ツアーレポート

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■おしらせ・・・・・・・・・・・・・・・
マチルダが関わるもののお知らせなど。


<遊侠サーカス>

$マチルダのだいたいご馳走・転々


2011年結成。
三匹のけものと双子の楽隊が織りなすコミック・オペレッタ。
マイム、ダンス、オブジェクトシアターをごちゃまぜにして
ピアノと唄の生演奏と共に綴る無国籍ファンタジー。

唄:あやちクローデル /音曲:イーガル/芸:バーバラ村田(牛・団長)、渦・マキ(鶏) 、マチルダ(豚)/装:岡崎イクコ(Rocca Works)

活動情報は遊侠サーカスオフィシャルサイトで!


<遊侠サービス>

$マチルダのだいたいご馳走・転々


遊侠サーカスのサービス部門。
イーガル&マチルダによるケータリングユニット。

★2012年9月21日(金)~23日(日)
「ハンドメイド・マルシェ」
@ラ・ケヤキ
【時間】12:00~20:00(最終日~18:00)
Amebaでブログを始めよう!

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朝11時、宿に迎えに来てくれたディディエの車に乗って、いろいろ経由ボルドーへ出発。

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ディディエの車はたいそう古く、運転席のハンドル周辺や天井が剥き出しだ。
彼は自分で修理をしながら、この車に乗っているらしい。
これでも一応車検はパスしているのだということ。
「来年はさすがに廃車にしないとなあ…」と寂しそうなディディエ。

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ペリグーから一時間ほど走ったところにある、古代遺跡が有名らしい村に到着。
道には土産物屋が立ち並び、さながら軽井沢のような雰囲気。
写真の岩壁にあいている穴が古代の住宅だそうで、左側に小さく写っているのがクロマニョン人の彫刻。
土産物屋にはこのクロマニョン人やマンモス、果てはフォアグラにまつわってであろうガチョウの入ったスノーボールがたくさん売られていた。

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ディディエはフォアグラを食べたいという私たちのために、わざわざここまで車を走らせてくれた。
彼が連れて行ってくれたのは気取らない雰囲気のカフェレストラン。
「こんな観光地で他の店に入ったらもっと高い値段を払ってひどいものしか出てこないけれども、ここは違う」とのこと。
どうしても飲んでみたかったので、めったに頼まない食前酒にこの地方名産だというくるみのワインを。
なぜだか梅酒を彷彿とさせる、さっぱりしているけれども青味のある味わいだった。

私たちの今日の目的はなんと言おうとフォアグラとセップ茸だったので、フォアグラ・ミキュイ、フォアグラのテリーヌ、セップ茸のオムレツを頂く。
本当はフォアグラのソテーが食べたかったので残念だったけれど、フォアグラのテリーヌがなかなかに美味。
それでも個人的にはディディエが食べていて味見させてくれたカスレが一番美味しかったので、フォアグラに固執せず鴨のコンフィとかの郷土料理を食べればよかったなあといまだに後悔している。

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土産物屋さんで売っていたくるみのワイン。
ほかにもトリュフの食前酒や、様々なナッツの食前酒が。

ディディエは友達の多い人らしく、どこの街に立ち寄っても「ちょっとこっちの店で友達が働いてるから挨拶してくる」となる。
この街の土産物屋さんや本屋さんにも数人の友人が。
私たちが大量の投げ銭(小銭)を持っていて、しかし両替が追いつかずに困っていると知っていた彼は、友人に両替の交渉をしてくれた。
何軒かお願いしているうちに噂を聞きつけた別のお店の人もやって来て、「うちにも寄って行ってちょうだいな!」と言われる。
ちょっとしたわらしべ長者状態。

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フォアグラ屋さんで両替をしてもらう村田さん。
この日は日曜日だし、土産物屋さんに来る観光客は大きなお札で買い物をすることが多いらしく、どこのお店の人も喜んで替えてくれる。
「あと一日ここにいてちょうだい!そしたら全部両替できるのに!」とフォアグラ屋さん。
これまでは「どうか両替して頂けませんでしょうか…?」とお願いしながら重い小銭を持って何軒も回るのが常だったので、こんなに喜んでもらえるなんて夢のよう。
ぜひともお言葉に乗りたいところだがそうもいかず、名残惜しく土産物屋さん村を後にする。

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道の途中で出会ったフォアグラくん(ガチョウ)たち。
囲いの中をガチョウが走り回り、その横でフォアグラ屋を営んでいるあたりはさすがフランス。
伊達にスーパーで丸剥きにしたウサギを売ってはいない。

食事の後、雨がちらつく中ボルドーと逆方向へ一時間ほど車を走らせてラスコー洞窟へ。
しかし当然と言えば当然、ラスコーの受付には長蛇の列。
雨だし夕方に差し掛かっていたし、せっかく連れてきてもらったが諦めることに。
こんな機会がなければ二度と来ることがないだろうなあラスコー。

車は再びボルドーへ向かう。

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見渡す限りの葡萄畑の中に、いろいろな形のシャトーがぽつぽつと点在する。
ボルドーのワインはこのシャトーで作られる。
ぜひとも訪問してみたいところだったが、この日はあいにく日曜日でどこも閉まっていた。

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遠くに見えるのはシャトーではなく鳩の住処。
今は使われていないらしいが、かつては食用の鳩をここで育てていたそうだ。

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葡萄畑の中にある、一軒の農家。
貧しい人やアーティストのために開放されている場所らしく、家の鍵はいつでも開いている。
この家でライヴなどのイベントが行われることもあるらしい。
ディディエはここのオーナーと友人で、家を修理したり泊まったりすることがよくあると言う。

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車を降りると勢いよく歓迎してくれた二匹のお友達。
茶色い方が特に力加減を知らず、吹っ飛ぶほどの体当たりを繰り返してくる。

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庭にはテントが二つ建てられていて、小さな子供ふたりとお母さんが宿泊していた。
もの珍しい訪問者に女の子は興味深々の様子で、視界の端をちょこちょこと歩き回っている。

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主ですかってくらい大きな鶏。
「僕が知っている限りでは、日本人の訪問者は君たちが初めてだよ」と得意げなディディエは、家の中を見せて回ってくれる。

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いろいろなアーティストの香りが至るところに残る場所。
私たちが昨年宿泊させてもらったパリ近郊のレジデンス施設・ラバラクトも、形式は違えど同じように沢山の人の気配が残る場所だった。
フランスには、様々な滞在型の施設があるのだなと思う。
お茶を淹れて一杯だけ飲み、車はまた走り出す。

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ディディエの弟夫婦が住んでいるという村を通り抜ける。
ルネサンス時代の門が残る村は、沈みかけた夕日に照らされて悲しくなるくらいに綺麗だった。

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助手席に座っていたこともあり、道中私はずっとディディエと喋っている。
初めて会った時に彼は船乗りだと言ったけれども、それは趣味の話らしい。
何でも、かつては12歳以下の子供の教師だったが恐らく教育委員会的なものともめて教壇を去り、それからは金属やプラスティックの特殊な加工技術を学んでそれを生業としているようだ。
彼と話していると、あそこの街のレストランの柵は僕が作った、あそこの家の柱を取り除いて鉄で補強工事をした、という話がたくさん出てくる。
そして来年の末からは、自宅を引き払い自分で作り上げたボートで世界一周の旅に出かけるのだと言う。
「知ってるかい?
ほんのわずかなスペースしかない住処を維持するために、膨大なお金を払い続けて一生を終える人がフランスには沢山いる。
僕はそんなのはまっぴらだ。
住居の代わりに車だけを持って、ヨーロッパを転々としながら季節ごとの仕事でお金を稼いで暮らす若者も最近は増えている。
僕は車の代わりに自分で作った船で旅をしながら、人生の残りを過ごすことに決めたんだ。」
と彼は言う。
今でも、家の修理やなんやと引き換えに友人宅に泊めてもらいながら、各地を行き来して暮らしているそうだ。
「人生で大切なのはお金じゃなくて、人と人との間の知識や経験の交換だと僕は思う。
だから今回君たちがショウによって与えてくれた感動を、僕はこういう形でお返ししたいと思っているんだよ。」とも。

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ボルドーに着いたのはすっかり日が落ちる頃。
暗くなってもディディエは熱心にボルドーの学生街などを案内してくれてから、ようやく宿泊させてもらうアパートに辿り着く。
大型団地にあるその一室は、立派なキッチンと二つの寝室、リビングのある広い部屋で、アジア風の雑貨が部屋中に飾られていた。
部屋の主だという女性の描いた絵や、画集写真集もたくさん並んでいる。
眠らせてもらったベッドの脇には、なぜか沖縄料理の本が置かれていた。

次のリブルヌのフェスまでの間、私たちがボルドーに滞在するのは二日間。
「ボルドーの中心部を見たいかい?アーカッションの海辺にピクニックに行くのもいいね!」とディディエはいろいろ計画を練ってくれていたが、さや香さんが仕事のために持ってきていたwifiのルーターが壊れて毎日電話ショップに行かなくてはならなかったり、私はブログ更新が溜まりすぎていてどうにかしなければならなかったりで、結局何もすることが出来ず。
ディディエは明らかにつまらなそうにしていて、仕方がないけれども申し訳ないなと思う。
ただし一日二回の食事は共にして、私たちが作ったアジア食をいつもきちんと食べてくれていた。

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リヨンで買って大事に取っておいたルーでカレーを作ったまではいいが、米が足りないことに気づき急遽うどんを打って仕上げたカレーうどん。
美味しかったけれどもディディエにとってはかなり素っ頓狂だったことだろう。



ボルドーのアジアマーケットで買ってきた納豆を試してみるディディエ。
すっごい変わってるよ!きっと無理だよ!と言い聞かせるも、とりあえず試してみたい。



とってもびっくりしたディディエ。
聞いたところによると、フランスには乳製品以外での発酵食品がほとんどないと言う。
ペリグーから車で送ってもらう最中に梅干をあげた時も、そう言えば大層びっくりしていた。

