姪っ子の結婚式でした。


坊ちゃんズの従姉妹。


歳の離れた兄貴の子なので、感覚的に妹のような存在。


生まれたときから可愛くて可愛くて大好きだった姪っ子。


やっと結婚しました。


もう嫁には行かないんだと思ってた。


しかし、良いご縁があったようで、婿様はなかなかの好青年。


良かった。


幸せになって欲しい。


これからは「お嫁さん」として婿様の新しい家族になるのか…


ちょい寂しい。


懐妊の報告も式の最初のところで婿様から発表された。


生まれ来る子供を遊びに連れて行きたい。


遊園地に連れて行きたい。


オモチャ屋に連れて行きたい。


少し大きくなったらラウンドワンに連れて行きたい。


難しいだろな。


式の中盤にヒストリームービー。


姪っ子の生まれた日から今日に至るまでの多くの写真。


よく知ってる20歳くらいまでの思い出の写真と、あまり知らない20歳以降の写真。


どれも可愛い。


思いやりがあって優しくて誠実。


ホントに良い子だ。


ムービーの途中から涙腺ヤバかったけどなんとか堪えた…


つもりだったけどムービー終わりに少し涙が溢れた。


それを坊ちゃん(小)に見られてて


「やっぱり泣いた」って言われた。


式が始まる前に席に用意されていたメッセージカードですでに涙腺の限界だったんですよ。



泣きキャラですな。


これからあと何回くらい顔を合わせられるのかな。


他所様に嫁に行ったから年に1回会えるかどうかかな。


つーことは、残りの人生でそんなに回数会えないよね。


寂しー。


姪っ子のこれからの人生、悪いことは一切起こらず、トラブルもなく、誰も病気せず、毎日が楽しくて楽しくて「幸せでしょうがない」という感じになって欲しい。


ホント、おめでとう。


これからも、うちの坊ちゃんズの姉貴分でよろしくね。




去年の12月からだったかな。


どこに行くにもずっと一緒だったね。


でも、今日でお別れ。


しばらく会えない。


ありがとうね。


感謝しかない。


きっとまた会える…


そのときはまた一緒に走ろう。


ありがとう…


僕のスタッドレスタイヤ。




小学校六年間同じクラスで今も付き合いのある友人からLINEが来た。高校のとき、同じクラスになって卒業後も3人で一緒に遊んでたもう1人の友人の奥さんが亡くなったと。

年賀状をマメに出す友達なんだけど、僕が何度かの引っ越しで住所を連絡していなかったからいつのまにか年賀状が届がなくなっていて、もう1人の友人のほうに「喪中につき年賀状は控えます」のハガキが届いて知る。

3人の中で最初に結婚した友人の3つ歳上の奥さん。結婚式で初めてお会いし、その後に双方の家に数回訪問したあと随分長く会っていなかった。そして訃報。

連絡をくれた友人から「一緒に線香をあげに行こう」の呼びかけに、訃報への驚き収まらないまま「承知しました」と返答し、昨日の夕方、友人宅へ行ってきた。3年くらい前に偶然街で出会ったとき、全く変わってなくて若々しかった友人が髪の毛真っ白、頭頂部やや薄くなっていて「えっ?!急に?」と思ったのでそのまま伝えると

「はははは!やっぱりキテる?はははは!」

と、いつもの明るい笑い方。

部屋に入れてもらうと小さな仏壇と遺影とまだ納骨されていない骨壷。部屋はいろいろなもので溢れていてまだ落ち着いていない様子。線香をあげて手を合わせ「おつかれさまでした。◯◯と長く一緒に居てくれてありがとう。」と心で伝えた。

その後、友人に「いつ?病気で?」と尋ねると、2年前に倒れて3ヶ月昏睡が続き、その後少しずつ回復していったけど今年の夏に食べ物が受け付けられないとなり、病院をいろいろ回って最後に総合病院で「胃癌、余命3ヶ月」と宣告を受けたが、それから3ヶ月保たず9月に旅立ったと。

