さて、今年もすっかりサボりがちなブログですが(笑)
先週末25日は、若草山の山焼きに行って来ました。
ダンナ様の仕事仲間と相方さんやら総勢5名。
午前中は自由行動?だったので
私たちは一路、般若寺へ。
現在、水仙が見頃を迎えているのです。
般若寺と言えば、コスモスが有名で
別名「コスモス寺」と呼ばれています。
冬のこの時期は水仙がキレイなのです。
石仏と水仙。結構気に入っています。
ロウバイも咲いていました。
年に数回は訪れているのですが四季折々
色んな風景が味わえます。
のんびりとしていますと、当日の参加者の
Tさんカップルが東大寺にいるとのこと。
じゃあ合流しようということで待ち合わせ場所を
東大寺戒壇堂に。
ここは、私の大好きな写真家
入江泰吉さんの写真で有名な広目天像が
あるところです。
★戒壇堂
出家者が受戒(正規の僧となるための戒律を授けられる)
するための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上
を招いて創建された。現在の建物は享保18年(1733年)
の再建である。
内部には中央に法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の所説
に基づく宝塔があり、その周囲を四天王像が守っている。
★塑造四天王立像(国宝)
法華堂の日光・月光菩薩像とともに、奈良時代の塑像の
最高傑作の1つ。
怒りの表情をあらわにした持国天、増長天像と、眉をひそめ
怒りを内に秘めた広目天、多聞天像の対照がみごとである。
記録によれば、創建当初の戒壇院四天王像は銅造であったので、今ある四天王像は後世に他の堂から移したものであることが明らかである。
-ウィキペディアより転載-
入江泰吉と言えば奈良大和路を代表する写真家です
★入江泰吉(いりえたいきち)1905~1992
奈良大和路の写真家
1905(明治38)年、奈良市に生まれる。
画家を志すが家族の反対で断念するも、
長兄からアメリカ・イーストマン社の
ベストコダック・カメラを譲り受け、写真に打ち込む。
1931(昭和6)年、大阪で写真店「光芸社」を開業。
文楽人形を撮影した「春の文楽」で世界移動写真展
一等賞を受賞、文楽の写真家として活躍する。
1945(昭和20)年3月、大阪大空襲に遭い自宅兼店舗が全焼、
ふるさと奈良へ引き揚げる。
同年11月17日、疎開先から戻される東大寺法華堂四天王像
を目撃、そのときアメリカに接収されるとの噂を聞き、写真
に記録することを決意。
以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念。
晩年は「万葉の花」を手掛けるなど約半世紀にわたって
撮り続けた。
1992(平成4)年1月16日死去。享年86歳。
この広目天は有名なポスターがあります。
我が家には永久保存用(笑)と2枚あります。
現在はおそらく入手できないのではと思います。
一枚は部屋に飾ってみようかと思うのですが・・・
少しこわい。。。。(@_@;)
別に悪いことはしてはいないのですが・・(笑)
実際は少し小さめの仏像なのですが
写真を見るたびに圧倒されます。
Tさんは感動しまくりでした(^^ゞ
戒壇堂を後にしまして近くにある
入江泰吉邸なんて見ながら次の
(何故だか表札が無くなっていた・・・)
前週に下見もして撮影場所は2ヶ所に決めて
いたのですが当日のお天気が下り坂との事。
万が一、小雨でも降ったら大変なので
某建物の立体駐車場に決定。
ただ場所がせまいので、場所取りもしないと
いけないだろうってことで早めに行きました。
幸いにも私たちが着いた時には、まだ
誰もいませんでした。
「早い目に来てよかったねー」
なんて言いながら撮影の準備をしていると、
もう一人参加者でもある、
ダンナ様の仕事仲間のKさん合流。
これで合計5人揃いました。
三脚を立て、構図を考えながら準備。
若草山の山焼きは、花火が午後6時15分から
点火は午後6時半。
準備が終わった頃には、時刻は午後3時。
昨年末に続き時間との闘いです(笑)
交替で食事やら休憩をしていますと
何処からともなくカメラマンのオジさん登場。
すぐにイッパイになってしまいました。
ここは某建物の6階だったのですが・・・
各階にはその頃にはすでにかなりの
三脚が並んでいました。
そうこうしているうちに花火の打ち上げの時間が-
600発の花火が打ち上げられます。
集まって人だかりが出来ていました。
ただ、よく写真でCMされているようには
ならない
(これは撮影方法が違う、または合成)
ので案外?花火以外は地味なのです(^^ゞ
今年はよく燃えたそうで・・・
よく燃えるほどいいらしいです。
興味のない人から見るとただの山火事に
見えるかも知れませんが(^-^;
花火打ち上げから半時間ほど・・・
山焼きも終わりです。
あとは、お茶でも-ってことになりまして
楽しい時間を過ごしたあと
無事に散会となりました。
