使わなくなったものを寄付に行ったのですが、
センターの中にギャラリーがあってお店の人がよかったらどうぞと案内してくれたのでなにげに入ってみました。
入ってみると感性強い私は何かとても悲しい辛かったようなイメージが浮かんできて、、
なんだろうと思って資料読んでいくと1,800年代後半、日本からたくさんの移民がハワイにやってきました。その際ハワイでは日本の何十倍も稼げるから日本に仕送りができる。またハワイは素晴らしいところだと言う話を聞いて、意を決して船に乗ってこられた方々でした。
その時の決心と言ったらほんとにすごかったんだと思います。今でも海外に行くには勇気がいるのにその時代にしかも行ったことがない人たちなのに荷物を少しまとめて船に乗り込むなんて凄いですよね。
でも来てみると実際は悲惨なほどの過酷な労働と最低賃金まるで奴隷のように扱われた状態だったようです。
文章読んでいくと朝からサトウキビ畑で泥にまみれて、直射日光の中、12時間以上の労働に追われ家に帰っても1つのお風呂の湯でみんな、お風呂に入って最後に入る人はほんとにドロドロのお湯入っていたみたいです。
病気で多くの方がなくなったり厳しい強制労働。
いいところだと聞いてみたけれど地獄のようだと言うような文章ががたくさんありました。また管理しているロコを悪魔のようだとも書いてありました。
まるで騙されてきたようでした。
名前ではなく番号札を渡され番号札で管理され番号で呼ばれていたみたいです。
さとうきび畑で働かされて、さぞ日本が恋しかっただろうなぁと。その方達の気持ちは感じていました。
二世代になると、移民ではなく、ハワイの住人として教育を受け住めるようになったみたいです。
1924年には約42%が日本人だったそうです。そのせいかハワイの至るところに日本の名前が見てとれます。
ハワイでは、特に日本人はとても大切にされているように思います。これも私たちのご先祖様が苦労してようやくその地位を築いてくれたんだと思いました。
また日本の文化を伝えてくれるこのような施設が外国にあること非常にありがたいと思いました。
次回は日本人として世界第二次大戦に参加しなければならなかった方の事や海外に出てみて初めて見える日本の文化の良い所、苦しいところを書いてみたいと思います。
日本にいる時はそれが当たり前だったけれど海外に出てみてそれが当たり前ではない世界があるということに気がつきました。
皆さんにも知ってもらえたらと思います。
今日はよんでくれてありがとうございました。