2015年10月3日付


※ この記事はステロイド治療への切り替え記録となるため、以下に保存しています。
テーマ【ステロイド治療切り替え】



2015年10月1日 ステロイド治療に切り替えました。
プロアクティブ療法とか、最近の治療はよく把握していないのと、流行り治療よりも私の体質をよく理解してくれているお医者さんに相談をして、自分も一緒に治療や薬を決めたかったので、今、標準治療と言われているステロイドの治療とは少々異なるかもしれません。


先のことはわかりませんが、プロトピックも今は使うつもりはありません。
元々通っていた札幌の主治医の先生も標準治療はこうだからと一辺倒の治療をする先生でないので、経過を見ながら治療を決めていく予定です。


ここからの記事は、しばらくの間、おそらく数ヶ月は私自身の備忘録となりますが、この記事では私の考えをはっきりと書いておこうかなと思います。


まず、最初に言えるのが、私は脱ステの限界を感じた訳ではなく、精神的に限界だった訳でもないです。


ステロイドを使うことにしたことを、個人的に付き合いのある脱ステしている友達に話した時に、「脱ステは間違いなのかな?」と言われました。
私からは間違いとも正しいとも言えないし、結局本人の考え次第になるんじゃないのかなぁ・・・?


私も時間があと最低でも5年あれば(5~10歳若かったらかな)、もう少し続けていたと思うしなぁ。
仕事や生活やお金が許す猶予を考えると少し時間が足りなかった。


ステロイドはアトピーの人にとっては、皮膚科で言われるように簡単に「少しずつ止められる」もんでもないし、「少しずつ弱くする」ことができるもんでもない。
だから、「うまく使えば何の問題もない」とも思わない。
使わないで済む人なら使わない方がいいし、そういう人なら脱ステだって数年で済むんじゃないかな。


脱ステ、非ステが正しいかなんて、一言で言うなら「人による」「本人次第」としか言えないけど、子供や学生の方(20代の若い人も含むかも)、それに大人になってから突然皮膚科でアトピーだと言われたという人には今でも私はステロイドを使うことをお勧めしないし、身近な人なら全力で止める。


実際、最近友達が顎に酷いぶつぶつ(ニキビにも似た赤く炎症した丘疹でした)ができて数ヶ月間ずっと治らないと言っていて、もう皮膚科に行くしかないのかも・・・と言ってきたけど、とにかく睡眠を勧めたw
できればスマホの電源を切って深い睡眠。
食事とかお風呂とか元から美容関連に気を遣っている友達なので、そもそも私から言えることもそんなにない。


それはともかく、大人のアトピーに脱ステが有効かどうか、脱ステをこのまま続けるべきか考えたときに、いつも私が念頭においていたのはこんなことです。
1.体質や環境
2.脱ステで目指すものがどのようなことか
3.リミットはいつか
4.自分が脱ステ中の生活の品質(外見を含む)をどう感じているか


体質については言うまでもなく、脱ステしている人なら誰もが感じているかと思いますが、人によって回復の早さがぜんぜん違います。
私はこの6年、何度も最初のリバウンド級の悪化を繰り返したけど、そうではなく年々良くなってちょっとした炎症が済んでいる人もたくさんいます。


悪化の繰り返しの原因は、食事だとか、運動不足だとか、不摂生だとか色々な説があり、私も、少なからずそれらも影響しているとは思います。
でも、どんなに生活に気を遣っていてもやっぱり避けようがなく来てしまう悪化の波というものがあり、実際に体験して感じたとしか言えないけれど、もうそれは、何か決定的な原因があってのものではないように思えます。


私は精神的にも多分弱い方ではなく、外見が皮ボロで醜くなっても、動くのが辛くても、友達と会ったりしていましたし、気持ちだけでライブに行ってしまったけれど、体はついて来れず、ライブ中ずっとトイレで掻いていて、溢れる汁をタオルで抑えつつ、漏れてくる大音響を掻きながら聞いていたこともあります。


