知ってほしい、HSP(Highly Sensitive Person)敏感さについて | 自分を見つめてーー知りたかった自分【病気のままで、幸せになる】

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HSP(敏感すぎる人) AC(アダルトチルドレン)
うつ病 & 自律神経失調症 について、悩んでいる人のために伝えたい。


苦しい。苦しくて死にたくなる時だってある。
でも大丈夫、あなたは幸せになれるから。


あまり知られていない、HSP(Highly Sensitive Person)敏感さ。

出版されている本も少ないし、検索ヒット数も少ない。


でも、現実に悩んでいる人は大勢いると思う。


『敏感すぎてすぐに動揺してしまうあなたへ』では、5人に1人と言われているし、メンタルヘルス・マネジメントにおいては、神経過敏に感じる人(いつも・たいてい・ときどき)が、20%もいる。


決して、自分に無関係なことではないと思う。




敏感か、敏感でないか。

“感覚”というものは、自分にしかわからない。

自分が敏感だということは、なかなか気づくのが難しいと思う。


敏感さは、他人と比較してはじめてわかるものだから。


他人から「○○さんは敏感だよね」とか、「ちょっと気にしすぎなんじゃない?」と言われて、「そうかもしれないな……」と思うくらい。



でも実際は、敏感さをもっているか、もっていないかによって、どれだけストレス量が変わってくることか。HSPは、意識的・無意識的に、さまざまなものに反応している。


わかりやすく五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)で、私の感覚・感じていることを少し書いてみたい。



【視覚】

★光に強く反応し、知らず知らずストレスがたまる。


照明が明るすぎてまぶしい。
家から強い陽ざしのところへ出ていくのが苦しい。

PC・TVの画面の明るさが調整されていないと目が疲れやすい。


怖い映像が見られない。暴力的なもの、人が死ぬ場面など。

夢に出てきたり、何度も頭にその映像が浮んだりする。


【聴覚】

★音にビックリしたり、イライラしたりする。


人が廊下・階段を通る音にビックリする。
ドアを閉める音に驚いて、動悸がする。
家族・友人のいびき・歯ぎしりでしばしば目が覚める。


【嗅覚】

★ニオイにすぐに気づく。くさいのもイイ香りも敏感に反応する。


家の中での例。
生臭いにおい、ごみ箱から出るにおい、排水溝のにおい、
ガスのにおい、タオルのにおい、靴のにおい、洗濯物のにおい、
食べ物(特に果物)のにおい、焦げたにおい等に反応。

意識していなくても、これらのニオイが強いとき、
なんとなく憂うつな気分になっていることがある。


においの対策のために、
台所や玄関、トイレには、消臭ポットを置いて、
洗濯の時は漂白剤・柔軟剤を必ず使用するようになってから、

憂うつな気分がある程度、解消された。

逆に、HSPはいい香りにも敏感に反応するので、
ココアや、ハーブティーは心が落ちつく。
入浴剤や、寝る前にアロマを焚くのも効果的。
果物では、グレープフルーツやリンゴが気持ちを落ちつかせる。


【味覚】

★しょっぱさ・辛さ・にがさ・甘さ等、あらゆる味覚を敏感に感じる。

美味しいものに幸せを感じることは素晴らしいし、料理をすれば繊細な味に気がつく。

味覚が洗練されていて、他人から良くないレッテルを貼られることは少ないと思うけれど、本人にとってはつらいこともあると思う。


塩分が強すぎて食欲がなくなってしまったり、

アルコールやカフェインに反応してしまったり、

ストレスで甘いものばかりを欲してニキビができたり。



【触覚】

★痛み・かゆみに敏感。

少しなら治るまで平気でがまんする人がいる一方で、HSPは耐えられないくらい痛み・かゆみを感じて薬を求めたり、寝込んでしまったりする。かなりストレスを感じていると思う。


痛みに反応し過ぎて、いつの間にかスポーツから遠ざかり、文化系の趣味が多くなる。




今回は五感で挙げたけれど、感覚的に反応することは、人間関係の方がもっと多いと思う。会話でのイントネーション・語尾・表情・声の強弱・立ち位置の距離などなど。

他にも、人が見ていると集中できない。誰かが叱られていても自分が不安になる。


学校・職場・家庭で人間関係から離れきることはできないから、どんな環境でもストレスを感じてしまうけれど、居心地の良い環境・友達を選べば、とっても生きやすくなる。


敏感な人は、相手の悲しみや苦しみにも敏感。

本人は気づいていなくても、だれかの支えになったり、話しやすい人だなと思ってもらったり、素晴らしいものを自然と身につけている。


どれくらい共感する人がいるかわからないけれど、自分が感じていることを記録・発信していくことは無駄ではないと思うので、機会があればまた感じることを書きたいと思う。