「平和勢力」側の信念の矛盾を衝け | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 沖縄県議会が埋め立て工事に使う土砂の県外からの搬入を規制するための条例案を可決したニュースには、「平和勢力」を自認する人たちがここまでえげつないことをやるのかという衝撃を受けました。県外から搬入される埋め立て工事に使う土砂に特定外来生物が混入しているおそれがある場合、県知事は立ち入り調査を実施し、混入が認められれば使用の中止を勧告できるというのがその内容ですが、端的に言ってそんな可能性を心配してのことではないのは明らかでしょう。辺野古沖の埋め立て工事以外にも、今までには数多くの埋め立て工事が沖縄県でも行われてきましたが、この条例が取り上げるような被害については、全く聞いたことがありません。この条例案は辺野古沖での埋め立て工事に対する嫌がらせのためだけのものだと言えるでしょう。

 この可決された条例について、辺野古沖への埋め立てに反対する「平和勢力」の人たちはどのような主張でもって正当化するのでしょうか。沖縄県側の「辺野古NO」の声を無視する形で政府が工事を強行するのであるから、筋が通らない主張を押し立ててでも抵抗するのは当たり前だと恐らく主張されるのではないかと思います。

 この論には一定の筋が通っています。つまり、理性的な話し合いによってものごとが解決するなどということは建前に過ぎないのであって、現実の政治の世界では非理性的な闘争も含めて優位に立つことを目指すべきなのだという立場に立てば、一貫性のある主張になるわけです。闘争というのは実際には力と力のぶつかり合いなのであって、筋が通らない主張であっても現実を変える力を持つ以上は徹底的に利用すべきであるとの考えを、恐らく彼らは持っているのだろうと思います。

 ただ、このように見た時に、彼らが「憲法9条を守れ」と主張していることとの矛盾がよく見えてきます。彼らが「憲法9条を守れ」というのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼すれば我が国の平和と安全は保持できる」という信念、つまり「武力などを持ち出すような真似をせずに誠心誠意の話し合いに徹すれば、相互理解に基づく理性的な解決策は生み出され、我が国の平和と安全は確保できる」という信念を保持しているからでしょう。

 彼らは現実にはまだ可能性の段階に留まって実際の衝突が幸いに発生していない中国などに対しては、未だ空想的な理性主義、平和主義を信じつつも、実際に対立が生じている政府との関係においては、それとは完全に真逆の立場に立っているわけです。意図的に運動をリードしている一部の戦略家を除けば、こうした矛盾の存在には恐らく気付いていないのだろうと思います。

 それ故に、私たちはこの矛盾を世の中に問うことに意味を見いだせることになるのではないかと私は思っています。


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