自分にゆとりが無いときほど、他人に優しくする。
不思議な、おまじない。
疲れ果てて余裕がないときほど、仕事を手伝ってあげる。
不思議な、おまじない。
イライラしているときほど、微笑んであげる。
不思議な、おまじない。
おまじないの正体は、
「たにん」を使った「わたし」というセルフイメージの向上と、確立作業。
例えば、朝。
太郎君が会社に向かう時、割り込もうとする車が前に1台。
当然、アクセル踏んで、ぶーん!!
「入れて、あげないよ!」
(なぜなら、私は急いでいるから。)
(なぜなら、私には余裕が無いから。)
ココロは黙って、そのワンシーンを観ていた。
「たにん」という登場人物と「太郎くん」という私の関係性を観察することで、
「太郎君」という者がどういう者なのかが分かるから。
無意識のココロ
「あぁ、そうなんだ。
「太郎君」ってのは、余裕が無いモノなんだ。」
ココロは、太郎君(=わたし)のセルフイメージを、【余裕がない者太郎】と確定していく。
【現実】は、観測者が創り上げているもの。
こんな簡単な仕組みなのに、上手く行かない理由は、ただ一つ。
太郎くんの表面意識(自我)は、
「道なんて譲らないぜ!!」の部分しか思えてない。
(なぜなら「私とは時間がない者だから」)
(なぜなら「私とは余裕がない者だから」)
の部分は、潜在意識下で勝手に思われてるだけ。
だからこそ、不思議なおまじない。
自分にゆとりがないときほど、誰かに譲ってあげる。
イライラしているときほど、微笑んであげる。
疲れ果てたときほど、手伝ってあげる。
朝、会社へ向かう途中。
左折車が1台、前に入りたがっている。
「譲ってあげよう。」
あなたは、そう思うだけでいい。
あとは、ココロが色々と「わたし」のイメージを確定していくから。
「譲ってあげよう」
(=なぜなら、私には余裕があるのだから。)
(=なぜなら、会社で待ち受けている問題なんて大したことないのだから)
(=なぜなら、急がなくったってどうにかなるのだから)
ココロ
『そうか、私とは余裕がある生き物なのか』
ココロ
『そうか、あれは大した問題じゃないのか』
ココロ
『そうか。どうにかなるのか』
で、【現実】は観測者の思い通りに、
どうにかなる。大した問題じゃなくなる。余裕がある生活になる。
ね、簡単でしょ(笑。
だから、だから。
わらわ~の皆さんだけでも。
「譲ろう、私には余裕があるのだから。」
「微笑もう、私にはゆとりがあるのだから。」
「手伝おう、私は強いのだから。」
「優しくしよう、私は大丈夫だから。」
この不思議な魔法の呪文を、覚えててね。
日々に、とっさに口から出せば。
現実が、変わるから。
焦っている状況で、「譲ろう、私にはゆとりがあるのだから」
=「誰か」のために、道を譲るのじゃない。
私のために「誰か」に、道を譲るのである。
「わたし」はゆとりがあると、思い込めるのだから。
イライラする場面で、「微笑もう、私には余裕があるのだから」
=誰かのために、優しくするんじゃない。
「わたし」のために、誰かに優しくするのである。
「わたし」には余裕があると、思い込めるのだから。
疲れ果てた家で、「手伝おう、私は強いのだから」
=誰かのために、手伝うんじゃない。
「わたし」のために、誰かを気遣うのである。
「わたし」は強いのだと、思い込めるのだから。
とにかく、やってみて。
「わたし」のために、
「だれか」に愛を。
「たにん」を使ったセルフイメージ向上委員会
-委員長さとうみつろう-より。
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↓「わたし」のために、「だれか」に優しくするのであーる。
「わたし」のために、道をゆずるのでアール。
なぜなら、「わたし」は道を譲っても、大丈夫なほど余裕あるから!!
「わたし」を急がしている問題なんて、実は大した問題じゃない(とココロが観測する)のだから!!
こうして、実際に、「ゆとりある」「問題のない」「大丈夫な」現実を、私が創り上げていく。
観測者の、観測通りに。
ほら、ゆとりがないときって、絶対に道をゆずりたくないよね。
逆に、道を譲れるのは、ゆとりがある時だけだよね。
そして、あなたが目指しているのは、「ゆとりのある自分」でしょ?
