安保法制でのいたずらな危機の煽りは有害無益だ | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 安保法制をめぐる議論が迷走しています。これによって世界中のどこでアメリカが戦争を起こしても、自衛隊はアメリカを助けるために出動しなければならなくなる、あるいは出動することができると思い込んでいる方がかなり多いのではないかと感じます。しかしながら、ここで私たちが見失ってはならないのは、我が国政府は集団的自衛権を容認したけれども、それはあくまでも部分的な容認に留まるのであって、全面的な容認ではないという点です。つまり、他の全ての国が無条件に認められている集団的自衛権について、今なお3要件を満たさないと認めないという留保条件を付けているというのが実際であり、安保法制もこの枠組みの中に置かれているわけです。

 このように伝えても、「いや、誤解はしていない。十分理解している。アメリカを助けるために自衛隊が出動しても、自衛隊は補給などの後方支援のみを担当するのであって、実際の戦闘はしないということなんだろう。」という理解の方もいるのではないかと思います。ところが実際には、そこまで踏み込むことも、我が国政府は認めていないのです。

 昨年、政府が集団的自衛権の部分的行使の3要件を設定したのを思い出して下さい。集団的自衛権の部分的行使容認の3要件とは
①我が国、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

の3つです。
 この3つの要件を満たさないかぎり、自衛隊の出動はできないと政府は言っているわけです。

 例えば、20世紀末に起こった旧ユーゴスラビアでの紛争のような事態が発生して米軍が出動する事態になった時に、自衛隊はここに参加することはできるのでしょうか。米軍が戦争に参加すれば、米軍が攻撃されることは当然あるので、①の前半の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」という部分は認められるでしょうが、①の後半の「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」は満たさないでしょう。②の「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」も満たさないでしょう。したがって、こうした紛争に参加することはそもそも不可能なわけです。

 それでも時の政府が強硬に解釈をねじ曲げて、米軍の後方支援を行うかもしれないという意見もあろうかと思います。しかしながら、戦争への参加は行政府のみの決定で行われるものではなく、立法府においても認められなければならないのは言うまでもありません。つまり国会において①の後半の「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」と②の「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」をともに満たすと判断されないかぎり、自衛隊が出動する事態はありえないわけです。

 もちろん政権与党が議席数を背景に強硬突破するという可能性が理論上は皆無だとは言いませんが、そんなことをすれば次の選挙において与党が大敗するのは必定ですし、そもそも解散をしないと議会運営自体がもたなくなるのが実際でしょう。現在政権与党は衆議院でも参議院でも十分な多数派ではありますが、この安保法制を通すのにこれほど苦戦を強いられているのを見ればわかる通り、数さえあれば何でもできるわけではありません。

 この点を理解せずに、抽象的な危険を煽る議論はフェアではないと考えます。


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