壱岐対馬の住民を惨殺し鬼にも等しいと記憶されていた元寇の朝鮮人

「鬼にも等しい」殺戮ぶりをつたえる言葉や地名が今も残る 「蒙古襲来」で壱岐・対馬を蹂躙した高麗軍の蛮行は忘れられたのか  東北女子大学教授 太田弘毅

「日本人は反省していない」「歴史の現実を直視せよ」-歴史教科書問題では韓国側から日本への激しい抗議が相次いだ。反省すべき歴史とは、植民地統治ばかりか豊臣秀吉による朝鮮出兵、倭寇などまでさかのぼるという。しかしその一方で、日韓関係史において韓国人による日本人虐殺の歴史があったことは意外と知られていない。蒙古襲来時に起きたその歴史的事件をアジア軍事史を専門とする東北女子大学の太田弘毅教授が遺された史料をもとに読み解く。

13世紀後半に起こった元帝国(蒙古・モンゴル)による日本侵攻を、日本側では蒙古襲来とか、元寇と呼ぶ。ヨーロッパとアジアにまたがる大帝国を建設した蒙古人は、中国本土にも攻め入り元帝国を創始した。高麗(918~1392年、現在の韓国・北朝鮮の位置に存在していた王朝)を征服後、日本を服属させようと、使者を送ってきたのである。しかし、鎌倉幕府の拒否にあい、武力征服を決意するに至る。第1次蒙古襲来(文永の役)は、文永11年(1274年)に、第2次のそれ(弘安の役)は、弘安4年(1281年)に実行された。なお、蒙古襲来の意味は字義の如くである。元寇とは、元帝国が日本へ「寇」――あだをなす――するという意で、日本を侵略することにほかならない。

女は手に穴を開け縄を通して連れて行った

しかし「蒙古」とか「元」という表面の文字に惑わされてはいけない。日本を襲撃しその残虐さをもって日本人を恐怖のドン底に陥れた「元軍」は、「蒙古」人のみから構成されていたのではなかった。日本遠征軍は、蒙古人・高麗人・漢人(北部中国在住の漢民族、旧金国の支配下にあった)・女真人(満州人)により組織されていた連合軍だった。そして、高麗連合日本遠征時には、朝鮮半島から出発した艦船隊の建造に従ったり、兵員や船乗りとして、日本へ来たのだ。そして他の民族よりも日本襲撃に大きな役割を果たした。実際、2回にわたって日本遠征軍を迎え撃った日本軍、あるいは日本人の脳裏には、各民族部隊の中で蒙古人部隊と、高麗人部隊の乱暴狼藉ぶりが深く印象づけられた。そして、蒙古人と高麗人は、鬼にも等しい、と恐怖した結果が、この時に生まれた「むくりこくりの鬼が来る」とい、う言葉に表われている。「むくり」とは蒙古人を指し、「こくり」とは高麗人を意味する(語源は高麗)。「辞苑」(博文館、1935年)を引くと、次のようにある。



むくり・こくり「蒙古高句麗」
1、(蒙古及び高句麗の名から来た話)蒙吉のことを一に蒙古高句麗の鬼が来るといって怖れたから、転じて小児の泣くのを止めるのに「むくりこくり、鬼が来る」と威す風習となった。
2、無埋・非道なさま。この言葉で「小児」を「威す風習」は北海道を除く日本全国に流布している。また、「無理・非道なさま」とあり、極悪非道の人々というイメージが、「むくりこくり」には存在する。



このようにして見てくると、蒙古襲来は、高麗襲来とも呼んでもよいし、元寇は高麗寇と言い換えても大きな誤りとは言えない側面をもつ。高麗人の襲来であり、高麗人の侵略でもあったからだ。蒙古人の陰に隠れた形になってはいるが、高麗人の残暴行為を看過してはならない。では、高麗人が行なった残虐行為とは具体的にどのようなものだったのだろうか。これは、「伏敵編」所取の「高祖遺文録」に、次のように残っている。この「遺文録』は、日蓮の遺文を集めた記事集である。



《去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし)、》



「百姓」=一般人は「男ヲハ或ハ殺シ、或ハ生取ニシ」ている状況とともに「女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生取ニス」とある。そして、「男」と「女」に懸かるのであろうか、「一人モ助カル者ナシ」と書かれている。壱岐でも、同様の残虐な仕打ちがなされた。この史料を取めている「伏敵編」には、「按(あんずるに)」として、編者のコメントがある。



《索(さく=ひも)ヲ以(もっ)テ手頭ト手頭トヲ連結シタルニ非ズシテ、女虜ノ手掌(たなごころ)ヲ穿傷(せんしょう)シ、索ヲ貫キ舷瑞(ふなべりはた)ニ結着シタルヲ謂(い)フナリ。日本書紀天智帝二年紀ニ、(百済王豊璋嫌福信有謀反心、以革穿掌而縛(かわうがちたなごころしばる)、)トアリ、以テ證スヘシ、》



ここでは、高麗の前身の国家である「百済」を引き合いに出し「手掌ヲ穿傷……手の平に穴をあけてそこへ縄を通す」の意云々のやり方を、朝鮮半島において古来より続く伝統的行為としているまさに、この残虐行為を証拠として高麗人の仕業、と編者は判断している。日蓮は、対馬や壱岐、あるいは九州本土における惨劇を『高祖遺文録」の各個所で言及している。