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たまには彼にも食べやすいものをと思いクレープを作ろうとしていたら、手出しせずにはいられなかったディディエ。
置き換えて考えてみたら、外国の人がお好み焼きを焼いてくれるみたいなものかしら。
それは黙って見ていられないだろうなあ。
ディディエはクレープを焼くのがとても上手だった。
さすがはフランス人男性。

夕食を食べたあとの時間、ワインを飲みながらいろいろな話をする。 
旅の話、ボルドーのワインの話、フランスの保険制度、各地のフェスティバルについて、ディディエの友人の中国人アーティストについて、友人のイタリア人写真家について、彼の家族にまつわるいくつかの話、原発のこと、資本主義のこと。

お互いに不自由な英語で会話をしているせいもあり、折り合わないことは多々ある。
それでも根気強く自分が伝えたい言葉を探し、同じくらいに相手が言おうとしている言葉を探していくこと。
それを諦めてしまった時、言葉はどちらかに刺さったままで終わってしまう。
これは決して達者ではない外国語で会話をする上で、この三年間に私が学び取った唯一のルール。

ディディエとは、たくさんたくさん話ができたと思う。
今ある自分の能力の中では、十分に話ができたと思う。
どんな出会いに関してもそうだが、彼が見せてくれたり共有してくれた景色や経験は、あの時ディディエと過ごさなかったら決して手に入らなかったものだ。
彼が繰り返し大切だと言っていたexchangeを、私が感じたように彼もまた感じてくれているといいなと思う。
そして、これから彼が出る旅の先に数え切れないほどあるだろうexchangeが、彼の人生を色とりどりに輝かせますように。
ありがとう、ディディエ。



(photo by 鈴木さや香)

三日目も新聞に記事が。
今度はもう少し大きく、作品の内容についても言及してある様子。
しかしこちらでは掲載されているのは決して良い批評ばかりでないとシャロンで学んだ私たちは、とりあえず誰かに内容を訳してもらわないと落ち着かない。
フランスのカンパニーの一員としてINで出演していた日本人パフォーマーのはなこさんにちょうど出くわしたのでお願いする。
「マスクか二人目の演者か?」と題された記事は、作品が繊細に内面を描いているものだということを説明しているらしく、悪くはないようでひとまず安心。



この新聞には「あなたはこのショウを見てどう思いましたか?」というコーナーがあり、気に入った人は親指を上に、気に入らなかった人は下に向けて感想と共に写真が載る。
どちらも「いいね!」で良かったけれど、よく見ると右の写真のRimちゃんは、昨日一緒に働いてくれたフェスティバルのスタッフさんだ!



並んで載っていたのは偶然にもタマラの記事。
しかしこちらは、あまり良い内容ではないそうだ。
フラメンコとコンテンポラリーダンスによる彼女のショウは、マイムフェスであるmimosにふさわしいと言えるのか?といったことが書かれているらしい。
作品や彼女自身を批判しているわけではないが、「観客の好き嫌いはハッキリ別れた」と記事は言っていた。



一面トップにも、フェスティバル全体の記事ではあるが村田さんが投げ銭を集めている写真が。
後に小銭両替の為に本屋さんを訪れた時に「これ、私なんです…お願いします」と言ったら、快く両替してくれた上に「大変だもんねえ!」と言って小銭を数えるケースを大量にプレゼントしてくれた。
お役立ちありがた写真。



(photo by 鈴木さや香) 

三日目、かたわれにとっては最終日の一回目。
住宅街の一角の中庭のような場所が舞台となる。
三日目と言えども客足は減ることなく、そしてなぜだか年齢層が徐々に上がっていく。
どういったクチコミなのだろうか、続々と集まる初老の方々やご老人たち。








(photo by 鈴木さや香)  


決まった時間に鳴り響く教会の鐘が、この回はちょうど村田さんがかたわれを殺した後の無音に鳴り始めた。
遠くに聞こえる鐘の音が、最後の曲のフェードインに重なって消えていく。
この回をたまたま観に来てくれていたルイとタマラが、「マチー、君は鐘つきを雇ったのかい?」と言ったほど、それは素晴らしく見事な効果で鳥肌が立った。

終わったあと、鼻を豪快にかみつつ号泣しながら投げ銭を入れに来てくれるご婦人や、「一番よかったわ!あなたに投票するからね」と最優秀観客賞の投票用紙を握りしめてくれているご老人たちも。
最優秀観客賞は正直なところ投票の性質的に難しいと思っていた私たちだったけれども、素直に嬉しかった。



(photo by 鈴木さや香)   

ついにペリグーで最後のかたわれ。
この回はいままでで一番遅い時間でのショウとなる。
街灯があるから暗いけれどどうにか大丈夫かなと思っていたら、ドミニクが照明を運んで来てくれた。
しかしコードが短く電源に全く届かない。
スタッフさん数人とてんやわんや試行錯誤した結果、ポイントのお隣の家の人が電気を貸してくれることになり、なんとか灯りがともった。
そういえばこの日一回目のポイントでも、電源の在り処を探して散々時間をかけた挙句、向かいのアパートの二階の住民が貸してくれていたんだっけ。
電気の貸し借りがかなりフランクなペリグー。













(photo by 鈴木さや香)   

木や葉の影が写りこんだ、ぞっとするような写真たち。
現実に私が見た景色とさや香さんが切り取る色味はだいぶ違っていて、そのギャップにまた惹かれるのだなと思う。

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帰り道、秋のようなうろこ雲が浮かんでいた。


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翌日、長かったフェスティバルもようやく終わりを迎える。
この日の村田さんは、最優秀観客賞発表後のクロージングパフォーマンスとして、「バーバラビットのキャバレーショウ」を一回だけ行う予定だった。
しばし宿でのんびりしたあと、ボルドーでお世話になるディディエとお茶をする。
「僕は君たちを招くことに躊躇はないけれども、君たちはきっともう少し僕を知っておいたほうがいいだろう」と紳士的なディディエ。
彼は熱心に地図を見せながら、ボルドーまでの道のりを説明してくれる。
ペリグーはフォアグラが名産だと聞いたのに全く食べれなかった私たちは、とにかくレストランでフォアグラが食べたいですと希望。
それにラスコー洞窟に行ってみたいというさや香さんの願いを織り交ぜて、一日がかりのドライブコースが完成したのだった。

お茶をしているとドミニクが通りがかり、「あらバーバラ、もうすぐ最優秀観客賞の発表があるから、衣装に着替えて出席してね~」と言う。
もちろん聞いていなかったのでわたわたと準備する村田さん。
着替え終わった頃には既に表彰式が始まっており、なんだかなし崩し的にパフォーマーの列へ。
お客さんが大変多く(「去年は300人集まったわ~」とドミニクが言っていた)、あんまり何も見えないまま気がつくと発表が始まった様子。
残念ながらノミネートならずだったが、見えないわフランス語聞き取れないわで、個人的にどうにも緊張感に欠けた感じで式が終了。
しかも一位になったカンパニーが既に帰ってしまっていたため、式自体の盛り上がりにもなんだか欠けていたような感じだった。
結構な金額の賞金なのに不思議だペリグー。
前日、「あなたに投票するわ!」と言ってくれていたご老人がおられ、ひどく残念そうな顔で村田さんを見つめていた。


(photo by 鈴木さや香)    

クロージングだけあって、「バーバラビットのキャバレーショウ」には500人はゆうに超えるだろう人が集まる。
楽屋となっていた文化センター的な建物の中庭に、子供からご老人までがぎっしり。
















(photo by 鈴木さや香)   

「バーバラビットのキャバレーショウ」は素晴らしかった。
この作品のもつ繊細さ、可笑しさ、切なさが色とりどりに光を放っていて、この三年間私がヨーロッパで見てきた中で間違いなく一番のショウだったと思う。
傍らでPAをしながら、抑えていてもつい涙ぐんでしまう。
客席を見やると、最前列を陣取った子供たちはキラキラした瞳で笑い、後ろにいる大人たちは子供に戻ったかのように頬を紅潮させていた。


(photo by 鈴木さや香)   

バーバラ村田のペリグーが、こうして終了。

楽屋に戻って急いで片付けをし、私たちは最後のタマラのショウを観に駆けつける。
クロージングの後の唯一のOFFのショウだったので人がどのくらいいるのか心配だったけれど、照明に照らされた彼女の舞台をみんなが囲んで待っていた。

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タマラのショウはフラメンコから始まり、靴を履き替えて、コンテンポラリーダンスとなる。
実はこの前日にも彼女のショウを見ていたのだが、その時には少し短すぎるのではないかと感じた。
お客さんが彼女に興味を抱いたところでショウが終わってしまうような印象だった。
しかし二度目に見たこの日、その印象は覆る。
構成はまったく変わらないけれども、彼女の力強さが違う。
ステップを踏む強さ、何かを紡ぐような指の動きの力強さ、そしてとても魅力的な笑顔の瞳に込められた強さ。
フラメンコでがしっと心を掴まれ、コンテンポラリーでそれを高いところにふわっと投げ上げられたかのような開放感。
フラメンコダンサーからコンテンポラリーダンサーへと転身していった彼女自身のストーリーに基づいたこのショウは、彼女の踊る心までをもお客さんに伝える力があるのだと感じた。

踊り終えたタマラが、カンペを見ながらフランス語で挨拶をする。
どうしても途中からスペイン語訛りの巻き舌になっていってしまうのが可愛らしい。
「みなさんありがとう、ありがとうペリグー!」というところで、客席から拍手の嵐が起きて声がかき消されてしまう。
やったねタマラ!



