しかし、その考えが一変する出来事が起こります。35~45歳くらいの働き盛り、子どもは生まれたばかりから小学生低学年くらいなど一番守ってあげたい人がいらっしゃる年代の男性のお客様たちが軒並み、身体に不調を訴えて、まともな保険商品をご提案できないという現実を突きつけられました。
自分がしていることは本当にお客様を守ることになっているのか。全く意味のない仕事をしているのではないかと疑念をいだき、それ以降一件も保険商品を売りたくなくなり、売れなくなってしまいました。
毎日のように上司から数時間に及ぶ詰問をされ、気づいたときにはノイローゼになっていました。当時、会社のテレビCMが流れると条件反射的に涙を流してました。怖くて、テレビをつけれなくなっていたことをこの文章を書きながら思い出しました。
保険を売れない(売らない)ということはイコール給料が支払われなくなることを意味しています、50万だった給料は、最後の月は給料5万?とかになっていたように記憶しています・・・・。そしてミもココロもぼろぼろになった私は冷静な判断をすることもできないまま、逃げるように退社することになりました。
診断を受けてないのでなんとも言えませんが、今思えば、うつ病だったと思います。「死にたい、死にたい。」と口ずさんでいたらしいです(本人はその頃の記憶がうる覚えで、ほぼ覚えていません・・・・)。
回復期間を数ヶ月設けて再就職しましたが、正社員で戻ることが怖くて怖くて、派遣で割り切った形での就職することにしました。そんな生活の中でも、意味のある仕事をいつの日にかしたいという気持ちだけは残っていて、本質的に体のため(健康のため)になることを身に付けてそれをお仕事にしたいと模索していました。
一生できること、一生できること、本質的なこと、本質的なこと・・・・・と自問自答していたところ、ある日、インスピレーションが降りてきて「ウォーキングだ!!!!」となり、WEBで検索したところ、「デュークズウォーク」の創始者である、デューク更家氏のHPにたどり着きました。その時ちょうどデュークズウォーク創設15周年ということでイベントが行われる時期で早速、そのイベントに参加することにしました。
デューク更家氏を、そしてウォーキングを教えるってどういうことなんだろうと思ってイベントに参加しました。しかし、一番印象に残った(衝撃をうけった)のはデューク更家氏のお弟子さんたちの立ち姿、特にうしろ姿の綺麗さでした。圧巻でした。
ウォーキングとは歩き姿(動)が綺麗になると思っていたのに、それ以上に立ち姿(静)がこの上なく綺麗になるんだということをその時知りました。
私はその当時27歳。私よりお姉さまと思われる方たちばかりなのに、本当に本当に若々しく素敵で私もそんな風になりたい。とにかく習いたい!!!!と思い、その直後より約1年間、デューク更家氏のプライベートウォーキングレッスンに通い始めました。
1年経った頃、更に深く知りたい、もっと綺麗に歩けるようになりたい(極めたい?みたいな気持ちだったように思います)という思いが抑えられなくなり、そのためには弟子になったほうがいいのかな・・・・?わたしもウォーキング教える立場になりたいと思ってるのかな??なと思い始め、デューク更家氏にその気持ちを話したところ、めでたく内弟子にしていただくことが出来ました。
内弟子時代の3年間は、ここでは語りきれないほどの濃密な経験の連続でした。
デューク更家氏(以下師匠と呼びます。)から学んだことはウォーキングにとどまらず、カラダとココロとタマシイを一直線に結ぶ(心身ともに健康になる)ことだったり、神様と仲良くなる(運を味方につける、運をみずからたぐり寄せる)方法だったり、天と地を結んで場の浄化(歩くパワースポット化)をすることだったり、面白くて仕方のない内容の学び。そして、ひたすら実践の日々でした。
私が皆今、さまざまな形でウォーキングを教えさせていただけるお役目をいただけているのは間違いなくこの師匠の内弟子として、沢山の会場で、さまざまな方々に、さまざまな状況下でウォーキングレッスンをさせていただくことが出来たからです。
その中でも師匠のプライベートレッスンのアシスタント時代の2年間は格別でした。今もなお、私の中に残っているウォーキングの揺らぎのリズムはこの2年間師匠の隣で幾度も幾度も反復してカラダに刻み込まれたものです。
ウォーキングはどんな人でもしていること。ただ、教えてもらったことってありますか??歩きを知ることで、いいこといっぱいあります。
そんなことを伝えていきたくて、今日もウォーキングをお伝えするお役目を全うさせていただいております。
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