癌が判明してすぐ入院したけど、コロナの影響で面会が禁止で、入院5日目に奥さん号泣して退院を決意。友人は休職届けを出して自宅でずっと一緒に居ることを選んだ。2年前に倒れたあと、友人と子ども(男の子)と2人で懸命に世話をしていたので、胃の痛み、身体の不調を言い出せなくて病いが進行していたのかも知れないと友人が語った。その話しをしてるときの友人の「察してやれなかった後悔」の表情は感じ取れた。

四十九日も過ぎており、これから自身と子どもの人生を立て直ししていかないとならないけど、お墓をどうするのか、自ら進んで奥さんの24時間の世話を引き受け、勤めていた会社を辞めていた子どもの再就職をどうしてやれるのかと悩みはまだまだ多いと言っていた。自身の両親も高齢ではあるがまだ健在なので、誰も入っていない墓に1人で入れるのは可哀想。どうすれば良いか迷っている。自分が死んだら一緒に入れてくれと子どもに言ってるとのことだったが、それを聞いて「何十年後になるかも知れないし、明日事故でその日が来るかも知らないけど、それだと子どもらの負担大きくなるかもだから、一旦お寺に預けるとかできるから相談してみては?」と伝えると「そういう方法があるのか…」と。

あまり為になる助言もできないもどかしさ感じていたところではあるけど、話しも変わってこちらの近況を聞いてこられたので、子どもらのこと、猫が可愛いことなどいろいろ話しをした。昔に戻ったように3人で笑いながら。

長居をしてもいけないので、元気で身体が動くうちにまたご飯でも行こうと約束。そして、3人が向かい合った状態のとき、「この中で最後まで残ったら寂しいな。最後の1人にしないでくれよ」と言ってお別れ。

帰り道、一緒に行った友人が「言ったかいね?弟のこと。」と言うので「いや、聞いてないけどなに?」と返答すると「2年前にね、死んだ」と。

病気で長らく不調だったとのことで、倒れたあとそのまま戻らず。

2つ歳下の弟なので、小学生のとき友人と遊ぶといつも横に居た。また悲しい報せだ。

これまで何人かの同級生の訃報があり、「早いよ…」と思うことが続いていたけど、もう早くない歳頃になったのだなと。

病気や事故でいつ終わりが来るのか分からないけど、坊ちゃんらが自分らでなんとか生きていけるようになるまではなんとしてもくたばるわけにはいかない。相談できる相手も必要。とりあえず、僕の姪っ子(坊ちゃんらの従姉妹)ですごくしっかりした優しい子がいるので、その世代のリーダーとなってくれることを顔合わせるたびにお願いしてる。


話しは戻って、友人の結婚式で各席に置かれていた2人のなりそめなどが書かれていた冊子をなくさずにずっと保管していたので、昨日、夕人宅に持って行った。本人もなくしていて懐かしそうに読んでいた。その中に「好きな食べ物」で友人はグリコジャイアントコーン。奥さんはハンバーグと書いてあったので、行く前にお店を10軒くらい回って探して袋にいっぱいのジャイアントコーンを手渡し、奥さんの仏壇にはレトルトのハンバーグを置いた。最初、友人は「はっ?何これ?」という顔をしてたけど、「冊子のここに書いてあるやんけ」と言うと「あーー、あーー、それで!なんでこんなのいっぱい持って来たんかと不思議に思ってた。謎は解けた。」と。


そんな感じで久しぶりの再会が悲しい理由によりだったけど、まだ生きて動けてるのでこれからまだ楽しいことで会えることもあるだろうから前を向いて行こう。

悩みは尽きないけれど、世界で一番不幸なわけでもなし。周りに「良い人」はたくさん居る。笑える出来事も多くある。残りどれくらいあるか分からない人生、眉間に皺を寄せてるのもったいない。助けて助けられながら


老体に鞭打って頑張りマカロニ