フェスティバルカフェで夕食を食べていると、「最後の日だからみんなで一緒に食べようよ!」とOFFの他のカンパニーが誘ってくれる。
途中で雨が降ってきたけれど、みんなあまり気にせずに肩を寄せ合ってパラソルの中へ。
この日まで大概美味しく頂いたフェスごはんだが、最終日のメニューはガチョウのハツを赤ワインで煮込んだこの地方の名物料理。
ハツ自体は好きだけれども、それを10個もてんこ盛り。
ガチョウの心臓が十個…ガチョウが十羽…と思うとどうにも箸が進まず、隣り合わせたスペインの人たちにおすそ分けしようとするが、だれも食べてくれなかった。
「僕らの国でもハツを食べるけど、これはあまりに多すぎだ」とのこと。
フランスのアーティストだけが「ちょっと多いけどね」と言いつつもすいすい完食していた。
ここにもあったカルチャーギャップ。

0時を回り、踊りまくる人々を尻目にルイたちと一足先に宿へ切り上げる。
ルイとタマラは車でペリグーまで来たのに徒歩で宿と現場を行き来していたのでどうしてかと尋ねたら、びっくりした様子で「私たち、見る、あなた歩く。だから、私たち、歩く。」と日本語で答えた。
どこまでもうっかりしている二人。
彼らは志摩スペイン村にいる一年間で日本語を少し覚えたので、日本語英語スペイン語フランス語を交えて私たちは会話をする。
以前はまったく英語が喋れなかったタマラだが、この一年で勉強をした様子。
そして二人とも、私たちにとってこのツアーのラストとなるオリヤックのフェスティバルに参加するという。
なぜだかとっても縁があるルイとタマラ。
遊侠サーカスも交えての再会が、また楽しみになった。




村田さんのショウが始まる日の朝、楽屋やフェスティバルカフェのある場所に行くと、何やら記者会見のようなものが行われていた。
手話通訳の人もいてだいぶ本格的だが、もちろん私たちは何について話しているのかは全くわからない。
記者会見は数時間に渡り行われ、多くの人たちが熱心に話に聞き入っていた。
ここはもしかしたらアカデミックなフェスティバルなのかもしれない。


(photo by 鈴木さや香)

一回目のショウの場所は歴史美術館の中庭。
mimOFFは基本的に毎回ショウの場所が変わる。
前日にスタッフさんがいくつかのポイントの下見に連れて行ってくれたが、この美術館は休みだったため見ることができなかった。
ショウの30分前にスタッフさんと待ち合わせをし向かおうとしていると、OFF責任者のドミニクから電話。
「バーバラ、いまどこにいるのかしら?みんな待ってるわよ~」とのこと。
30分前に待ち合わせをしていますと伝えると、「ああそうなのね。でもみんな待ってるわ~」と言う。
みんなって誰だろうと疑問を抱きつつ会場に向かうと、中庭にはぎっしりとお客さんが座り込んでいた。
一瞬時間を間違えたのかと思うほどの待機人数。
人々は中庭の真ん中に何となく小さな円形スペースを空けて待ってくれていたのだが、どう考えてもそれは演技スペースとして狭すぎる。
慌てて場所を決めて移動してもらうも、あまりに人が多すぎて後ろに回り込んでしまうことを避けられない。
「このフェスは、どうしてかは分からないけどお客さんがすごく前から待つのよ~。みんなとってもびっくりするわ。」とドミニク。
ええ、ええ、大層驚きましたとも。



(photo by 鈴木さや香)

あまりに人が集まりすぎたため、途中で満員打ち止めにしたのだと後からドミニクに聞いた。
驚愕のもと始まったかたわれ、しかも足元が砂利という過酷極まりない状況だったが、どうにか無事に終わる。
村田さんは砂利が裸足にめり込んですっごく痛かったらしい。
私はこんなに多くの人が集まるようだと、持参のアンプが小さく心許な過ぎて不安に感じる。

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一回目を終えて楽屋に戻ると、ルイとタマラが到着していた。
タマラの出番は次の日から。
「人いっぱいでびっくりしたよ!ムーチョ(スペイン語でいっぱいの意)みなさん(二人はこれを英語でpeopleの意として使っている)だよ!!」と伝えると、うひゃあと喜んでいる。
彼らは前のフェスがあったスイスから、車で二日間かけてペリグーに辿り着いたところらしい。
「地図をパソコンで見てたんだけど電源が切れてしまいそうになったから、携帯で地図の写真を20枚も撮ってなんとか向かってたんだ。
それでも道に迷って、深夜なんにもない田舎に迷い込んでああもうだめだと思った時に、この車にカーナビが付いてたことを思い出したんだよ!
そこからはもう超順調さー。カーナビって便利だね!」とルイ。
相変わらず過ぎて脱力する。



再会を喜び会ったのも束の間、二回目のショウの時間が迫る。
一回目の教訓から一時間前に現場に向かいロープをひくことに。
さすがに誰もいなかったので安堵。






(photo by 鈴木さや香) 

二回目の会場は、レストランや理容室の並ぶ街角のちょっとした一角。
一回目の美術館より数は少ないとは言え、道の通り抜けが出来ないくらいの人が集まる。
他のフェスのように街全体に人が溢れ返るということはないにしても、ショウを熱心に観て回る人たちが多くいることは確かなようだ。
穏やかなフェスの空気、落ち着いた街の雰囲気に好感をもつ。


(photo by 鈴木さや香)  

ショウが終わったあと、子どもにサインをねだられる村田さん。
ヨーロッパでサインを求められるのはいままでにない経験。
「バーバラビットのキャバレーショウ」はまだしも、「かたわれ」は子供にとって決してとっつきやすいとは言えない作品だと思う。
それでもペリグーでは、何人もの子供たちがはにかみながら感想を伝えに来た。
小さな子供が「ビズ(キス)して」と口をとがらせて待っていたり、なんとも可愛らしい。

村田さんがヨーロッパでかたわれを演じ始めて今年で三年目、少しずつ、でも着実に、観てくれる人への届き方が変わってきているように感じる。
ともすれば難解ともとれる「かたわれ」は、百人観て百人が好きになるような作品ではない。
にも関わらず、その割合が段々と変化していることが、お客さんの反応や子供たちの様子から見て取れる。
「かたわれ」の大きな筋書き自体に、三年間変化はない。
しかし、ひとつひとつの感情、動きの間にあるひだのようなものが、どんどんと細やかに滑らかになってきている。
ほんの小さな違いがもたらす大きな変化。
この日の帰り、道を歩いていると若い女の子が後ろから走って追いかけてきて、「ただありがとうと伝えたくて。あなたのショウを見てからずっと泣いていたの。」と頬を涙で濡らしながら伝えてくれた。


(photo by 鈴木さや香)   

初日、二回ともショウを観に来てくれたこのおじさんは、ロープをまとめるのに苦労していた私に見かねて自らロープを結んでくれる。
手際の良さに感心していたら「僕は船乗りだからね!」とのこと。
彼の名前はディディエ。
ボルドーに住んでいるという彼は「このフェスの後はどうするんだ?ボルドーに僕の昔のガールフレンドの家があって、彼女は夏の間留守だからそこに泊まるといい。」と言ってくれた。
私たちの次のフェス、リブルヌ(Libourne)にも行く予定だったというディディエは、ペリグーからボルドーまで、そしてボルドーからリブルヌまでも車で送ってくれるという。
ありがたや。



二日目。
小さい記事だけれど新聞に載る。

この日の朝はドミニクからの電話で起きた。
「11時からプレスミーティング(例の記者会見)があるんだけど、バーバラに出て欲しいって言ってるのよ~。私伝えたかしら~?」とのこと。
全く聞いてません。
慌てて準備して会場へ向かうと既に準備万端だったようで、村田さんの到着と共に会見が始まった。


(photo by 鈴木さや香)    

懸命に話を追っていると、司会をしているのはジャーナリスト、参加しているのはフェスティバルのオーガナイザーとINのカンパニーの代表者らしい。
OFFのカンパニーからもひと組代表が出席することになっているらしく、それに村田さんが選ばれたようだ。
会見を聞いているのはジャーナリストだけでなく一般のお客さんが多数を占めている様子。
今日から始まるINのプログラムの紹介や、これまでにあったINのショウに対するお客さんからの質問や感想が飛び交わされる。
みんな次々に挙手して積極的に意見を述べるところはさすがフランス。

もちろんすべてのやり取りがフランス語で行われるわけで「村田さんどうするのかなあ」とハラハラしていたが、写真左隣の女性と右隣のドミニクが通訳をしてくれる。
作品に関する簡単な質問のあとに、「数年前にこのフェスに参加した日本人のどんどろを知っているか。彼の作品と君には何かしらの共通点があるように感じる。」と司会が言った。
「百鬼どんどろ」の岡本芳一氏は等身大の人形、仮面などを遣ったパフォーマンスを行う方で、日本のみならず海外で幅広く活躍されていたらしい。
残念ながら私は観たことがないが、村田さんは知り合いだったという。
岡本氏が二年前に亡くなったことを告げると、司会の彼だけでなく出席者たちは一様にショックを隠せない様子だった。
それを見て、偉大なアーティストの足跡にほんのわずかばかり触れたかのような気が、私はした。


二日目、一回目の会場は市役所広場。
だだっ広く車通りもある騒がしい場所で、しかも強い日差しの照り付ける時間帯。
初日に手持ちのアンプに不安を感じていた私たちは、ドミニクに相談してフェスティバルの大きな音響を貸してもらえることとなる。
シュチュエーション的な不利は否めないが、音響のおかげで数段マシに。







(photo by 鈴木さや香)     

日差しを遮るものが何もないなか、座り込んで熱心に観てくれたお客さんたちにも拍手。
この日はペリグー滞在中の間でも特に暑い日だった。


(photo by 鈴木さや香)      

小さい女の子が手を口の前に揃えながら、一生懸命村田さんに話しかけている。
どうやら「あなたのマスクね、すごく怖かったの。すごくイヤだったの。」と言っているらしい。
そっか、ごめんねえと村田さんが笑いながら言う。
それでも他の大人に、「でももう一度観てみたい?」と聞かれると、「うん。」と彼女は答えていた。


二回目の場所は、フェスティバル全体の中でなぜか村田さんだけに割り当てられた場所。
決まった時にだけ考古学博物館として公開されるが、普段は個人の所有物だという古いお屋敷の中庭だった。
大きな木があり、その後ろに街全体が見渡せるとても美しい場所。
庭の片隅にはとても古い石棺がふたつ横たわっている。
(後で確認したところ、中には誰も入っていないらしい)