《皆人の当時の壱岐対馬の様にならせ給(たま)はん事思ひやり候へば涙も留まらず。》(「類纂高祖遺文録」、改題「類纂日蓮聖人遺文集平成版」)



「涙も留まらず」とあり、惨劇を悼むとともに、将来の不安の言辞なのだ。また他所で、



《壱岐対馬九国の兵士並びに男女、多く或は殺され或は擒(と)られ或は海に入り或は崖より堕(お)ちし者幾千万と云ふ事なし。》(同右書)



とある。なお、対馬壱岐を侵した後、元艦船隊は鷹島へ向かった。そして、上陸軍を揚げている。「八幡愚童記」(伏敵編」所収)には、



《同十六日、十七日平戸能古、鷹島辺(あたり)の男女多く捕(とらわ)らる。松浦党敗北す。》



とある。「男女」が「捕らる」のだから、捕囚され強制連行されたことにほかならない。高麗人部隊も、これに関与していたと考えられる。

高麗人への恐怖から親は子どもを殺した

弘安の役時、壱岐・対馬における「高麗ノ兵船」による残虐行為は、当時の日本人にとっては衝撃的出来事であった。
そもそも「高麗ノ兵船」は、「高麗」から出発したところの「兵船」の意味もある。だが、やはり「高麗」人が多く乗り込んだ「高麗」入の「兵船」とする解釈の方が、ずっと重いと考えてよいだろう。「八幡愚童訓」(『日本思想大系}、甲本)は、弘安の役に参戦した「国々」を次のように明記している。



《弘安四年ノ夏比(なつごろ)、蒙古人、大唐・高麗以下ノ国々共ノ兵ヲ駈具(かりぐし)テ、十万七千八百四艘ノ大船ニ数千万人乗連(のりつらね)テ襲来ス。》



そして、「国々共ノ兵」と言い、「国々」そして民族の「兵」に焦点を合わせている。したがって、「蒙古人」の「兵」と、「大唐」の「兵」そして「高麗」の「兵」という意識が、ここには存する。『八幡愚童訓は、蒙古人、大唐・高麗以下ノ国々共ノ兵」として、参加国の兵の国籍を挙げているのだが、明確に唯一つ例示して「高麗ノ兵船」の残虐行為を強調する。



《其(その)中ニ高麗ノ兵船五百艘ハ壱岐・対馬ヨリ上り、見ル者ヲバ打殺(うちころ)ス。人民堪難(たえかね)テ、妻子ヲ引具(ひきぐ)シ深山へ避入処(のがれいる)ニ、赤子ノ泣声ヲ聞付テモ押寄ケレバ、片時ノ命モ惜ケレバニヤ、褊(さしも)愛スル緑子(みどりご)ヲ我ト泣々害シツツ、世ノ中ニ最(もっとも)惜キ物ハ子也(なり)ケリ其(それ)ニ増(まされ)ルハ我身也ケリト詠ジケル、人ノ愛(すさみ)ゾ思出ラルル。是ヨリシテ、高麗ノ船ハ宗像(むなかた)ノ沖ニヨル。蒙古・大唐ノ船共ハ対馬ニハ不寄(よらず)、壱岐ノ嶋ニ着。》



ここでは、日本人狩りをしている元上陸軍の掃討作戦の光景を描いており、自分の居場所を元上陸軍に知られまいと、「泣々害する(殺す)あさましい親の姿を、子供にも「増(まさ)ルハ我身也(わがみなり)ケリ」と、冷めた文で結んでいる。もっとも、このような行動を、親に採らせるに至ったのは、まぎれもなく高麗人部隊への恐怖なのだ。加えて、逃げ場のない島嶼部という地理的制約が、これに輪をかける。「蒙古大唐ノ船共」は、「対馬ニハ不寄」して、「壱岐ノ嶋」のみに「着」と記しているが、これは江南軍主力は別隊の「高麗ノ兵船」とは、異なったルートを辿っていることを示している。しかし、単なるルートの差異のみを言っだけではなく、出会った日本人に対する行為にも相違があったとのニューアンスを表現しているようである。「高麗ノ兵船」が特に〃残虐的〃だった可能性が高い。

長崎県北松浦郡鷹島町には、蒙古襲来にまつわる地名、あるいは悲劇の話が存在する、弘安の役時、この島の沖を含む伊万里湾・平戸方面で、合同した東路軍・江南軍両艦船隊が大暴風雨によって壊滅した件によって、有名な島でもある。この島は弘安の役も勿論だが、文永の役時にも寇掠を受けていた。地名には、首除・伊野利(祈り)の浜・刀の元・供養の元・地獄谷・血崎・血浦・胴代・鬼塚・遠矢の原等々がある。また、鶏が鳴いたため元上陸軍に発見され、一家皆殺しにされた開田という所では、今でも鶏を飼わない風習が残っている。

日本による韓国・中国への侵略だけが操り返し糾弾される昨今だが、彼らによって日本が受けた傷跡が今もなお残っていることも憶えておく必要があるだろう。




~~~~~上記転載~~~~~~~~~


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