先週末25日は、若草山の山焼きに行って来ました。
ダンナ様の仕事仲間と相方さんやら総勢5名。
午前中は自由行動?だったので
私たちは一路、般若寺へ。
現在、水仙が見頃を迎えているのです。
般若寺と言えば、コスモスが有名で
別名「コスモス寺」と呼ばれています。
冬のこの時期は水仙がキレイなのです。
石仏と水仙。結構気に入っています。
ロウバイも咲いていました。
年に数回は訪れているのですが四季折々
色んな風景が味わえます。
のんびりとしていますと、当日の参加者の
Tさんカップルが東大寺にいるとのこと。
じゃあ合流しようということで待ち合わせ場所を
東大寺戒壇堂に。
ノンビリと鹿が・・・
ここは、私の大好きな写真家
入江泰吉さんの写真で有名な広目天像が
あるところです。
★戒壇堂
出家者が受戒(正規の僧となるための戒律を授けられる)
するための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上
を招いて創建された。現在の建物は享保18年(1733年)
の再建である。
内部には中央に法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の所説
に基づく宝塔があり、その周囲を四天王像が守っている。
★塑造四天王立像(国宝)
法華堂の日光・月光菩薩像とともに、奈良時代の塑像の
最高傑作の1つ。
怒りの表情をあらわにした持国天、増長天像と、眉をひそめ
怒りを内に秘めた広目天、多聞天像の対照がみごとである。
記録によれば、創建当初の戒壇院四天王像は銅造であったので、今ある四天王像は後世に他の堂から移したものであることが明らかである。
-ウィキペディアより転載-
入江泰吉と言えば奈良大和路を代表する写真家です
★入江泰吉(いりえたいきち)1905~1992
奈良大和路の写真家
1905(明治38)年、奈良市に生まれる。
画家を志すが家族の反対で断念するも、
長兄からアメリカ・イーストマン社の
ベストコダック・カメラを譲り受け、写真に打ち込む。
1931(昭和6)年、大阪で写真店「光芸社」を開業。
文楽人形を撮影した「春の文楽」で世界移動写真展
一等賞を受賞、文楽の写真家として活躍する。
1945(昭和20)年3月、大阪大空襲に遭い自宅兼店舗が全焼、
ふるさと奈良へ引き揚げる。
同年11月17日、疎開先から戻される東大寺法華堂四天王像
を目撃、そのときアメリカに接収されるとの噂を聞き、写真
に記録することを決意。
以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念。
晩年は「万葉の花」を手掛けるなど約半世紀にわたって
撮り続けた。
1992(平成4)年1月16日死去。享年86歳。
この広目天は有名なポスターがあります。
我が家には永久保存用(笑)と2枚あります。
現在はおそらく入手できないのではと思います。
一枚は部屋に飾ってみようかと思うのですが・・・
少しこわい。。。。(@_@;)
別に悪いことはしてはいないのですが・・(笑)
実際は少し小さめの仏像なのですが
写真を見るたびに圧倒されます。
Tさんは感動しまくりでした(^^ゞ
戒壇堂を後にしまして近くにある
入江泰吉邸なんて見ながら次の
(何故だか表札が無くなっていた・・・)
これは以前撮影したものです。
前週に下見もして撮影場所は2ヶ所に決めて
いたのですが当日のお天気が下り坂との事。
万が一、小雨でも降ったら大変なので
某建物の立体駐車場に決定。
ただ場所がせまいので、場所取りもしないと
いけないだろうってことで早めに行きました。
幸いにも私たちが着いた時には、まだ
誰もいませんでした。
「早い目に来てよかったねー」
なんて言いながら撮影の準備をしていると、
もう一人参加者でもある、
ダンナ様の仕事仲間のKさん合流。
これで合計5人揃いました。
三脚を立て、構図を考えながら準備。
若草山の山焼きは、花火が午後6時15分から
点火は午後6時半。
準備が終わった頃には、時刻は午後3時。
昨年末に続き時間との闘いです(笑)
交替で食事やら休憩をしていますと
何処からともなくカメラマンのオジさん登場。
すぐにイッパイになってしまいました。
ここは某建物の6階だったのですが・・・
各階にはその頃にはすでにかなりの
三脚が並んでいました。
そうこうしているうちに花火の打ち上げの時間が-
600発の花火が打ち上げられます。
そのあとに点火されて山焼きの始まりデス。
集まって人だかりが出来ていました。
ただ、よく写真でCMされているようには
ならない
(これは撮影方法が違う、または合成)
ので案外?花火以外は地味なのです(^^ゞ
今年はよく燃えたそうで・・・
よく燃えるほどいいらしいです。
興味のない人から見るとただの山火事に
見えるかも知れませんが(^-^;
花火打ち上げから半時間ほど・・・
山焼きも終わりです。
あとは、お茶でも-ってことになりまして
楽しい時間を過ごしたあと
無事に散会となりました。