(photo by 鈴木さや香)   

パフォーマンスの前に、最後の言葉のカンペを用意する私たち。
初日の美術館の砂利ほどではないにしろ、ここの地面も大小様々な石が埋まっており裸足には難儀。
みんなで必死に大きな石をほじくり出す。










(photo by 鈴木さや香)   

ここからの景色はやはり珍しいらしく、ショウのあとたくさんの人が見晴らしを覗きに来ていた。


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ペリグーは歴史ある街らしい。
夜だけでなく昼間でも、ふとした路地の美しさにハッと息をのむ。
ショウが早く終わったこの日、せっかくなので「かたわれ」の宣材写真を撮ることになった。

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静かな路地でいきなりかたわれ。
通りすがりのカメラおじさんが便乗して撮影したり、「ちょっと見てってもいいかな?」と見物をしていく人も。


(photo by 鈴木さや香)    

この上なく風景とマッチした写真の数々は、そのうちきちんと公開されるまでのお楽しみ。
目まぐるしいペリグーの日々も、残すところあと二日。




リヨンから電車で7時間余り、次なる都市Périgueux ペリグーに到着。
駅に着くと早速フェスティバルの担当者ドミニクが車で迎えてくれる。
昨年オリヤックのフェスで声をかけてくれたのもこのドミニク。
とてつもなく穏やかな物腰が印象的な女性だ。



宿泊場所として与えられたのは寄宿学校の一室。
夏の間は学生たちが帰省しているからだろう、一般人やフェスティバルに寄宿学校が貸し出されているのをこちらではよく見る気がする。
寄宿学校とは言え、トイレもシャワーもそれぞれの部屋に付いていて快適。

この街で村田さんが出演するのは国際的なマイムフェスティバル「mimos」。
シャロンと同じようにIN部門とOFF部門に分かれており、INは主に大掛かりなショウで観覧料を取るものもあるようだ。
OFFは「mimOFF」と呼ばれ、一般的な大道芸フェスティバルでよくあるように投げ銭制だが、「最優秀観客賞」に選ばれた作品には賞金が授与される。
「最優秀観客賞」は観客が一番好きな作品に投票するもので、投票数が一番多いものが選ばれるらしい。
日本からは、過去にシルヴプレのおふたりがこれを受賞しているそう。



街と私たちの宿の間には河が流れている。
宿から中心部までは徒歩で約30分。
ほとんどのアーティストは車で移動していたが、車を持たない私たちは毎日えっちらおっちら歩き続ける。
決して軽くない荷物を持ちながら、石畳の勾配のある道を行くのはなかなかかなりの重労働。

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しかし、夜のペリグーの美しさはそれをも一瞬忘れさせる。 
鏡のように灯りを映す河。 


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そびえ立つ大聖堂。
夜には橙色にライトアップされる大聖堂は毎日見ても何回見ても飽きることがない。
へとへとに疲れた帰り道、いつも振り返っては仰ぎ見ていた。

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教会の内部は広く、落ち着いた色合いの立派なステンドグラスが。

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ジャンヌダルクの像もあった。




フェスがご飯を一日一食与えてくれたので、残りの一食は自炊をすることに。
キッチンは付いていないけれども、私たちには何といってもキャンピングガスがある!
昨年大変な思いをしてゲットした小型キャンプ用ガスボンベ。
(もし大変な思いを詳しく知りたい方がいらしたらば、コチラからどうぞ)
小さいながらに米は炊けるわ麺は茹でるわの優れもの。
久々に対面した白米に感激ひとしおのさや香さんは、「銀シャリ様~!」と言いながら何度もシャッターを切っていた。

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ペリグーのフェスでは、「かたわれ」を2回×3日間、「バーバラビットのキャバレーショウ」を最優秀観客賞発表後のクロージングとして1回だけ、演じる予定となっていた。
再び宿でお留守番をする面々。

「mimos」は全6日間に渡る長いフェスティバル。
とは言え全日参加するアーティストはおらず、INだと2日、OFFだと3日が普通のようだ。

村田さんのショウが始まる前の日、私たちは三人でINのプログラムを観に行った。
大きな公園のだだっ広い野外ステージ。
すっかり日の落ちた22時過ぎ、舞台の前にはぎっしりとお客さんが詰めかけている。
それまでのあいだ街を歩いてもあまり人が多い様子を感じられていなかったので、これには結構驚いた。
どうやらこのフェスは、ショウがあるところに集中して人が集まる仕組みらしい。

私たちが観たのは、五人の男女によるキャバレーショウ。
ある女性の死を巡り、物語はミステリー仕立てで進んでいく。
演者はほとんどがミュージシャンとダンサーを兼ねている。
チェロを弾いていた男性が次の瞬間踊りだしたり、さっきまで踊っていた女性が高らかに歌いだしたり。
それだけでも十分鮮やかなのだが、この舞台を彩るメインは、様々な種類の炎。
火花のようだったり火の粉のようだったり、時には水や風のようにも見える炎が、常に舞台を燃やし続ける。
火の海の中を蹴散らしながらさらに炎を沸き立たせて踊るタンゴが、とてつもなく格好良かった。

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素敵なショウを観た帰り道は、足取りも軽い。
オレンジ色の街灯の下を歩きながら、何度もタンゴの真似をして帰る。
この時に私たちが観たショウはひとり6ユーロ。
野外で、私たちが会場に着いたのが遅くだいぶ後ろの方からしか見れなかったとは言え、この価格は随分と安く感じた。


そしてこの日、嬉しい知らせが届く。
なんと2年前のポーランドのフェス以来の友人であるスペイン人のクラウン・ルイとその彼女のタマラが、翌日からこのフェスにやって来るとのこと。
出演するのはダンサーであるタマラだが、もちろんルイも一緒だ。

一昨年ポーランドを二週間バスで回るというフェスを共にし、その後のアヴィニヨンでも偶然再会、昨年は志摩スペイン村で働くために一年間日本に滞在していたルイ。
志摩スペイン村に居る間にタマラと付き合い始め、何度も東京に遊びに来たし私たちも三重に遊びに行った。
(三重に遊びに行ってスペインの人たちに伊勢神宮を案内してもらった様子にご興味がある方はコチラからどうぞ)
お調子者を絵に描いたようなルイ、地中海の太陽の様に明るいタマラ。
今年のツアー中もどこかで会えるかと思っていたけれどしばらく音信不通だったので諦めていたところに、なんという偶然。
底抜けに楽しい二人に会えると思うと、村田さんはもちろん私もだいぶ緊張が和らぐ。
「なんだか縁があるんだねえ…よりによってあのルイと」と笑いながら、二人との再会を心待ちにしていたのだった。




シャロンから電車に乗って再びリヨンへ。
コンパートメントがスーツケースでぎゅうぎゅう。

ここから次のペリグーでのフェスティバルまでは、約一週間の休暇期間。
私たちはシャロンのスタッフであるニコラの家に泊めてもらうためにリヨンに向かっていた。
二年前、何も知らず訪れたシャロンで村田さんにゲリラパフォーマンスの場所を割り振ってくれたのがニコラ。
ニコラはシャロンの中でも一番大きなポイント、市役所前広場を仕切っている。
スタイルが良く軽快で、ウィンクの上手なお兄さん。
今年も再会すると真っ先に、「この後ヒマならウチに来ればいいよ!僕は仕事でいないけれど奥さんと子供が二人いるからよろしくね!」と言ってくれたのだった。



リヨンも大きな河が流れる街。
ニコラの家は旧市街から少し離れた場所にあるらしい。
簡単な行き方と住所だけを教わり、地下鉄とバスを乗り継いで何とか到着。





広い庭のある大きな家。

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奥さんのエミリーと、6か月の娘リズが出迎えてくれる。
3歳の息子ノアムは奥から寝ぼけた様子で出てきた。
最初こそ人見知りしていたノアムだったが、ボールで遊ぶとすぐにはしゃぎ始める。
庭に連れて行ってくれて、「これはナスで、これはトマトで、これはほうれん草だよ」と家庭菜園の説明をしてくれた。




ここに来る前、私たちはニコラから散々「僕の奥さんは英語ができないから、君たちはフランス語で話さなきゃいけないよ」と聞かされていた。
幼子を二人抱えた妻の下に、会ったこともなければフランス語もほとんど喋れない東洋人を預けるなんて私たちの感覚からするとどんだけよという感じだが、彼らにとっては特に躊躇もないのだろう。
ヨーロッパの人たちは、有難いことに、本当に簡単に他人を家に泊める。
実際のところエミリーは少し英語が話せた訳だが、滞在させてもらった五日間、特にノアムとの会話のお陰で、私たちのフランス語ボキャブラリーはほんの少しずつ増えていった。


リヨン滞在中私たちが唯一出向いた場所、それはカルティエ・シノワ(中華街)。



旧市街から河を渡ってメリーゴーランドが見えたら、それがこのエリアの目印。
街角の至る所でメリーゴーランドに出会えるヨーロッパだけれども、これはなかなか趣のあるメリーゴーランド。



小さい頃フランスに来たとき、メリーゴーランドを見かける度に乗りたくて仕方がなかったことを思い出す。
とても乗りたいのだけれども、どこかでとても恐れていた。
メリーゴーランドは不思議な乗り物だ。
ぐるぐると回りながら、なぜだか段々と異空間にいるような気分がしてくる。
独りきりで世界に取り残されるような恐怖を、子供心にあの時感じていたのだろう。

リヨンの中華街はフランスでも有数の規模を誇るとガイドで読んだので、行けば分かるだろうと詳しく場所も調べずに向かった私たちは、まんまと道に迷う。
フランスの人に尋ねても、存在すら知らない人が多い。
どうやらかなりコアな場所の様子。



右往左往を繰り返し、どうにか目的地であるアジアンスーパーマーケットを発見。
そしてここはとんでもなく素晴らしい場所だった。
日本・中国・ベトナム・タイのみならず、韓国のものまで取り揃えているのは珍しい。
ヨーロッパに来ると辛さ不足に陥ってしまう私にとって、これはかなり有難かった。


戦利品の一部。
韓国製インスタント麺たち、韓国海苔、キムチ缶、煎りゴマ、ごま油、レッドカレーペースト、菜箸、そして韓国焼酎のソジュ。
ワインもビールも好きだけれど、いい加減焼酎が飲みたかった。
万歳!


