みりんといっしょ☆

みりんといっしょ☆

地域ネコさんから生まれたミケの女の子 みりん(2019年10月23日虹の橋を渡りました。16歳) らんまる(2012年12月24日日虹の橋を渡りました。12歳)どらみ(2022年11月23日虹の橋を渡りました。15歳)





前回の投稿から、また一年😳

前回の記事を読むと、父のこと、どらちゃんのことを書いていますが

父、どらちゃんに対して、思いは全く一年前と変わっておらず
むしろ、存在はどんどんおっきくなっています。
もちろん、母もみりんもらんまるも。



そんな中、これまたInstagramでは触れていますが、
骨折していて自宅で安静の時に家の裏の荒れた畑で出会った、黒猫さん、白猫さんをうちの子に迎えました。

この子達については、Instagramか。また、あらためてこちらでも紹介させていただきますね。



現在は黒猫さん(つくし♀)白猫さん(ふじ♂ FIV陽性)+つくしを保護した4日後につくしが出産した(つむぎ♀)の3匹とともに暮らしています。

そして、また、いま、ゆっくりブログを久しぶりに更新しているのは…。

ゆっくり時間があるわけで…。

2週間前くらいから、腰に激痛が走り始め、立つと、歩くと、左足に激痛があり、またまたしごとをやすんでしまっているんです😭

ようやく明日、以前オペしてもらった病院に診察に行ってきます。
こんなに、診察が待ち遠しかったこともなかなか記憶にありません😅

診察により何らかの原因がわかり、方向性がきまり、この痛みから1日も早く解放されますように。

こんな現状ですが、遠く離れた愛知県の病院まで、快く運転して連れていってくれる、幼なじみ。



仕事を期せずして長期にわたり休んでしまい迷惑をかけているのに、心配し、在宅勤務の提案までしてくれる職場の上司。



今年から地域の組長(田舎暮らしの人には通じるでしょうか)をせねばならなくなっていたのですが、私の状況を考え、変わってくださったお隣さん。



食事など生活に必要なものを買って届けてくれる、職場の相棒さん。

なにより、雨露しのげて寒さもしのげる両親が建ててくれた住む家があること。

足腰は痛いけれど、手は痛みもなく自由に動くこと。



色んなことに感謝がいっぱいです。

それとともに、能登の地震で被災され、被害に遭われた方、そのご家族が、関係者の皆様の一日も早く元の生活お気持ちに戻られる日が訪れますように願わずにはいられません。


久しぶりのblog、書き方もなんだか少し変わっていて、写真の貼り方もわからなくて、とりあえず、いまのふじです。


とりとめのない、文章になってしまってすみません。

最後までお読みいただきありがとうございます。


前回の記事から随分経ってしまいました。



色々ありました…。



Instagramでは少し触れたので

ご存知の方もあると思いますが

闘病してたとーちゃんが2021.8.3に

わたしの手の届かない所へ行ってしまいました。



闘病期間約9年、なんとなく点…いつかは… と、心の準備をしていたつもりでも

とーちゃんの不在はとてつもなく大きな

心の穴となりました…。



そして、昨年、2022.11.23に

最愛のどらちゃん🐱が虹の橋を渡りました🌈



ぽっかり所ではないぽっかりで…。



でもでも、何故か、泣けなくて、

ご飯も食べれて。笑えて、仕事もできて。

普通に暮らせてるんです。

ドラちゃんに申し訳ないくらい…。

   



そんなこんなな、

お休みしている期間の出来事でした。





そしたらそした、先週、仕事中に骨折してしまい…ショボーン



骨折の経過はいいのですが

右足でギプス巻かれて安静で… なので、

仕事にも行けず…。



そんななか、いろいろ考える時間もあり…。


 

