心に青雲さんのブログより

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日本に「戦犯」はいない

 

「殉国七士に捧げる追悼コンサートのご案内」というメールが届いた。いわゆる保守派の方からである。
 このようなコンサートは、何度か案内をもらったことがある。
 今回は「東京裁判により処刑された七士と、GHQにより処刑された殉国六十烈士や3百万余の戦没者の慰霊に日本の心の歌を捧げるコンサートが開催されるとの案内であった。

 12月19日(金)午後6時より、東京豊島公会堂で開催、と。
 その案内メールにつけられていた趣意書が以下であった。


    *     *     *
 《日本に「A級戦犯」はいない》

東京裁判が国際法による根拠を持たない不法な裁判であったこと、勝者の勝手な裁きであったことは言うまでもないことである。
 日本は、敗者としてこの裁判の判決を受け入れた。
 しかしながら、
サンフランシスコ平和条約発効直後の昭和27年5月1日、木村篤太郎法務総裁は戦犯の国内法上の解釈の変更を通達し、戦犯死者はすべて「公務死」として扱われることとなった。犯罪者ではなくなった

 27年に日本弁護士連合会が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出したことを契機に、全国に運動が広がり、四千万通もの署名が集まった。27年6月、12月、28年6月と衆議院で釈放、赦免に関する決議が行われ、関係連合国との交渉が進められた

 昭和30年7月19日の衆議院本会議で即時赦免決議が全会一致で採択され、日本から戦犯はいなくなったのである。
 元ニューヨーク・タイムスの東京支局長だったヘンリー・ストークス氏は、『英国人記者がみた 連合国戦勝史観の虚妄』で、靖国神社に「A級戦犯」が祭られているのは許せないという人は、余程の無知か、国会決議を全く無視する反民主主義者としか思えないといっている。

 (中略)
 国際的にも完全に片がついていたということである。これを逆転させようとする悪質日本人がいることは悲しむべきことである。


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 ヘンリー・ストークスが言うように、靖国神社に「A級戦犯」が祭られているのは許せないという人は、余程の無知か、国会決議を全く無視する反民主主義者としか思えない、とは同感である。
 しかし、なぜいまだにそうしたGHQによる洗脳が解けず、解こうともしない馬鹿者の認識やいかに? ではないだろうか。

 東京裁判について思うときに、実に不快になる。
 この勝者によるただのリンチに、ほとんどの日本国民がアメリカが正義だったと騙された。私も学校教育や、朝日新聞などによって騙されたからである。

 私がその東京裁判史観から抜け出ることができたキッカケは、仕事で親しくさせていただいていたある画家から、藤田嗣治の戦争中の絵を教えていただいたときだった。
 その画家もビルマ戦線に行き、九死に一生を得て復員された方であった。

 以前にもブログで書いたことがあったが、「太平洋戦争名画集」を見ながら、藤田の絵と、その他の従軍画家との違いを熱く語っていただいたのである。「太平洋戦争名画集」はもう絶版である。
 藤田と比較して、当時の宮本三郎、小磯良平、川端龍子など著名画家が軍部に動員されて、戦地に赴いて、いわゆる戦意昂揚の絵を描き、展覧会をやったものである。
 
 終戦後、すべてアメリカ軍がそれを奪い取り、本国に持ち帰ったがかなり経ってから返還され、今は東京竹橋の国立近代美術館に保存されている。その画集だった。
 藤田以外の絵描きどもは、下手くそ極まるというか、そもそも写実ということがまったくわかっていないレベルであった。

 画集で見てさえ、藤田の戦場の絵は質感が違った。兵隊の血や汗の匂いがし、爆弾が破裂する音さえ聴こえるようなリアル感が表現されているが、他はデッサンさえまともじゃなくて、見るに耐えないシロモノなのである。

 だから下手な画家どものやっかみがあったのだろうが、藤田だけが「戦犯」扱いされて日本画壇から追放された。戦後、巨匠などとちやほやされた画家ども、そして美術学校で教えた連中も、私は信用しなくなった。
 日本の画壇なるものは、こんな藝術もわからず、絵も下手な愚物どもが偉そうに集っているのだ。

 私に絵というものを教えてくれた画家は、戦争画を描いただけで犯罪者扱いした日本の風潮を嘆き、西洋の名画にはゴマンと戦争を描いた作品がある。戦争を描こうが、裸婦を描こうが、藝術とは人をして能動的にさせるべきものだ、写実ならばその対象の本質的なものを提示できなければダメだと、くり返し教えていただいた。

 だから、頭から日本は戦争をしたダメな国だとか、戦争自体がダメだとか、そんな単純な考え方はいけない、と。
 それまでの私のものの見方をガラリと変えさせられたのだった。そこからGHQの洗脳が解けるきっかけになった。

 余談ながら、その画家の指導がなかったら、私はのちに空手をやるようなことにはならなかっただろう。なにせ、戦争はいけない、暴力はいけないと思い込んでいたのだから、暴力の際たる空手には嫌悪感しかなかったのだから。

 プロ野球やプロサッカーでは、優勝を逃したチームはきっとマスゴミ(スポーツ紙)が「誰それがA級戦犯だ」などと吊るし上げをする記事にしている。不愉快である。選手はそれぞれ精一杯やったのであり、ミスがあるのはしょうがない。誰かが勝ち、誰かが負けるだけのことだ。

 戦争だって、そんなものである。負けたら何もかも一方的に悪とされる謂れはない。
 それを、GHQに洗脳された戦後教育の鵜呑みで、軽々しく「戦犯」などと言うものではない。ほんとうにスポーツ新聞の記者はタチが悪い。無教養。恥知らず。


 たかがスポーツ記事ではあっても、普段から「戦犯」との言葉を見聞きするから、大衆は洗脳が解けにくくなる。この総選挙のあとにも、週刊誌がさっそく議席を減らした政党を指して「戦犯は誰か」みたいな見出しをかかげていた。
 日本のマスゴミはやぱりユダヤの下請けだから、ユダヤの言うがままに日本人を罪悪感や劣等意識に浸らせておくべく、スポーツの世界にまで「戦犯」を浸透させようとしているのであろうか。