宗教にうとい日本人は、天国と地獄はどの宗教にも付き物だと誤解している人が多い。

そこで問題。
「キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教、儒教、この中でいわゆる天国と地獄がある宗教をすべて挙げよ」

この問題に対し、小室直樹さんは次のように解答します。





天国と地獄がある宗教は?


正解は、天国と地獄があるのはイスラム教だけである。

キリスト教と答えた人はきっと多かろう。しかし、ダンテ『神曲』には地獄・煉獄・天国が出てくるではないか、などというなかれ。あれは文学作品であり、ダンテのイマジネーションにすぎない。キリスト教は地獄・天国など説いてはいない。

そこで、イスラム教(『コーラン』)を覗いてみると、最後の審判のとき、神(アッラー)が裁判して「有罪」になった者は地獄行き、「無罪」となった者は緑園(天国。緑の園ともいう)へ行く。

しからば、地獄・極楽へは何が行くのか。

魂か。否、肉体が行くのである。

イスラム教においては、人間が死ぬというのはモラトリアム(猶予期間)と考える。仮に死んだことにしておくのだ。そして、最後の審判のときに生き返らせる。もう一度、完全な肉体を神が返してくれるというのである。

さて、有罪となった人は、地獄行きである。といっても、針の山や血の池はなく、イスラム教の地獄は灼熱地獄だけなのだ。

とはいえ、これだって楽ではない。最後の審判に際して完全な肉体を返してもらった人は、もはやそれ以上死ぬことはできないのだ。故に、生きたまま、朝から晩まで火で焼かれる日が永劫に続く。こんなことだったら、生き返らないで、死んだままのほうがよかったと思うのではなかろうか。

一方、無罪の人が行く極楽=緑園は豪華絢爛。センセンと川が流れ、食べ物はこの世では想像もつかないような大御馳走が並んでいる。そして綺麗な服を着て、指には極上の宝石・貴金属、おまけに、何回セックスしても処女を失わない性的魅力のある乙女がお相手である。

では、キリスト教の「神の国」はどうか?あれは天国ではないのか。解答は、天国ではない。

キリスト教では、神の国は、死んだ人間の魂が行くところではない。この世がそのまま神の国になるのである。映画や絵画でよくあるような、死人に羽が生えて、天に上っていくと雲の上にあるところ、ではないのだ。

最後の審判の日、生身のイエス・キリストが、元の姿をもって、この世に再臨する。そして、神の国が到来するので、その神の国に入れる人間と入れない人間とを識別する。

ギルティ(有罪)を宣告された人は、神の国から追放され、永遠の死滅。永遠にいなくなってしまう。欧米人にとっては、これはとても恐ろしいことなのだ。それに対して、ノット・ギルティ(無罪)といわれた人は、神の国に入って永遠の生命を与えられる。

しからば、その神の国とは、どんな国なのか。……キリスト教は一切いわない。そして、一切いわないということが、宗教的に絶大な効果をもたらすのだ。

何も書いていないと、人間というのはそれぞれが自分勝手に理想の世界を想像するものなのだ。……逆に、何か具体的なことが書いてあれば、ああ結局それだけかとなってしまうものである。

仏教には、極楽と地獄がある、と答えた人もいるだろう。しかし、仏教にもいわゆる地獄・極楽はない。なぜなら、仏教はすべて仮説だから。

仏教に関しては、教義という形よりも説話という形で伝播していった側面が強いため、インド古来の来世思想や、道教や仙人の思想などとごちゃ混ぜになっていることが多々ある。また現存の仏教画、伝承などはそれらに影響されたものが残っているため、極楽、地獄のイメージが独り歩きした部分はあるのだろう。

輪廻するというのは罪がある人に限って輪廻する。しかし大概の生き物は罪があるから輪廻する。全く罪がなくなって、本当の悟りをひらいた人はどうなるかというと、涅槃に入り、もはや輪廻しないのだ。だから生まれ変わるということは絶対にありえない。……もはやどこにも生まれず、その存在すらもない。この状態はいわば、キリスト教の永遠の死と同じことではないか。

驚くべきことはここにある。すなわち、キリスト教においては永遠の死とは最大の罰であるのに対し、仏教においては永遠の死が最大の祝福の状態である。救済である。その意味でキリスト教の救済と仏教の救済では全く正反対なのだ。

(小室直樹『日本人のための宗教原論』徳間書店)





本来のキリスト教には、「神の国」と「永遠の死」があるだけで、天国も地獄もない…。

でもキリスト教徒の中には、天国と地獄の存在を信じている人もいるのでは?

小室直樹さんによれば、キリスト教がヘレニズム世界に広がってゆくうちに、ギリシャ思想の影響を受けた諸宗教の、人間には肉体とは別に魂がある、いわゆる霊肉二元論が入ってきた。ここに、肉体は朽ち果てても魂は永遠に生きるという思想に触れ、キリスト教もその影響下に立つようになり、「天国」や「地獄」が実在すると信じる者も出てきたそうです。

しかし本来、「天国」も「地獄」もキリスト教の教えをちゃんと理解していればありえない思想である。

それにしても面白いのは、「永遠の死」の意味付けが、キリスト教と仏教とでまるで正反対なことです。

「永遠の生命」のほうが「永遠の死」よりもはるかにキツい、と感じる私は、やはり仏教の影響を知らず知らずに受けているのだろうか、と思ってみたりします。