早速食べてみたキムチと韓国海苔ごはん。
キムチは想定していたものとだいぶかけ離れ、白菜のトマト煮込みピクルスみたいで残念。
しかし他の食料には、この先々まで大いに助けられる。


ニコラの家から市街地への交通の便が悪かったこともあるが、私たちが出掛けなかった理由はもう一つ、それはかなりの時間を子どもたちと遊ぶことに費やしたことにある。


私は赤ちゃんを抱くのが怖いため、リズ担当は基本村田さん、ノアム担当が私となる。
(ちなみにさや香さんは二日目からリヨンのホテルに移動したので不在。)

ノアムの好きなものはバイク、自転車、船、そして自動車。
とっても男の子らしい。


サングラスをかけて得意げなノアム。
この姿で三輪車にまたがって「ウォンウォンウォン!」と音を真似ながらバイクレースごっこをする。
バイクが転ぶ様が好きらしく、必ず走り出すとともに転倒。
「毎日毎日、おんなじ遊びなのよ」と母エミリーはうんざり顔。

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プレイモービルを水の中に飛び込ませる遊びをしているところ。
私たちが外国人でフランス語が分からないのだということがいささか理解できないノアムは、何回も何回も同じことを話しかけてくる。
繰り返し聞いているうちに何となく分かったり分からなかったり。
私たちのこと、すごく耳の遠い人たちだと思っていたかなあ。

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ノアムは父ニコラが大好きで、しょっちゅうニコラごっこをして遊んでいた。
ニコラの帽子を頭にのせて「エミリー、仕事に行って来るよ!」と言ってみたり。
これは明らかに重かろうニコラのバイクのヘルメットをかぶろうとしているところ。

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三歳児ながら、カメラを向けるときちんと決め顔を作るところが可愛らしい。

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ある日、部屋に連れ込んで色々なものを見せてくれる。
フランスでは子供は自分の部屋で寝るのが普通らしく、ノアムのみならずまだ赤ん坊のリズまで部屋を持っている。
日本では小さな子供は親と一緒に寝ることが多いですとエミリーに言うと、「それは親のために良くないわね。子供とは言え人生はそれぞれ違うもの。」とのこと。
さすが個人主義大国フランス。
食事についても、子供は先に済ませ大人は後からゆっくり楽しむというスタイルらしい。
子供第一ではなく、あくまでも大人の人生が存在する上に子供がいるのだというスタイルにカルチャーギャップを感じる。
と同時に、うちの両親の子育てスタイルはフランスに近かったのだと気付いた。


部屋でカバのぬいぐるみを見つけて満足。

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フランス版かくれんぼをしているところ。
このとき彼の中で流行ったのが「朝夜ごっこ」。
「夜が来たよ!」とノアムが言うと床に横になりカーペットを掛け布団にして寝たふりをし、「朝だよ!」と言われれば起きなければならない遊び。
押し倒してでも必ず私を自分の横に寝かせようとするところに胸キュン。

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家を発つ日、寝袋で遊ぶ私たち。
この前日に待ち望んでいたニコラが帰って来て、ノアムははしゃぎ回っていた。
「僕はヴァカンスにいくんだ~!」と言いながら、嬉しそうに寝袋を振り回している。
ニコラがオリヤックでのレンタカー手配をしてくれていたので私たちは真剣に話を聞いていたのだが、ノアムにとって私はおんなじ子供。
こっそり手を握っては小声で「マチ、遊ぼう!」と囁いてくる。
胸がギュンギュン。

リヨンの駅前までは、ニコラが車で送ってくれた。
チャイルドシートに自分から乗り込んで、わくわくした様子のノアム。
ニコラの車に乗るのを楽しみに待っていた彼は車のなかでも終始ご機嫌で、目に映るいろいろなものを説明してくれる。
そしてやっぱり、何のために車に乗るのかは理解していなかったらしい。
一緒にリヨンのホテルに着きチェックアウトを済ませると、「さあエレベーターに乗ろう」とノアムが言う。
「なんでだい?ここに一緒に泊まるの?」とニコラが笑いながら尋ねると、みるみるうちに顔が曇っていく。
肩に顔をうずめてしまった彼は「ほら、さよならするんだよ」と言われやっとの様子で私たちに手を振った。
ノアムが泣いたのを見たのは、この時が初めてだった。

文字通り溢れ出すようにこぼれた涙を、ノアムはきっともう覚えていないけれど私はたぶん忘れないのだと思う。
忘れないどころかたびたび反芻しては、柔らかい気持ちになるのだと思う。
大人って、きっとこうやって生きて行くのだなあ。

Merci mon copain ,
À bientôt ! 


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(photo by 鈴木さや香)

一方、かたわれ。

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(photo by 鈴木さや香)


「かたわれ」は、空が青から藍へと深まっていく時間に始まった。
終わった時には藍がすっかり黒に溶け込んでいる。
一曲目の不穏なクレズマーと街の教会の音が混ざり合うと、異次元の扉が開いたように感じられる。

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(photo by 鈴木さや香)


照明のおかげで影がくっきりと壁に映る。
村田さんと影が重なり合って踊る様が、悪夢のようで鳥肌が立った。

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(photo by 鈴木さや香)


「バーバラビットのキャバレーショウ」に比べると、「かたわれ」のお客さんの数は少なかった。
しかしその分、通り一本向こうの喧騒が嘘のような静かで集中力のある輪が出来上がる。
なぜかお客さんの年齢層がぐぐっと高く、最終日までその数をじわじわと伸ばしていったのも「かたわれ」らしい。
四日間とも、作品が終わって村田さんが喋り始めようとしてもなかなか拍手が鳴り止まない。
「かたわれ」は決して大きなショウ、派手なショウではない。
けれども息を飲んで観てくれた人たちの熱意は、確かに伝わって来た。


さて快適な宿が現場近くに確保できたこともあり、シャロンでは今までで一番色々なパフォーマンスを観に行くことが出来た。

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不思議な人形をつかったロービング(回遊型のパフォーマンス)。
ふかふかぶよぶよとした人形たちが、道行く人の背中に乗ったり手をつないだり、なんとも言えない独特の不思議なリズムで人々と触れ合って行く。
何かしら大きいことや面白ことをやるでもなくずっとそんな調子で街を歩いているだけなのだが、人形に直に触れる機会はなかなかないので新鮮だった。

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白い下着姿の男女が、ただひたすらに街中でいちゃつくというロービング。
ふと気がつくと、視界のどこかに彼らの姿が入りこんでくる。
色々な意味で、体力にあっぱれ。

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黒いドレスを着た七人の女性たちによるパフォ-マンス。
演劇ともコンテンポラリーダンスともつかない何か。
年齢層の割と高めな女性たちが、笑ったり憎しんだり愛したり泣いたり。
最後には高らかに歌いながら、輪を残して軽やかに消えて行く。
強く激しいけれども飄々としていてしなやか、媚びないけれどもユーモラスで毒がある。
「なんだか指輪ホテルを思い出すなあ」と思っていたら、村田さんも同じだったらしい。
パフォーマーをわざわざ捕まえて「ブラボー!」と声をかけたくなったのは、この作品が初めてだった。


そして私たちのシャロンを語る上で欠かせない二人、それはAlek et Les Japonaises
バンド名(「アレックと日本人」)の通り、ベルギー人アレックと日本人マイさんによるテクノユニット。
日本語フランス語オランダ語それに中国語までを織り交ぜたキッチュな歌詞を、ギラギラ衣裳の二人が歌い上げる。
アニメティックなジングルも効いたポップで楽しいステージ。
そしてマイさんの戸川純並のキレっぷりから目が離せない。

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大聖堂と Alek et Les Japonaises。
荘厳さとの対比がとってもシュール。

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最終日の夜を盛り上げる Alek et Les Japonaises。
毎日ホテルでCDを聴きこんだ私たちは、振付を完璧に覚えた上に口ずさんだりもしてすっかり立派なファンと化す。
Alek et Les Japonaisesの振付はヘンテコで楽しいので、気がつくとどこでもディスコ状態。
深夜にも関わらず、かなり幅広い年齢層の人たちが踊りまくっていたのが印象的だった。

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この会場は普段は学校の中庭。
ライヴを終えたアレックとマイさんと、最終日の打ち上げをする。
ここは奇しくも二年前、初めて二人に会ったのと同じ場所。



気がつくと、さや香さん(写真中央)がダンスリーダーになっていた。
フランスの人々を巻き込んで「変なおじさん」。
盆踊りやドリフなどの動きが皆さん大好きな様子。



夜もすっかり更け、バーの従業員たちも飲み始める。
彼らが振舞ってくれたシャンパンですっかり酔っぱらい、私たちのシャロンが終了。
帰りは二年前と同じように、アレックが車で宿まで送ってくれた。
次は日本かヨーロッパか、分からないけれど日本に来た時には必ずイベントを開催することを心に誓って、二人とお別れ。

この晩私は大層酔っぱらっていたようで、翌朝の荷造りを村田さんとさや香さんに丸投げするという駄目アシスタントっぷり。



おまけ。
翌朝街に現れていた「東京シュル・ソーヌ」。
お見事。



「CHALON DANS LA RUE」初日。
「バーバラビットのキャバレーショウ」の舞台となる中庭は、自転車のオブジェが飾られた可愛らしい空間。





サウンドチェックや打ち合わせも滞りなく済む。
シャロンでは各演技ポイントにテクニックの担当者、そしていくつかのポイントを束ねている舞台監督のようなスタッフさんが居て、色々と便宜をはかってくれるみたいだ。
中庭は入って手前にバーやテーブルのあるスペースがあり、演技ポイントは奥まって区切られている。
とても広いけれどもきちんと隔離されているこの場所は、お客さんの集中力を保つのにとても良い場所のように見える。



