現在では、少なくともインド、ヨーロッパ圏の神話はすべてシュメール神話に源泉を持つことが明らかになっている

-ミステリーハンター-より



みかんのブログ

古代メソポタミア文明は、メソポタミアに生まれた複数の文明を総称する呼び名である。文明初期の中心となったのはシュメール人である。 

地域的に、北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。南部の下流域であるシュメールから、上流の北部に向かって文明が広がっていった。

-メソポタミア - Wikipedia-


シュメール人は、葦の藁でくさび形文字を粘土板に書いていた。これら数百、数千もの粘土板が考古学の発掘で発見されている。これら平板の多くが発見され翻訳され、旧約聖書として知られている物語の、元の話と主題の原形が浮かび上がって来ている粘土板の殆どは、旧約聖書の最も初期のものより、少なくとも数千年は古い。シュメール文化は、後の偉大な文明に巨大なインパクトを与え、また骨組みを成立させた。


創造:人が泥からどのように作られ、鼻から息を吹きかけられて生を得たという話は、創世記2章7節で語られているが、これは遙かに古いシュメールの創造神話のコピーなのだ。シュメールの伝説は、7つの平板の叙事詩、エヌマ・エリシュ、「初めに」として保存されている。


人間の創造:シュメールから発掘された粘土板には、女の創造、エデンの園や人間の堕落と原罪に関する聖書の物語の、生い立ちを説明する物語がある。アダムのあばら骨からどのように女が作られたのかという奇妙な物語は、道理に適ってはいない。何故あばら骨なのか?聖書の書き手がテンプレートとして利用した元の話を読めば、全てが明確になる。


*以下、旧約の「人間の創造」の原型であるシュメールの物語 


ディルムン(現在のバーレーン)の楽園の地は、シュメールの東に位置していたと言われている。聖書の物語では、エデンの園は「東部」に置かれていたとある。神話によると、ディルムンの楽園の地は光り輝く清潔な場所で、病気も死も存在しない命の土地、不滅の土地であったという。

しかしながら、ディルムンの楽園の地にはある物が欠けていた。水である。しかし水を司る神エンキは、ディルムンの楽園の地を豊富な果樹、花や茂みに溢れた神聖な庭に転じる川を創造した。

その後、偉大なシュメールの地母神ニンフルサグが入り、この神聖な庭に8種類の異なる植物を創造した。

とても幸せだったエンキは、これら8種の植物の果実を味わいたいと願い、召使いのイシムード(2つの顔を持った神)に果実を集めて来させ、それらを代わる代わる食べていった。これがニンフルサグを激怒させ、彼女はエンキに致命的な呪いをかけた後に、そこから立ち去った。エンキは、食べた果実に相当する8つの異なる臓器や体の部分を患うことになった。エンキの体調は急速に悪化し、他の神々は唖然としたが、衆望のあるエンキを救う術を持っていなかった。ついに狐がニンフルサグを見つけたが、(この物語の一部が消失しているため、正確にどのような方法によったのかは分からない。)

最終的にニンフルサグは帰還し、エンキ彼女の膝に横たえ、に身体のどの部分が悪いのか尋ねた。ニンフルサグが、患っている身体の部分に相当する8人の治癒の女神を創造すると、間もなくエンキは回復した。悪化した身体の部分の1つが肋骨であり、シュメール語で肋骨は「ティ」と呼ばれている。女神はエンキの肋骨を治療するために、「ニンティ」と呼ばれる「肋骨の女」を意味する女を作った。しかし、シュメール語で「ティ」は「生命」、或いは「生命の創造」という意味も持っており、これを「生命を創造する女」という解釈もできる。


「エデン」という名も、シュメール語に由来しており、単に「平原や平らな地形」を意味する。その名前は、メソポタミアの都市国家ラガシュとウンマの間で、両都市の間に位置する肥沃なグ・エディナの川谷(エデンの川岸)を、どちらが統治するべきかという論争に由来している。

-ChemBlog-ケムログ-より



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