源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

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山陰中央新報 2022年9月2日記事

西郷見下ろす国府尾城跡 山頂に石垣や土塁


15世紀後半から16世紀後半にかけて隠岐国守護の末裔が居城とした国府尾城跡(隠岐の島町港町)コウノオの整備に隠岐の島の島町が着手する。一部で「城山さん」と呼ばれて親しまれるが、町内でもあまり知られていない山城跡。石垣や掘割りを覆い隠す立ち木を伐採し、町内外から訪れる人が散策し楽しめるようにする。(釜田剛)

城山(国府尾山、標高123m)の山頂付近にある城跡は隠岐国守護佐々木氏の子孫隠岐氏の居城だった。後に継承者争いの末、1583年の城主不在となり落城したとされる。西郷地見下ろす山頂には石垣の一部でや竪堀、堀切、土塁があり、整地された主郭、三郭跡も残るが、手入れされているのは中腹の国府尾神社あたりの参道まで。主郭までは細く、迷いやすい山道を行くしかなかった。
2018年に発足した町内外の専門家でつくる活用整備事業検討委員会がこれまで、地形や城跡の調査、概略図の作成などに取り組んできたのを受け町教育委員会が10月、山頂から眺望を確保するため立ち木を伐採。散策路の整備も進め、近年人気の低山トレッキングや山城ファンの取り込みを狙う。城山の北西側の麓には土塁に囲まれた館跡もあり、検討委の高屋茂男(県立八雲立つ風土記の丘所長)は「離島は水曜軍というイメージがあるが、麓の館跡がセットで残る隠岐を代表する城郭が残る」と高く評価。検討委内で国指跡を目指すべきだという声もある中、毛利彰委員長は「まず隠岐の城を多くの人に知ってもらい、昔のたたずまいを大事にしながら整備を進めるべきだ」と活用の道筋を描く。