2日かけて読み終わりました、グラスホッパー。
また感想をズルズルと書きますので、暇な方はお付き合い下さい。
以下、ネタバレ注意です。
この物語の中心人物は3人。
妻を殺され復讐を企てる元教師「鈴木」
自殺専門の殺し屋で大男の「鯨」
ナイフ使いの若者「蝉」
この3人の思いが交差する「殺し屋」小説。
鈴木は妻を殺した男に復讐するため、怪しい組織である「フロイライン≪令嬢≫」に忍び込む。
毎日街で若者に声をかけては、健康にいいと嘘をつき薬物漬けにする仕事。
そんな中、妻を殺した寺原長男が車に轢かれる現場を見る。
寺原長男の死はただの事故ではなく「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業だった。
鈴木は現場から立ち去る押し屋の姿を追う。
寺原長男が押し屋によって殺されたのをみたのは鈴木だけではなかった。
ホテルの一室で自殺させていた鯨も、その押し屋の姿をみていた。
殺し屋業界では有名であった寺原長男の死はあっという間に広がり、父でありフロイライン社長の寺原は必死に犯人を追っていた。
もちろん、この話は鯨の耳にも、蝉の耳にもはいっている。
そんなとき、鯨はある政治家から仕事の依頼だと呼び出される。
が、実際にはその政治家が始末しようとしていたのは鯨本人であった。
その鯨の始末を依頼したのが「蝉」である。
しかし蝉は、待ち合わせ場所に向かう途中、話題になっている「押し屋」を知る人物に会い、遅刻してしまった。
その結果、その政治家は鯨に殺され、鯨は蝉の正体を追うとともに、押し屋に関心を寄せる。
それぞれが「押し屋」の正体を追う中で、彼らの正義と悪との戦いがこの物語には濃く伺える。
その例として、鯨は罪悪感と言う名の幻覚、彼が殺してきた人間の霊が見えるようになる。
彼の残した「人はみんな死にたがっている」という言葉も深い。
ところで、
いつも思うのですが、(いつもといってもまだ更新した記事は少ないのですが)
わたしは物語のあらすじをまとめることが苦手で…。特に伊坂さんの作品は至る所に伏線が散りばめられてるので、ひとつひとつを紹介しているとごちゃごちゃになってしまうというか。
でも、ここにまとめるにあたってざっくりとでも物語をまとめたいという気持ちもあって…
もっと簡潔に、伝わりやすいようになりたいです。拙い文でごめんなさい。
ここからはわたしが心に残った言葉を。
>>「やるしかないじゃない」
これは鈴木の亡くなった奥さんの口癖で、「扉があったら、開けるしかないでしょ。開けたら、入ってみないと。人がいたら、話しかけてみるし、皿が出てきたら、食べてみる。機会があったら、やるしかないでしょ」
この言葉はいま弱ってるわたしの心にすごく響いたのです。
いろいろ考えたり、悩んだりしてもしょうがなくて、やってみるしかない。やるしかない。世の中きっとやるしかないことだらけですう。
この言葉は正義感と戦う鈴木を後押しする言葉でもあるんですよね。
>>「同じトノサマバッタでもいろいろいるわけだ。まあ、理屈としては、仲間がたくさんいる場所で生きてると、餌が足りなくなるから、別の場所へ行けるように飛翔力が高くなるってことらしい」
「俺は、バッタだけの話ではないと思う」
「どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。気づけば飛びバッタ、だ」
「人もごちゃごちゃしたところで、暮らしていたら、おかしくなる。人間は密集して暮らしている。通勤ラッシュや行楽地なんて、感動ものだ」
はあ。なるほどねえ。
それでおかしくなっちゃう人がいるといわれても否定できません。
本のタイトルにもなっているグラスホッパー。バッタ。
人は哺乳類より虫に近いという言葉が出てきますが、人間がたくさん集まっているこの街で、穏やかに生きていくことがいちばん難しいのかもしれません。
>>「そうそう、話は変わりますが、最近、読んだ本にこういうのがありました。未来は神様のレシピで決まる、と」
これはですね、伊坂さんの「ラッシュライフ」という本の中のフレーズです。
そして、ラッシュライフの中でこの"神様"
は決して特別な存在ではなく、"普遍的な何か"であるとも言っています。
何か安心できる存在が常に自分を見ていてくれたら、極度に不安になることはないんじゃないか、と。
神様は怒らず、穏やかで、強い。伊坂さんの本の中には「神様」や「王様」の類がよく出てきますが、わたしの中ではこんなイメージです。
そんな自分の力じゃどうにもならないこと、どう足掻いても変わることのない、つまり神様のレシピで、人生はもう決まっているのかもしれません。
>>神はおろか、他人はおろか、自分自身にさえ何もしてもらえないのが現実ではないか。その当たり前のことに気づいたとたん、人は自ら死にたくなるのかもしれない。人はただ生きていて、目的はない。死んでいるように生きているのが、通常なのだ。その事実を知って、死を決断する。
自殺専門の殺し屋である鯨の前で、人が自殺を決断する瞬間はきっと、いろんなことを悟った瞬間なんだと思う。
これも、神様のレシピで決められた運命なのだと悟った瞬間、人は死を決断する。
それが死でなくても、人はそんな瞬間に出会うことがあるんじゃないかなあ。まさに絶望的な瞬間に。
>>「危機感ってのは、頭では分かっていても、意外に実感を伴わないものだからね」
「いくら危ない状況にいてもね、たぶん大丈夫だろう、って思うもんなんだって。危険、と書かれた箱だって、開けてみるまでは、『それほど危険じゃないだろう』って高をくくってるわけ。指名手配犯がパチンコ屋に行くのと同じ心理だよ。まあ大丈夫じゃねぇか、って考えてるわけ。急に大変なことにはならないだろう、って。肺癌になると言われても、煙草をやめないのと同じ」
たしかに、そうかもしれない。
危ない!危険!といわれてもどこかで「まあ大丈夫でしょ」とわたしも高をくくることがあります。
それが大丈夫じゃないことを身をもって感じて初めて危険だと認識する。
でも、きっとその時に気づいたんじゃもう遅い。
>>「世の中の不幸の大半は、誰かが高をくくっているうちに起きたんだと思うよ」
国際的な問題も、それこそ戦争やテロだって「そんなにすぐ大事にはならないだろう」って高をくくってるうちに起きたんだよ、きっと。
そして、わたしたちは今も「明日世界がなくなることはないだろう」って高をくくって、まるで明日が来ることが当たり前みたいに生きてる。
分かってるつもりでも、無意識に。
それはとっても怖いことだなあ。と思う反面、幸せなことだとも思う。だって、毎日次の1秒にビクビクしてたらもたないでしょう。
わたしがこの本を読んで感じたのは、悪いことしたら自分に返ってくるってシンプルなものでした。
けどそこに至るまでのバックグラウンドは重くて、暗くて、深い。
映画化も決まってるということで、映像にしたらどうなるのか楽しみ。
マカッチェンさん。コメントありがとうございました!
「フェアはファウル!ファウルはフェア!」という言葉がありましたが、フェアとファウルの線引きはきっと、あってないようなものですよね。
自分にとっての境目と、世間の境目もきっと違うでしょうし。
でも、フェアだと信じて走ることが大切です。何事も。
では、今日はこの辺で。