中庭の前ではミュージカルソーを演奏しているパフォーマーが。
作りこまれた見た目と哀しい音が、言葉はなくとも物語を想像させる。



もう一方の「かたわれ」のポイントでは、村田さんの次にショウをするカンパニーが音響と照明貸してくれることとなった。
リノリウムまで敷いてくれて申し分のない環境。
ここはカテドラルのある中心部からすぐ近くにも関わらず、驚くほど静かな場所だった。
真昼間でも空気がひやっとしていて、キンという静かな音が響くような空間。
このフェスは、ショウにあった雰囲気、キャパシティ、背景をしっかりと把握しているのだなと感じる。
さすが一流。



フェスが始まるとフェイスペインティング屋さんが街中いたるところに現れる。
さや香さんが早速挑戦。



マニッシュな格好良いお姉さんが、何も言わずに描きあげてくれた。
すっかりフェス仕様になってご満悦の様子。




「バーバラビットのキャバレーショウ」は19時、「かたわれ」は22時が本番だった。
楽屋としてポイント隣のアパルトマンの一室が与えられる。
喧騒を避けてゆっくり準備ができる快適空間。




(photo by 鈴木さや香)

初日のラビット。
はじめは空きも見えた客席だったが、始まる頃にはぎっしりと後ろまで埋まっていた様子だった。
私は舞台真横から音響を操作。
難しいことはないとは言え、自分の心臓の音が耳元で聞こえるような気がする。
村田さんの緊張もひしひしと伝わってくる。
次々と起こる展開に対し、満員のはずの客席は非常に静かだった。
私の位置からは客席を見渡すことが出来ないのがもどかしい。
たった30分がじりじりと引き延ばされて感じられる。
焦れた時間の一番最後、開いた傘から色とりどりの紙吹雪が舞い散った時、やっと大きな拍手と歓声が聞こえてきた。
ようやく安堵したものの、シャロンのお客さん、シャロンの初日を知らない私たちは、どうにも不安が拭えない。
客席から写真を撮っていたさや香さんは、「みんな息を飲んでたんだと思う」と言った。

二日目の昼。
フェスのOFF部門のプログラムは、「Le journal」という新聞に毎日掲載される。
新聞にはプログラムのみならずショウの批評も載せられていて、皆がそれを読んでこれから観に行くものの目星をつけるのだ。
批評好きのフランスらしく、新聞には絶賛から酷評まで、様々な評価が押し並ぶ。
「良い記事以外なら一切取り上げられない方がいい」とあるアーティストが言っていたが、まさにその通り。

新聞は買ったものの開いて見ずにのほほんと食堂に行くと、知り合いであるAlek et Les Japonaisesのマイさんとアレックに会い、開口一番「新聞!見た!?」と言われる。



慌てて開くと、OFFプログラムの真横に一番大きな記事が。



マイさんが訳してくれる。
丁寧にショウを説明した記事の最後は、「このショウで味わうべきはラビットと人形のあいだで繰り広げられるコメディではなく、このアーティスト自身の驚異的な才能である。このショウはゆっくりと時間をかけて私たちを魅了していく。そして最後には、観客は彼女の才能を認めないわけにはいかなくなるはずだ。 」という絶賛の言葉で締めくくられていた。

すごいねー、良かったねー!と言ってくれるマイさんとアレックを見ながら、じぃんとし過ぎて涙が滲みそうになる。
そもそもAlek et Les Japonaisesと出会ったのも、二年前に何も知らずふらふら訪れたシャロン。
シルヴプレの堀江さんが「すごく面白いひとたちがいる」と紹介してくれて、何だか一緒にビールを飲ませてもらったのだった。
その後、いまは無き「キャバレー青い部屋」に出演してもらい、昨年にはAurillacで再会し、そして今年はシャロンで再び。
そういった全てが走馬灯のように頭をよぎり、加えてまたじぃん。
しかし当の本人、村田さんはどういった訳かこの時あまり実感が湧かなかったらしく、この日の深夜みんな寝静まった後、ようやくホテルで一人じわじわ喜んでいたそう。


(photo by 鈴木さや香)

考えてみれば、初日に記事が載るというのはありがたいことだ。
二日目からは五百人の会場が常に満員の状態となった。















(photo by 鈴木さや香) 

「バーバラビットのキャバレーショウ」は、ヨーロッパ的文化がいわゆる日本に期待するものとは、一見離れているように感じられがちだ。
その差を認めた上で、時には埋めたり離したりという作業を、この三年間とても丁寧に村田さんはやってきた。
日本とヨーロッパに住んでいるのは同じ人間だけれども、やはり違う。
そして違うけれども、もちろん同じ。
シャロンで喝采を浴びているのはその信念のように思えて、私は心が震えた。
同時に、この作品がまた新しい旅の出発地点に立ったのを見たような気がした。




リヨンから電車で一時間と少し。
次なる目的地シャロンスールソーヌ Chalon-sur-Saôneは、その名の通りソーヌ川沿いにある中規模の街。
二年前に訪れた時と同じく閑散とした駅に「本当にここでよかったのか?」と一瞬不安になるが、ホテルのある駅前広場は見慣れた景色だった。



ここでの出番はないのでホテルでお留守番する月くんとはにわちゃん。
シャロンのホテルはフェスティバル期間中すぐに満室になってしまうと聞いたので、まだ出演も確定しない昨年にホテルを予約した私たち。
行ってみたら三ツ星のモダンなホテル。
お値段も勿論三ツ星な訳だが、ここから始まるハードな日々を考えたら広々としたバスタブがあることはすごく有難い。



町に出てみると牛乳の自動販売機が。
ペットボトルを買ってセットすると新鮮な牛乳が注がれる仕組みらしい。


この街で行われる「CHALON DANS LA RUE」は、フランスでも指折りのストリートアートフェスティバル。
日本とは比べものにならないくらい多くのフェスが存在するフランスの中でもこのフェスは確固たるポシションに位置するらしく、アーティストと話せば二言目には「シャロンには出たことあるの?」と聞かれる。
普段は静かな街がこの5日間、約190プログラムを観に集まる人々でごった返す。


村田さんは今回「バーバラビットのキャバレーショウ」と「かたわれ」の二演目で出演。



出演者の大半はやはりフランスの人が占めている。
アジア圏は日本のみ、クレジットされているのは一人だけなので良い感じに目立つ。



いくつもの教会があるこの街の中でもひと際大きなカテドラル。
ここもショウのポイントになっていて、広場には千人もの観客が集まることもあるらしい。
二年前の炎天下、フランスで大活躍している日本人マイムアーティストシルヴプレのショウを観た場所。
(その時の様子が気になる方がもしいらしたらばコチラからどうぞ)
左右どころか前も後ろもちっとも分かっていなかった当時の状況を思い出すと、じわじわ感慨深い。




とても古いものらしいカテドラルの黒ずんだ壁にはステンドグラスが鮮やか。
3€の長い蝋燭に、初めて火を灯してみた。
おおまかに言えばそちらの方面に旅立ったユッキーに、お線香代わりに祈りをこめて。




もろもろ作業を終えふかふかのベットに倒れ込んだのも束の間、眠りの中に不穏な音が入り込んでくる。
まだ起きていた村田さんに「大変大変!変なのがこっち来るよ!」と叩き起こされた。
目を覚ますと、部屋中に鳴り響く轟音。
窓の外には、建物に映像を投影しながらDJしながらサックスを吹きながらゆっくりと走ってくる大きな車が。
車はホテルの目の前の広場に停まり、OHPや人の顔を建物に映し、最後にはポエトリーリーディングをして去って行った。
フェスティバルは明日からだから、これは前夜祭的なものなのか何なのか。
いわゆるストリートシアターだけでなく、アンダーグラウンド感漂うこういうパフォーマンスが混ぜ込まれているところが、とても面白いなと思う。




翌昼、カメラマンの鈴木さや香さんが日本から無事に到着。
トランジットした上海空港が怖かったりせっかく買って行った電車チケットが一日間違っていたりと大変な道中だったらしいが、なんとか合流出来てひと安心。
ここから遊侠サーカスが合流する8月中旬までは、しばし女三人の道中となる。
さや香さんも写真をたくさん載せたブログを頻繁に更新しているので、コチラから是非ご覧ください。



(photo by 鈴木さや香)

この日はフェス初日だが、上演されるプログラムのほとんどを占めるOFF部門のショウは二日目から始まるので、午後はヨーロッパ恒例となった宣伝用看板はりに取り組む。
シャロンではどのくらい必要なのかいまいち分からなかった作業だが、街には既にポスターがひしめき合っていたので加勢。
この作業を始めて三年目、貼り方のコツを段々と会得してきたような気がする。



ホテルに戻る頃、市役所広場には気球が浮かんでいた。

絶賛時差ボケで朦朧としていたさや香さんがようやく床に着いた頃。
部屋でワインを飲んでいると、遠くから徐々に忍び寄ってくる重低音。
まさかと思い窓を開けてみると…



昨日と同じアンダーグラウンド車が。
せっかく寝入ったさや香さんは飛び起きて外を眺め、「音が…こわい」と言い残しまたベッドに戻って行った。
最悪の寝心地であることは疑う余地もない。



私たちはせっかくなので下に降りてみる。
調整でもしたのか、建物に映る映像が昨日よりもくっきりとしている。
何となく音数や照明数も増えていて、全体的に昨日の三割増し。
どうやら前夜祭などと勝手な解釈をした昨日のパフォーマンスは、ただのリハだった様子だ。
益々パワーアップしたパフォーマンスを若干唖然として眺めながら、「これがもし毎晩続くとしたら…穏やかじゃないね!」と正直思った。




5日間置きっぱなしだった荷物たちを引き取りにベルリンへ。
結局ベルリンにはこの一晩のみの宿泊となり、後ろ髪をわし掴みでひかれつつも次の街へ。
スイスのベルンまで、12時間の電車旅。
案内画面には、数日前までいた都市の名前が表示されるので複雑な思い。

