葬儀や法事について、ちょっと書いてみたくなりました。
きっかけは、Kumaーp さんのこちらの記事。
Kumaーp さんはお寺の息子さんだそうで、色々と裏話が書かれていて面白いですよ👀
この記事を読んでいたら、私の両親の葬儀を思い出したのです。
両親の葬儀の時。。
父が亡くなり、数年後に母が亡くなりましたが、
一人っ子の私は葬儀屋さんとの打ち合わせや親戚への連絡などで寝る暇もありませんでした。
悲しむ間もなく、お通夜の料理やお返しを考えないといけないし、弔問客の対応などでクタクタに。
人が亡くなった時は何らかの儀式があった方が良いのかもしれませんが、お経は退屈で足がしびれるばかりだし、戒名に高いお金を払うのも疑問。
亡くなった人を偲ぶ食事会のようなものでも良いんじゃないかな?
などと思いました。
葬儀や法事と言えば、過去記事に書いたのですが、
釈迦は弟子に「自分の死後は、葬式も墓もいらない。遺骨はガンジス川に流すように」と言ったとか。
釈迦の教えは「こだわらない。執着しない」。
なので、釈迦の教えには、葬式もお墓も仏壇も位牌も戒名も法要(法事)もありません。 そういうものは後々付け加えられたもの。
そもそも、釈迦は仏教という宗教の開祖になるつもりはなかったそうで、自分が悟った真理を人々に伝えるため、伝道の旅を続けた生涯でした。
仏教は、釈迦が生まれたインド北部のヒマラヤ山麓から、インド、中国、日本へと伝わる中で色々と変化し、
日本に入って来てからも神道の要素を取り入れたり、様々な宗派に枝分かれしていきます。
ちなみに、日本の法要(法事)の「四十九日」は釈迦が誕生する前の、古いインドの思想が由来。
「百ヶ日」「一周忌」「三回忌」は、中国の儒教の影響で、 「七回忌」以降の法要は日本で独自に付け加えられたものだそうです。
お彼岸やお盆は、日本古来からの先祖霊をまつる風習や神道の影響とのこと。
最後に余談ですが、面倒と思いながらも慣習やしきたりに従順に従う日本人だから、いったんマスクがルールになると無意味と思ってもなかなか外せないのかもしれませんね(^^;