思いっきり芽を摘むから
子どもは自分のことがわからないまま育ってしまう
こうして
自分の気持ちがわからない
自分の夢がわからない
自分のことがわからない人が出来上がっていく
それと同時に対人恐怖が生まれちゃうんだよね
そして男性恐怖や
声が大きい、怒鳴る、自分より力(影響力が強い)等々の特定の人に対しての恐怖心に発展しちゃうことが多い
書いてくださっている「漠然とした恐怖」のことだよね
感じることを禁じられると
自分自身がわからないまま成長してしまうことになる
それが
☆何かを感じることを求めて、ジョイのように同時に複数の人と関係を持ってしまうか
☆感じること/接触することイコール 恐怖となって避けてしまうか
どちらに傾くかは、多分依存傾向の強さなどの他の要素で決まるのだと思う
いずれにしろ
幼い頃から感情という自然な現象を禁じられたことが原因だから、
感情を成仏させる
自分が何者かを知っていく
素直な自分を許していく
安全基地を確保するetc
もう自分で選べる、という大人になった特権をフル活用しながら、自分を育て直していくプロセスが、うつやACの急増だけを見ても、今世界中のほとんどの人に必要になっていることだけは確か
幸い情報もたくさんあるし
リアルタイムで他の人の体験も見られるから
ゆっくりでいいから
みんなで一緒に
自分の育て直しをしていけばいいよね
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