じゃあ、先に道を譲ればいいだけ。
行動を先に変えれば、状況は後から変わって行くから。
「やせ我慢」じゃないよ。
「たにん」を使った「わたし」のセルフイメージ向上作業です。
なんだか最近、
世界は「わたし」のためにあるのだから、「わたし」だけが良ければいいという誤った解釈が拡まっていますが、
いやいやいやいや(笑)。
「せかい」と「わたし」が、私なのだ。
「わたし」と「せかい」の両者が、もう私の観測下にあるのだ。
だから、「わたし」という自我さえ良ければいいだとか、
「わたし」というエゴさえ満たされればOKよ!だとかの、
なんだか変なメッセージを伝えてる人たちが、ちゃんちゃらおかしくて(笑
実は、だから、活動休止するんです(笑。
本来の、さとうみつろうが伝えたかったことは何なのか?ストイックにチェックするために。
2年前。純正律のピアノの話しをしている際に、沖宮のカミンチュさんに言われた事。
「平均律との音の違いは、たった0.001mmくらいのズレなのね。
だからこそ、危ないのよ。ささいな違いが、大きく広まって、世界を悪くする。」
あ、ひょっとすると、メッセンジャーの中にも、この記事を読んでザワついている人も居るかもしれないけど、
特定の「だれか」に伝えたくて書いているわけじゃないから安心して。
あ、でももし、メッセンジャーをしている人が読んでいるなら、
視点を「わたし」というエゴに置くのか、「わたし」と「せかい」という【ペア粒子として分割する前の本来の私】に置くのかを、
少し、見直すと良いかも。
そして、メッセンジャーじゃなくても、
わらわ~のみなさんも、気をつけてね\(^o^)/
「わたし」のためだけに生きましょうというメッセージが溢れてます。
だけど、「わたし」のためにだけ生きようというメッセージを受けて、必死に道を譲らない「わたし」なんて構築しないでね。
逆効果だから(笑)。
論理だってちゃんと考えれば、分かるじゃんね。
【「わたし」とは、余裕がない生き物である】と、思い込みたい訳じゃないんだから。
「わたし」が、必死に、誰かから奪っていたら逆効果だよね(笑
「わたし」のためだけに、「だれか」に優しくするのです笑
「だれか」のために、「だれか」に優しくするんじゃなくて、
「わたし」だけのために・・・、いや、
「わたし」様のためだけに・・・、いや、
この愛おしくてたまらない、
「わたし」さまさま、だけのために、
「だれか」に優しくするんです。
やっぱ、不思議だね(笑。
「わたし」のために、「だれか」に優しくするなんて。
だけど、時間をかけてちゃんと考えたら、分かるはず。
何度も、この記事を読み返してくれたら。
信じて。
何度も、読み返してみて。
現実が変わるから。
「わたし」には、どうなって欲しいのか。
ゆとりある生活を「わたし」に送ってほしい。
じゃあ。
ゆとりある生活を、今、始めましょう。
「わたし」のために、「誰か」に道をゆずって。
「わたし」のために「だれか」の道を奪うんじゃなくて。
「わたし」のために、「だれか」に優しくしましょう。
「わたし」のためだけに、必死になるんじゃなくて。
どうか、この活動休止期間中に。
「わたし」のためだけに、「誰か」に優しく出来る人が、バンバカ増えますように。
色んなメッセンジャーさんたちが、この記事をシェアして、
自身の読者さんたちに広まる誤った解釈がほどけていけば、幸いです。
伝えるあなたに他意がなくても、ひょっとすると読者さんたちは勘違いしてるかもよ~。
「わたし」のために、は「だれか」のために。
「だれか」のために、は「わたし」のために。
「わたし」と「だれか」は、全体のために。
ー論理的、解説でした。
※今日からコメント受付ありませーん。
公式LINEも自動返信です
個人の携帯LINEも見れませんー
こもりまーす
春にね\(^o^)/
↓今日は、2つのボタンを押す祭、
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サヤカッソ。イラスト描くの、早すぎるわー。
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