昭和42年
日本人の父と在日朝鮮人の母との間に生まれる…



(父の両親は父が幼い時に病死…母の両親は朝鮮総連の打ち出した帰国事業に乗り北朝鮮に帰国)


私が生まれてすぐに両親は離婚


離婚後
父は寿司職人から暴力団員になり…
数年後
抗争に巻き込まれ殺される…


母は…
水商売をするが
私を育てることが困難のため

他人の家に
私を預ける…



何件かの家に預けられ
最終に落ち着いた家には
私と同じ歳の女の子がいた


その家には…
おばあさんと、その女の子だけだった…


その子の両親は
父親がアルコール中毒の治療で入院していて
母親は、家出していた


私を預かった理由は…

おあばさんが
孫一人で可哀想だから
私を預かれば
寂しさも和らぐだろう…
という理由だった


そこから…

私の人生の試練が始まった…



つづく

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預けられた家の
女の子…A子は

今思うと

お父さんが
アルコール中毒で
お母さんが家出(男性と)
していた事から
心が不安定だったと思う

同じ歳だったので
幼稚園も一緒に通っていたその頃は平和に過ごしていたが…

小学校に上がった頃から
状況が変化していった…

(私は…
母が小学校に上がる手続きをしなかった為
A子より2年遅れて
小学校に入学した)

それは…
ある日から始まった

学校から帰ると

A子が『かずよちゃん…これから私以外の人と遊んだら、あかん!』と言われ

私が『なんで?』と聞く

『かずよちゃんは、私のもの…』と…
言いながら髪の毛を掴まれ引きづりまわされた…


つづく…
A子に髪の毛を掴まれ
引きづり回され
身体のあちこちをつねられている私は
泣くだけだった

それから毎日…
学校から帰って友達と遊びたい私は…
A子が帰って来るまでに外に出た

友達と遊んでいる時間は楽しかった

楽しい時間はつかの間…
友達と別れて家に帰ると
A子が…私を呼ぶ
(家は二階建てで、私とA子は二階の同じ部屋だった)『なんで行ったん?』と言いながら私の髪を引っ張る…
私は『ごめん』と泣きながら謝る…

そんな事の繰り返しの日が続いていた…ある日
A子に
『かずよちゃん、○○買ってきて…』とお菓子を買ってくるように言われた
私がお金は?と聞くと
『無いけど…買ってこなかったら…分かってるやんな』と…言われた私は
その家の
おばあさんの財布から
お金を盗んだ…

つづく…

おばあさんの財布から
お金を盗んだ私は
A子に指示されたお菓子を買い
A子に渡した
その日は暴力を受けずに済んだ…

『物を渡せば…叩かれずに済む…』
私の心にそんな思いが浮かんでいた

その日を境に私は家のお金を盗み続けた

それは…
友達と遊びたかったから
遊ぶ為に…

お金を盗みA子にお土産を渡せば暴力を振るわれる事が無かったから

たまにお土産を渡さない日があった
そんな日はやはり暴力を振るわれた

暴力はエスカレートしていき
こたつの足(昔のこたつは足がネジで取り外しができた)で身体中を叩かれた

泣き叫んでも誰も助けてくれない

私は私の身を守る為に
お金を盗み続けた…

そんな事を続けていた
ある日
お金を盗んでいる事が
おばあさんにばれた…


つづく


おばあさんの財布から
お金を盗んだことが
ばれて…
もの凄く叱られて
泣きながら謝った…
『もうしない…』と…


その頃
母は大阪の繁華街で
夜のお店を経営していて
月に一度
おばあさんが養育費を受け取る時に私を一緒に連れて行っていた…


盗んだことが発覚してから会った時に
凄く殴られた記憶が残っている

盗んだ理由を
おばあさんにも母にも
尋ねられたが
私は言えなかった…

言えば…A子に何をされるか分からない恐怖がつきまとっていたから

母に対するその頃の感情は…『ママ』という人
ただそれだけ


おばあさんに『もうしない』と言ったものの…

A子の暴力は収まることがなく…

日に日にエスカレートしていった…

『かずよちゃん○○買ってきて』と命令されて
私が『買われへん』と
勇気を持って反抗した時…

A子は怒り狂い
私の足を裁縫ハサミで刺してきた…

今でも傷跡が残っている…

つづく…