今頃、父や母、みりん、とくにこの前

虹の橋🌈を渡ったどらちゃんの

不在が寂しくて悲しくて

ようやく実感が湧いてきて汗



どらちゃんに、会いたい








まとまりがなくてすみません。



前回の投稿にいただいたお返事ができていなくてすみません💦



今月、8月3日の17時13分


とーちゃんが母やらんまる、みりんの元へ


旅立ちました




翌日の8/4にショートステイから

帰ってくる予定でした




亡くなるまえ7/28に酸素の値が上がらない…と

老健から、連絡をもらい


受診したときには


「急に病院に連れてこられてビックリした〜。えらないで(しんどくないよ)」


と、笑っていたのに


一週間も経たずに、私の手の届かないところへ行ってしまいました



もっと緩やかに

お別れのときが訪れるものだと

思っていました



ショートステイに、入所したときに

「8/4に迎えにくるでね!」

と言ったら、後ろ姿で手を上げた父



診察が終わって入院になるとき

黙って手を上げた父のすがたが

意思の疎通ができた最後の姿になってしまいました




こんなことなら

もっと優しい言葉をかけたのに…


筋力が落ちているだけだとおもって

「ガンバレガンバレ!」としんどいのに

体を動かすように言ってしまいました



4月に入院したときから

少しずつ胸水が溜まっていたのだと

いうことは、入院になって知りましたが


その頃から

タンがあふれるように出ていて


吸引してもしても出てくるタン


一番しんどいのは父なのに

「また〜?」

「自分でとれるやったらとってよ!」

「わたしもしんどいねん!ずーっとついてられへん!」


と、いどい声掛けばかりしてしまいました

文字で読むよりきつい口調です


そんな私に、父は絶望したのかもしれません



入所の日の定期受診のときに

主治医に


「先生、もうらくになりたいです。」


と、この言葉よりもっと直接的なことばで

先生に言いました



その言葉がほんとになってしまいました




後悔してもしきれません



買い物から帰ったりすると

「おかえり〜!ごくろうさん!」

と、いつも元気に声をかけてくれた父でした



穏やかで、怒られたことが一度もありません


わたしが怒っても笑いに変えてくれる父に

何度救われたかわかりません


家が好きで。生まれ育った

この地域が好きだった父


最期は家で。と思っていたのに

そんな脳天気な私の計画は

お構いなしに

病院から旅立っていきました



母の旅立ちを伝えないままでしたが


今頃、母にあってびっくりしているでしょうか


もう一回、父と話がしたいです

まだまだ父の介護がしたかったです



まだ、父と別れて一週間  

気持ちの整理がつきません



母の生きた証

母のこともかけないままの

父との別れでした




またいつか、できるだけ近い将来


父と母の最期の生きた証を

ここに記したいと思います




ここで、長きに渡り応援してくださった

みなさま

ほんとにほんとにありがとうございました


どれだけ力をもらえたかわかりません



母のときのコメントを頂いておきながら

お返事もできていないことに

今気づきました…。

ほんとにもうしわけありません。




ほんとにありがとうございました



亡くなる約3週間前の父 
こんなに元気でした



今年に入って初めての記事が

このようなご報告になってしまいました…





2021年 2月8日 午前10時38分

母が旅立ちました




年末の父の入院、父の退院と

入れ替りのように

母が入院し

一時は、回復に向かっていて

ホッとしていたのですが


亡くなる2日前に状態が思わしくなくなり

前日に個室に移動して…

その日の夕方に、
15分だけ面会できたのがさいごでした


亡くなった日、連絡もらって
駆けつけましたが、一足違いで
間に合いませんでしたが

穏やかな表情でした



長い間、家にいなかったので

実感が湧きませんが

仏間にはいると小さくなった母がいて

母の持ち物をみると


急に母がいなくなった現実が迫ってきて

立っていられなくなることがあります



でも、わたしは大丈夫です




また改めて、も少し気持ちが落ち着いたら

母のこと、記そうと思います。



ここで、長きにわたって

母の闘病を記し

応援してくださった皆様



ほんとにありがとうございました。