周りを気にせず普通の生活をすることで、逆にアトピーの悪化がふせげるとも言うけど、私も体が動く限りは仕事にも行っていたし普段通りの生活をしていて、地元主治医である宮澤先生お墨付きの頑丈で前向きな精神を持っているけど、それでも、突然リバウンド級の悪化が訪れました。


それこそが体質というものなんじゃないかなと、ここ最近は思い始めていました。
もちろん、ステロイド使用歴やプロトピック使用有無もあるでしょうが、残念ながら今現在はそれを含めたものが私の体質です。


だから、元々がアトピーの体質でなく、薬の使用歴が浅くて免疫機能がおかしくなっていないのなら、脱ステ後は炎症しやすい状態や過敏な状態も含めて改善して、肌も綺麗になったという話にも納得がいく。
それもステロイドが抜けた後のその人の体質だと思うから、それならステロイドでわざわざ免疫を落としたり体調を不安定にするのはもったいないと思ってます。


もちろん、元からアトピーだった場合も脱ステして自分の免疫力で治癒させる方が自然なことだと思うけど、思いがけず長くかかる場合がある。私はそうでした。


ただ、私もつい最近までは、体質が影響して長くかかったとしても、脱ステのままいくつもりではいました。
リミットまでの時間も十分にあると思っていました。


私の脱ステで目指していたもの、脱ステのきっかけとなったことは、昔少しだけこのブログで書いたことがありますが、母親が他界して強く思ったのが、これから5年後、10年後には父親を私が支えたいということでした。
そして、それが脱ステの一番のきっかけであり、目指す到着点でした。


ちなみに、直接的なきっかけは、ステロイドとプロトピックを塗っても塗っても顔も体も真っ赤に腫れてどうにもならなくなったから。
薬が効かなくなったタイミングをきっかけに本気で脱ステをするか、いつまでにどうしたいかを考えた時に、私の目指すものは前述したようなものではっきりと固まっていました。


脱ステ前、月に1度の皮膚科が欠かせず、それでも体調が万全ということはなく薬が効きにくい時期もあるし、過去には2度薬が全く効かなくなり塗っても塗ってもリバウンドを起こしたことがあります。
そんな状態で、父親が年老いた時に私が支えられるのか?
金銭的にも体力的も。きっと無理だろうと思いました。


母親は、闘病中も他界のほんの直前も、私の体質ばかり心配して私の将来を心配していた。
多分心残りのまま他界してしまったと思う。私が健康になることが昔から両親の望みでした。


父親を支えられるくらいに自分の生活基盤を整えるため、脱ステで通年安定した生活を送れるようになるという目標へのリミットは、せいぜい5年の予定でした。
見た目の目標やリミットは別として、劇悪化がなく仕事を休まずに済み、ある程度普通の速度で日常の行動ができて、身の回りのことだけでなく付き合い的なことも難なくできる状態を5年以内に固めたかった。
できれば、その頃までに金銭的にも社会的にも安定させたかった。


私は、転職して就活中に脱ステを開始して、脱ステ中に更に2度転職をして今は3つ目の会社に勤めています。
それまで躊躇なく転職をできたのは、リミットがまだあったからです。
その時3ヶ月程度休養しても、より安定した状態で転職してまだ少しあるリミット前に生活基盤を整えられると思っていたからです。


そして、脱ステ5年経過を迎え、ここからは転職して基盤の作り直しはもうないなと思っていました。
今の会社は過去の会社に比べると待遇等も安定しているので、このまま何事も無ければこの会社にいようと思っていましたが、去年2ヶ月の休養をしてしまいました。


去年休養した時から、次回劇悪化した場合、また休養して信用を失いたくないと思っていたし、退職して出直しももうしないと決めていました。
今年になってから昇進の話がありましたが、体調に自信がなく断りました。
でも、逆に体調に自信が無いからこそ、生活基盤を整えていくために断ってはいけなかったような気がしています。


