気合いがあれば病気になんてならない!
という意味ではないと思いますσ(^_^;)
無自覚のうちに蝕まれていて、なんかおかしいとは思いつつも、そのうち良くなるだろうと気にしないようにしていて、どんどん進行し続けるものだったり。
今はいろいろな症状に病名がつく時代。
誰もが何かしらの疾患を抱えていることになります。
それもおかしなことですけどね。
あるひとつの病に気がついたのは10年以上前になります。
診断されたときは、違う、そうじゃない、と断固否定していました。
薬を飲むのが大嫌い。
薬の副反応が強く、その弊害の方がよっぽどしんどかったりして。
しばらくは今まで通り、と過ごしていました。
そして、不安を消し去るべく、躍起になって仕事に打ち込みました。
しかし、事態は悪化の一路を辿ります。
いよいよひとりでどうにもできなくなり、投薬を受け入れました。
今思えば、その判断は間違っていたかも知れません。
状態の緩和、一時凌ぎ、根本の治療にはならないのですから。
今年になり、10年以上服用してきた薬を止めようと決意しました。
そのために、お仕事を突然お休みさせていただいていました。
きちんとご報告ができておらず申し訳ありません。
断薬により、強い拒絶反応に苦しみました。
正直、未だにそれはあります。
年齢による衰えではない、自分の何かがおかしい、そう思わされることがしばしばあります。
薬のせいで、他にも負担をかけ様々な疾患を、いろいろな箇所が悲鳴を上げ始めています。
救急搬送、検査、繰り返しです。
何気ない日常の困難。
周りに気付かれないように、他のことで誤魔化しながら過ごすこと、しんどいときもあります。
けれど、わたしは笑っています。
今しかない時間を、少しでも楽しみたいです。
パートナーと喧嘩もします。
下手な思いやり、気遣いより、思いを通わせることの方がより深い愛情を感じます。
SNSでは、あまりナイーブなことを打ち明けません。
そんな自分が悲しくなりますから。
当たり前、とされることが上手くできずにいることを見た人は、わたしの人格そのものを否定する人もいます。
親しい人こそ、それがあります。
叱咤激励、もっとこうした方がいい、こうするべきだとアドバイスもくれますが、それが余計に苦しいこともあります。
治療に関しては様々な意見があると思いますが、害があると判断するものから自分を遠ざけて、より良いものへ変えていくことが大切かと思います。
食べ物も、環境も。
それがまた難しいのですけどね。
随分と自分を蔑ろにしてきました。
蔑んで忌み嫌ってきました。
それが招いたこと。
そのツケは大きいです。
自分を許し、愛すること。
ぼちぼち、がんばろう!
そういってくれる理解ある家族の支えなしには、乗り越えられないと思います。
感謝をして、希望を持って、これからがより良いものになるために。