●質問➡カインとはアダムとエバの最初の子供です、カインの妻は誰だったのですか
●回答➡聖書は、カインの妻が誰であったかは書いていません、唯一の可能性として、カインの妻は彼の妹、姪、または兄弟の孫娘などということになります、聖書はカインがアベルを殺した時に何歳であったかも記録していません(創世記4章)二人とも農夫だったので充分成長した大人であり、それぞれ家族を持っていたと思われます、アベルが殺された時にアダムとエバには、カインとアベルだけではなくたくさんの多くの子供がいたと思われます、その後もさらに多くの子供が生まれています(創世記5章)アベルを殺した後、カインが自分の命が人から狙われると恐れているという事実(創世記4章)は、その頃にはアダムとエバに多くの子供達、たぶん孫やひ孫までもいたであろうということを示しています、カインの妻はアダムとエバの娘か孫娘だったのです、アダムとエバは最初で唯一の人類だったので、その子供達は親族同士で結婚するしか選択がなかったのです、神はずっと後になって人口が増えて、親族間での結婚が必要でなくなるまで、親族間の結婚を禁じてはおられなかったのです(レビ記18章)親近交換で生まれた子供に遺伝子の異常がよくみられる理由は、同じ様な遺伝子を持った男女(たとえば兄弟姉妹)が同様な遺伝子の欠陥を持っているので、その子供に遺伝子の異常が他の夫婦よりはるかに起こりやすいのです、違った家族から出た夫婦の子供は、両親に同じ遺伝子の欠陥があることはほとんどないので問題はないのです、人間の遺伝子コードは、遺伝子の欠陥が増し加わって拡大して世代から世代へと伝わって来たので、何世紀もの時間を経て今日では多くの遺伝子異常があります、アダムとエバには何の遺伝子の欠陥もなかったので、彼らも最初の次の何世代も今の私達よりもはるかに良い健康を保つことが出来たのです、アダムとエバの子供達も、ほんの少しの遺伝子欠陥しかなかったので彼らが家族間で結婚しても安全だったのです、カインの妻がカインの妹だったと言う内容は良い内容ではないと思う人もいますが、始めに神がひとりの男と一人の女で始められたので、次の世代は自分達の家族間で結婚するしか選択がなかったという解釈になります
●質問➡聖書は同性愛について何と言っていますか、同性愛は罪ですか
●回答➡聖書は一貫して同性愛の行為は罪だと言っています(創世記19章) ローマ書1章では、同性愛は特に神を否定し、神に従わなかった結果であると教えています、聖書は罪と不信を続けている人をもっとひどい悪と汚れに神が引き渡される、それは彼らに、神なしには人生はむなしく、望みもないことを示すためであると教えています、第一コリント6章では、同性愛の行為をする者は神の国を相続することができないと宣言しています、神は同性愛の欲望を持たせて人を造られたわけではありません、聖書は人は罪のせいで同性愛者になると言っています(ローマ書1章)そして究極的にはその人の選択でなると言います、中には同性愛により感じやすい性格を持って生まれてくる人もいるかもしれません、暴力やその他の罪を犯す傾向を持った人がいるように罪への欲望に任せて罪を犯すことを選択した人の言い訳にはなりません、もし人が激しい怒りに影響されやすい性格を持って生まれたとしても、その欲望のままに行動して正しいとは言えません、同性愛についても同じで正しい行為とはいえません、聖書は同性愛が他のどの罪よりも特別に大きい罪だとは述べていません、すべての罪は神に対しての違反です、同性愛は第一コリント6章に書いてある多くの罪の中のひとつで、それらの罪がみな人を神の国に入れないようにするのです、聖書によると、神は、姦淫をする者、偶像礼拝をする者、殺人者、盗人などに対してと同様に、同性愛者にも赦しを提供されているのです、神はすべての人が救いのためにイエスキリストを信じるなら、同性愛も含めて罪に打ち勝つための力を与えるとも、約束されているのです(第一コリント6章)
●コメント➡神様の命令に従わないで戒律を犯したならば救われないという決まりが聖書ではありません、人は自分の罪を認めて救い主であるイエスキリストを信じることにより罪人が救われると言う約束になります、イエスキリストを信じたならばその後の人生では罪を一切犯さないようになるとはなりません、罪人であることに変わりはありません、自分はさらに罪深いと知ることになります、何をやってもイエス様の清さにはならないのです、自分の罪深さを自覚すればするほど、ますますイエス様に救ってもらおうとする信仰が強くなります、良い人になればイエス様の救いは必要なくなるので、信仰は薄れてしまいます、罪人には罪人を救いに来たイエス様の愛がますます必要なのです