そんな状況を経て、次回休職の可能性のある悪化の兆候が見られたら、迷わず手を打つつもりでした。
躊躇してどっちつかずにならないように。
5年経過後から少しずつ意識してきたことを、今年に入ってから気持ちの上でははっきりと決めていました。そして、この時期に急降下だけはしないように十分に意識をしていました。


でも、9月末、私のウィークポイントの体幹、肋骨部分と下腹部のいつも劇悪化やMRSA感染が始まる部分が赤く腫れて汁が薄っすらと出始め、数日様子を見たけれど皮膚の奥の奥から汁がじわじわと湧き出してくる感触と汁の刺激臭が強くなり、当然のように特徴的な鋭い痒みが出てきました。


何度も経験したけど、悪化が加速すると、1日で患部が激変する。
腹部の腫れは汁と痒み痛みで計れないけど1日で20センチは腫れたと思う。
この状態は本当に異常だよなと毎回思う。ホラー映画級の異変だと思う。
普通の皮膚炎の枠にはおさまらない異常さを感じる。
どうして昨日まで触れることのできた皮膚が剥がしたでも捲れたでもなく、突然溶けたように無くなっているんだろう?


悪化速度が突然加速したため、ここが気持ちの切り替え時だと思い、翌日には皮膚科に行きました。
悪化が加速する直前までは、首や顔から汁が出ていても落屑が増えても、痒くて会社のトイレに逃げ込んでも次回皮膚科ではステロイドについて聞いてみようかなくらいのつもりでした。
ですが、その日の皮膚科に向かっている時は既にどのようにステロイドを使おうかという相談をすることが前提でした。


私の地元の主治医の宮澤先生には、最初に、「ステロイドを使うと決めた」ことと、「使い方についての相談をしたい」と言いましたが、真っ先に「阪南に入院しないか?」と言われました。
脱ステで全く良くなっていないならともかく、長期間、調子のいい時期があったから、脱ステのままいけるんじゃないかという見立て。


ですが、仕事や生活基盤、年齢や親の話をすると、もう決めたなら仕方ないなと、すぐに切り替えてくれて、どうやって依存しない(依存症にならない)ステロイドの使い方をするか考えようと言われました。
皮膚科受診風景や私の体質を考えての指導は別な機会に書きます。


その日先生に、「阪南まで入院しにいく時間が取れれば今回も自宅療養でいけるし、症状もまだぜんぜん我慢できるし、精神的にはまだまだ余裕あるんですよね、実は。」と言ったら、「そうだろうね。」と言われた。


この先生にはもっと精神的に限界近い時も見られているし、二人で私の全身から滲み出るきつい汁の匂いに包まれながら、横になったままで診察を受けたこともある。
その時でさえ、私は「え?ステロイド?使いませんよ。」と即答していたので、色々見通されている気がしました。
私にとって、『精神的に辛い時期を一時ステロイドで楽になっておいて仕切り直してま脱ステ』なんて、時間の無駄でしかなかったので、そういうステロイドの使い方だけはしたくなかった。


そんな経緯もあったから、今回の決断は、一時凌ぎではないとすぐに分かってくれて、その上で、『精神的に余裕があるなら勿体無いね』なんて言われなかったのが逆に救われました。
受診時にはもう気持ちは切り替えてましたが、勿体無いという気持ちはやっぱり奥底
にはあったんですよね。
6年と2ヶ月間、完全脱ステ、脱プロ、ほぼ脱保湿ですから。


そして、私の脱ステ中の精神状態や症状を知っていた上で、事情を理解してステロイドの使用に協力してくれるのが、ありがたいと思いました。


ちなみに、処方については受診風景で書きますが、まず、1ヶ月だけ様子見でステロイドを使ってまたステロイドを抜こうとか、脱ステ後だから弱いステロイドでも効くだろうし弱いもので調整しようという薬の使い方はしません。
最初から思い切ります。
宮澤先生もそのつもりでの処方と今後の予定を立ててくれました。


続きます