ベルンには、ソーニャとノアムが迎えに来てくれていた。
もともとは3年前、スイス・リュッサンのフェスティバル主催者アレックスの彼女として知り合ったソーニャ。
アレックスとはもう別れてしまったがその後も別に交流は続き、ここから二日間は昨年に引き続きグリエールにある彼女の実家に宿泊させてもらうことになっていた。

ノアムは今回初めて会った、ソーニャの友人。
ファッションデザイナーの彼は大の日本びいきで、年のうち半分を日本で過ごすという。
日本語も流暢なので、ローカル話で大いに盛り上がる。



典型的なスイススタイルのソーニャの実家。
彼女のお父さんとお兄さんは、グリエールで牧場を営んでいる。
作っているのは新鮮なミルク、そしてもちろんグリエールチーズ。



泊めてもらう部屋のベランダには、大きなカウベルがずらり。
ちょっとした鐘くらいの巨大サイズもある。
山での放牧の間、牛たちはこのベルを付けて過ごすのだそうだ。
ベランダから外を眺めていると、遠くの牛の鐘の音がカランコロンと聞こえてくる。




牛さんたちこんにちは。



だいぶ肥えているのは愛犬ピスカ。
常にお腹を空かせていて、牛の餌にまで手を出してしまうらしい。



自由に使っていいよと言われたキッチンには、思いがけないプレゼントが。
海苔、米、味噌汁、わさび、麺、豆腐、醤油に酢まで。
なんとソーニャが日本食の材料を買い揃えていてくれたのだ。
他にもスプリングオニオン、もやし、生姜などなどアジアン系の食材がずらり。



この晩はソーニャとノアムと4人でご飯。
茄子と豚肉の味噌炒め、野菜あんかけの揚げ出し豆腐などを作る。
約二週間ぶりの米食にほっこり。

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村田さんは大好物のメレンゲ+ダブルクリームをたっぷり食べてご満悦。
このお菓子はグリエールの名産。
特殊な窯で長時間かけて焼くことにより中がキャラメリゼされたメレンゲに、ダブルクリームというとっても濃厚な生クリームをかけて頂くもの。

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ダブルクリームの容器には、もちろんアルプスホルンを吹くおじさんが。


翌日はたまりにたまった洗濯をさせてもらい、鉄道のチケットなどを手配し、ソーニャの友人のパーティーになぜか参加させてもらう。



男はみんな棒が好き。
ちょっと遊んでみたら、ヒートアップして大変なことに。



焼きつけるように緑を照らす夕暮れから始まり、刻々と色を変えながら沈んでいく陽が鮮やかで、目が離せなかった。

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ソーニャとわたしたち。
二日間じゃ、とてもじゃないけれど全然足りない。
たとえ言葉の壁があろうとも、いつまでも話が尽きることのない大切な友達。
早朝仕事に向かう彼女と寝起きでのお別れだったので、今回は泣かずに済んだ。

駅までは、まったくフランス語しか喋らない上に超マシンガントークの陽気なソーニャ母に送ってもらう。
私たちが言葉をさっぱり分かっていなかろうと、気にも留めず話し続けるお母さん。ナイスガッツ。


電車に乗ってふたたびリュッサン、アレックスのところへ。
ドイツの前に置かせてもらっていた荷物をまとめたら、次はいよいよフランスだ。

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私たちの帰りを待ちわびていた様子の隣人アンヌマリーさんも迎えてくれて、一緒に夕食をとる。
これまでの日々のことを話しながら、素敵なキッチンでサラダ作りのお手伝い。

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彼女は、今朝作りたてだというモッツァレラチーズを用意してくれていた。
見事な織物のような層を舌に感じる。
そして甘く芳醇なミルクの香り。
いままで食べたモッツァレラがまるで別物みたいに思えてしまう。

翌朝テラスへ行くと、もう着なくなったという防寒具たちが積み重ねられていた。
村田さんとそれぞれ一着ずつ、ジャケットをお下がりしてもらう。
「あなたたちが着てくれるのは何よりも嬉しいわ!」とアンヌマリーさん。
駅まで車に乗せてくれてプラットフォームで見送ってくれる彼女に手を振っていたら、やっぱり涙が出てきてしまった。
知的でやさしくとても誇り高い、スイスのおばあちゃん。
同じ空の下、あの美しい庭に彼女はいつも通り居るのだと思い浮かべることは、世界のどこにいても私をあたたかく落ち着いた気持ちにさせてくれる。
頂いたジャケットを着る季節がくるのを、とても楽しみに待っている。


アンヌマリーさんが持たせてくれたチーズとクラッカーのお弁当を食べながらフランスに入る。
滞在先はフランス第二の都市リヨン。
ここでは溜まってしまった作業を片づけることにとにかく専念。
キッチンつきのアパートなので、毎日の自炊が唯一の楽しみとなる。


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水餃子を作ってみたり。

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またうどんを打ってみたり。
麺棒がなかったのでワイン瓶で代用したのが良かったのか、初めて作った時よりも良い伸びっぷり。

そして今回の一番のヒットは何と言ってもこれ。



YukkiYOYOのブログをなんとなく参照して作ったクレープ!
すごく簡単なのに本格的な味が楽しめるお勧めレシピ。

材料はこちら。

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小麦粉、卵、牛乳、オリーブ油、ビール、塩。
ビールを入れるのが大事なポイント。
分量や手順などは上記のユッキーブログをご参照ください。



生ハム×卵。
フランスは生ハムが安いからと言ってあまり調子に乗って入れ過ぎるとしょっぱい。

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半熟の卵を絡めて食べるのが最高!



ロックフォールチーズ×蜂蜜。

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溶け出すロックフォールと蜂蜜の色気むんむんな絡み合い。
こんなにいやらしい食べ物があっていいものか!
一口食べると悶絶間違いなし。
いま写真を見ただけでも涎が垂れてきそう。
中毒性たっぷりの、大変危険な組み合わせ。

この旅行中、私は何度もクレープを焼くのだと思う。
ロックフォールを溶かし蜂蜜を絡めては身悶えするのだと思う。
そしてこんなに素晴らしい組み合わせに出会ってもなお、新たな刺激を私はまた求めてしまうのだと思う。
ああなんて罪深いクレープ道!


次はある意味この旅の山場、「Chalon dans la rue」への参加です。
写真家・鈴木さや香さんも合流し、いよいよツアーらしくなる予定。




FUSION FESの翌日。
シャトルでベルリンまで送ってもらい、荷物を宿に放り込み、一路エッセンへ。

6/27にYukkiYOYOは勤務地であったエッセンで亡くなったとのだという。
この日、エッセンにはユッキーの妻みづきちゃん、そしてユッキーのお母さんが到着していた。
何の偶然か、私たちはほぼ初めてドイツにいて、ここから1週間ほどのオフの予定だった。


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以下オフィシャルサイトより↓

【YukkiYOYO/鈴木幸宏 Yukihiro SUZUKI】 
世界中のアーティストの集まるヨーロッパ指折りのサーカス学校、CNAC(フランス国立)に史上初、ヨーヨーで入学。
現在ヨーロッパを拠点に活動する唯一の日本人サーカスアーティスト。
2つのヨーヨーを自在に操り、ダンスとアクロバットを組み合わせた独特な身体表現。
技を披露していくといった従来のジャグリングとは一線を画した、舞台を意識し音楽、照明と融合した独自の世界感を展開。
 ヨーロッパのサーカス、バラエティーシアターやキャバレーを中心に活動中。
2012年1月からドイツ最大のバラエティーシアターGOPに出演。6月末まで。
ヨーヨーをはじめ、ディアボロ、8リング、江戸太神楽など。

YukkiYOYO PV "Zero"



私自身がユッキーと初めて会ったのは2010年のフランス、アヴィニヨン。
村田さんと行くはじめてのヨーロッパツアーで、アヴィニヨン演劇祭に参加していたユッキーのショウを観たのが最初だったように思う。
その後、2011年5月4日に開催した「バーバラ村田のよるべナイト vol.3~極東のシルク・ド・ドゥマン編~」に出演してもらえることとなる。
このイベントは彼の帰国スケジュールに合わせて日程を決め、彼のショウのためにそれまでよりも舞台が広く天井の高いスターパインズカフェに会場を移した。
2011年の夏のヨーロッパ遠征では、ユッキーはドイツで仕事をしていて不在だったがパリの家に泊めてもらい、奥さんのみづきちゃんと毎晩楽しく飲みまくった。
ツアーの最後、パリ郊外のレジデンス施設にも訪れてくれて、フランスの人たちにおにぎりを勧めてくれた姿がありありと浮かんでくる。
今年は私たちと入れ違いで日本に帰国すると聞いていたけれど、8月末にはまたパリでアペロしようねとみづきちゃんと話していた。
(注・アペロとはみづきちゃんいわく、ぼんやり食べたり飲んだりすること)


エッセンに着いたのは夜遅く。
みづきちゃんとユッキーのお母さんと街へ出てビールを飲み、ユッキーが出演していたヴァリエテ・GOPの彼の部屋で少し食事をする。
ショウの最後の分まできちんとまとめられたヨーヨーの紐たちが目に焼きつく。



翌日、ケルンに宿泊するという二人に便乗させてもらうことになる。



昨年、ユッキーはこの劇場SENFTOPFCHEN THEATERに出演していたそう。
その時のショウの名前は「Cirque de tuque」、フランス語とドイツ語の言葉遊びで「ゲイのサーカス」という意味らしい。
このショウのことはみづきちゃんの話やユッキーのブログからよく覚えていたのだけれど、まさかこんな形でこの劇場に来るとは。
「Cirque de tuque」 のオーガナイザーであるシュテファンが、今回ケルンでの宿泊施設を手配してくれたのだと言う。



ライン川にかかる橋は恋人たちの鍵でいっぱい。
連想するのはどうしても江の島。

ホテルは中心部から少し離れているとは言え、ビジネスマンがたくさん宿泊している四つ星ホテル。
「Cirque de tuque」  の期間中、ユッキーもここに泊まっていたそうだ。
ホテルに着いてお母さんはしばらく仮眠を取り、みづきちゃんはPCで様々な作業を、私たちは部屋の片隅にただただ座っている。

夜になると、ユッキーの友人で写真家のアチュールが車でやって来た。



アチュールの車はメルセデスベンツのオープンカー。
生まれて初めてのオープンカーに、まさかこんなタイミングで。



ケルンの街を走り抜けアチュールが連れて行ってくれたのは、高層スカイラウンジバー。
ライトアップされた大聖堂などを見ながら、ピニャコラーダやキューバリバーを飲む。
こうして行動だけ並べると、女四人まるでバカンスのよう。
オープンカーで浴びる風もスカイラウンジで当たる夜風も、とても心地いい。
そして、頭のどこかがずっとひどく痺れている。
みづきちゃんとお母さんの痺れは如何ほどだろう。


次の日は、ようやくユッキーに会える日。



ユッキヨーヨー・ラストショー。
アチュールが作ってくれたこのチラシを、みづきちゃんは「ユッキーらしい!」と言ってとても気に入っていた。

こんな時に何を着ればいいものか、ちょうど持っていた黒いワンピースをひっつかんでは来たものの足元はスニーカーしかないし…と朝ひそかに悩んでいたら、みづきちゃんがきれいな薄桃色のワンピースを用意していたので、普通の服に着替えることにした。
お母さんが、丁寧にそのワンピースにアイロンをかけていた。

迎えに来てくれたアチュールのオープンカー(さすがにこの日は屋根は開けない)で、デュッセルドルフの斎場へ。

何もかもがあまりに急なことだったにも関わらず、「Cirque de tuque」の出演者さんたち、パリから駆け付けたユッキーのエージェンシーのハトさん、ベルリンからやって来たジャグラーのまろさん、GOPのショウを観られたというお客さんのご夫妻が、ユッキーに会いに来ていた。
みづきちゃんが当日の車の中でまで一生懸命編集していたユッキーのスライドショーが流れる。
スライドショーのBGMは、ユッキーのお気に入りの曲たち。
漫画「ジョジョの奇妙な冒険」が大好きなユッキーは、ジョジョに出てくる石仮面を料理で作ったり、至るところで様々な人にジョジョのポーズ(ジョジョ立ち)をさせて写真を撮ったりしている。
ついつい笑ってしまう写真たち。
そしてユッキーは、とても穏やかに眠っていた。
衣裳をまとい地下足袋を履いて、これまで出演したショウのポスターやジョジョのカレンダーに囲まれて、手には銀色で赤く光るいつものヨーヨーを持って、深く静かに眠っていた。
「向こうで仕事が出来ないと困るからね」と、みづきちゃんはヨーヨーの紐や名刺も持たせてあげる。

ラストショーは2時までの予定だったが斎場が閉まるまでは居てもいいということになり、ユッキーを囲みながらゆっくりと皆で話す。
「こんなにユッキーの顔ちゃんと見たの初めてやわ。贅沢やわ。」とハトさん。
長い時間ただただユッキーを囲んで皆が居る、それは確かに滅多にないような時間だった。


ユッキートリビュート、斎場の前でジョジョ立ち記念撮影。
なんと用意のいいことか、三脚とカメラ用リモコンを持ってきていたまろさんのおかげで撮ることが出来た一枚。



「お腹すいたでしょう。何か食べにいこう。」というお母さんの一声で斎場を後にし、近くの豚肉押しなレストランへ。
ドイツ名物シュニッツェル、平たく言えばドイツ版トンカツ。
トンカツと言えども日本のものよりさっぱりしているので食べやすい。

電車の時間からハトさんは先に発ち、私たち四人と少し遅い電車だったまろさんが残った。
ゆっくりと駅に向かおうとしたところ、「この近くに良い河があるので見に行きませんか」とまろさん。
そういえばまろさんは昼一緒に街に出た際も、「ここから少し、ほんの少しだけ歩いたところに良い河があるんですよ」としきりに河をお勧めしていた。
そんなに言うなら…と足を運ぶと、ごちゃごちゃした街中から数分のところに、広く開けた河が現れた。
遠い対岸には遊園地。



河とみづきちゃん。
薄桃色のワンピースが河の反射に透けてとても綺麗だったことを、くっきりと覚えている。
「そういえば黒っぽい服じゃなきゃいけなかったのかな。お葬式じゃないと思ってたから、全然考えてなかった。」と言った彼女に、「きれいにしていてくれた方がユッキーは嬉しいからいいのよ。」とお母さんは答えた。

デュッセルドルフから電車でケルンへ戻り、みづきちゃんと村田さんと三人でホテルのスパへ。
足湯につかりながらサウナに入りながら、尽きることのない話をする。
なんだか修学旅行みたいだな、と思う。




翌日朝、再びデュッセルドルフ。
緑に溢れた広く穏やかな墓地で、ユッキーは荼毘に付されました。



園内には花が咲き誇りとても美しい。
みづきちゃん、お母さん、そして私たち二人とアチュールで、最後のお別れ。
光に満ちたやさしい朝だった。

見送った後、飛行機の都合でどうしても今日帰らなければならないお母さんを送りに空港へ向かう。
一人で帰ることになるお母さんをケアしてもらおうと、みづきちゃんは何人も係員をつかまえて必死に訴える。
「大丈夫だよ!なんとかなるよ!」と明るく笑い、力強く何度も手を振りながらお母さんは一足先に日本へと向かっていった。

ユッキーと一緒に帰るため次の日に便を変更したみづきちゃんと、私たちが後に残る。
この日はアチュールがケルンの自宅に泊めてくれるとのこと。
屋根を開けたオープンカーで再び走り出すと、「この近くに湖があるから行ってみよう」とアチュール。



どうやらここは、いくつかの湖からなるウォータースポーツ施設のよう。
子供たちが次々に水上スキーに挑んでは放り出されている。
水着を着ていないのは私たちくらいだが、アウトドアを楽しむような気分では残念ながらない。
というか、三人ともアウトドアなタイプではもともとない。
写真家の性ゆえか、なぜかアチュールに背景を細かく指定されて撮影されたりした後、日を浴びた疲れもあり車でうたた寝。
起きると、ケルンのダウンタウンに到着していた。

「二時間したら迎えに来るから、ダウンタウンで遊んだりお茶をしているといい。」とアチュール。
そう言えば私たちは取るものもとりあえずここまで飛んできてしまったため、身に付けるものに非常に困窮していた。
何はともあれH&Mを探して街中をうろうろ。
無事発見し、なるべく明るい色の新しい下着を購入。
みづきちゃんは、これまた明るいピンク色のワンピースを購入。
アチュールと合流して、夕飯の買い出しにスーパーマーケットへ。
ユッキーが学んだサーカス学校CNACがシャンパーニュにあるということにちなんで、この夜はシャンパンを飲むことにする。



宿泊させてもらう部屋をいそいそ整えてくれた後、いそいそスパゲッティ・ボロネーゼを作ってくれるアチュール。
「何も手伝いはいらないよ!」とのお言葉にありがたく乗っかって、私たちはシャワーを浴びて新しい服に着替えて再び化粧をする。
下着は新しくなったけれど上に着るものの代わりがないなと思っていたら、みづきちゃんがカットソーをお下がりしてくれた。
同じく代わりがなかった村田さんは、ユッキーのTシャツをお下がりしてもらう。



ヨーヨーストア リワインドさん、譲り受けました。




アチュールは途中で茹で時間を忘れてしまったらしく鍋から溢れださんばかりにパスタが膨らんでいたけれど、給食みたいでほっとする味だった。
あとからシュテファンもやってくる。



もうお腹いっぱいなのに、山盛り食べさせられるシュテファン。



もちろん最後はお決まり、がっつりデザート。
アイスクリームにたっぷりのホイップクリーム、そこにサワーチェリーとシナモンとこれまたたっぷりのエッグリキュール。
どぼどぼとかけられたエッグリキュールが普通にアルコールなので、なかなか強烈。



シャンパンのことをすっかり忘れてたアチュールのせいでシャーベット状態になってしまったモエのロゼが瓶から吹き出す。
ぎゃあぎゃあ大騒ぎしながらグラスに受け止め、「ユッキーありがとう!」と言ってみんなで飲む。
ドイツに来てからずっとお酒を飲まなかったみづきちゃんも、この日はシャンパンを2杯口にした。


遅くまで続くパーティーの、すっかり暗くなったテラスの外を見つめていると、闇の中で踊るふたつのヨーヨーがふと視界の端に映るような気がしてならない。
光を紡ぐようなあの美しい軌跡が、ふいに現れるような気がしてならない。
あんなに綺麗なものがもうここにないなんて、どうしてなのだろう。


翌朝、ユッキーと一緒にみづきちゃんは日本へ帰って行った。
空港の窓ガラスに張り付いて誰かを見送ったのなんて初めて。
昨日買ったピンク色の新しいワンピースを着て、ひとりで全部を持って、真っ直ぐに歩いて行く彼女を消えるまで見送った。

日本語ですら大変なさまざまな手続きを、みづきちゃんは英語で、しかも慣れないドイツでやり通した。
次から次に起こる予測不可能奇想天外なハプニングも、「だんだん慣れてきました」と言って放った彼女。
小柄でふわふわしていて子猫のような彼女の体に詰まっている強靭さに感嘆し続けた日々だった。

この五日間、私たちはよく笑ったと思う。
引きちぎれそうなのと同じくらい、たくさんたくさん笑ったのだと思う。 
激しい風に吹かれ続けながら一本の杭を必至にみんなで掴んでいたような五日間だった。 



YukkiYOYOのご冥福を心からお祈りすると共に、これまでに見せてくれた素晴らしいパフォーマンスに、心からの感謝と拍手を送ります。
どうぞゆっくり眠ってねと言いたいところだけれども、本当に結構いろいろと大変だったのだから、最愛の人たちのことを、これから先どうかしっかりと見守っていてください。
ユッキーのショウをまた観られるのだと思えば、あちら側に行く楽しみも大分増えるような気がしています。
26年間、本当に本当にお疲れさま。
会ったらまた、アペロをしようね。