渓太郎との闘病生活、別れを経験する中で私が手に入れたものは


「闘わない人生」





それは、誰かと闘わないということだけでなく


自分自身や自分の人生(運命)と


「闘わない人生」






しかし、闘病生活が始まったばかりの時は


それとはまったく正反対な毎日・・・。






「なんでこんなことになってしまったのか・・・。」



「私の何がいけなかったのか・・・。」



「渓太郎が苦しい思いをしているのは、私のせいだ・・・。」







そう自分のことを責め、



渓太郎の人生を恨んだ。




ときには



私の人生に嫌気がさして



「もう、こんな人生は終わりにしよう」 と、



病室の窓から駆け出していこうと思ったこともある。






そんなことを繰り返し考える私の目の前で



ニコニコ笑ったり



抱っこをせがむ渓太郎にでさえ




「渓ちゃんはなにもわからなくていいね・・・。」と




うらやましく思ったりもした。









しかし




私の中にあったすべての闘いが終わったのは、




延命治療をするかどうかの選択を迫られた直後だった。













私が勝手に決めた苦しい延命治療を



ただただ受け入れ続ける渓太郎・・・・。






その凛とした姿を見たとき




いつの間にか自分の中から




「闘い」が消えていた。









私は小児がんを患った渓太郎の母なんだ。



それが私なんだ・・・。



自分より先に旅立つであろう



この子の母として私は生きていく。











そう思った日から18年。









渓太郎の闘わない姿は




私のこれまでの人生の




希望となってきた。









渓太郎との別れにより





それまでに築き上げてきた常識や価値観が崩れ





ときには自分自身を理解できなくなったり、





世間とのギャップに苦しくなることもたくさんあった。









それでも私は



自分に与えられた唯一の人生を愛おしく思うことができた。






大切にしたいと思うことができた。






そう思わせてくれたのは




あの時私に見せてくれた




渓太郎の闘わない姿。











そして先日、7月2日。






名古屋で行われた「幸せの種プロジェクト」で私は、




渓太郎と生きた日々や感じたこと、




一緒に闘病生活を送っていた子どもたちに教えてもらったこと、




今の私について・・・。



まったく闘うことなく



ジョン・キムさん とのトークの中で



どこまでも素直に、正直に語った。








すると



会場にいた80名全ての方が




私の話をひたすら受け入れ




一緒に幸せな涙を流してくれた。







会場中が愛と感謝の気持ちで溢れたのは




参加してくださったお一人おひとりが




闘うことなく




人を受け入れ




自分自身を受け入れ




心の底に落ちている幸せのタネに




愛情の水と光を当ててくれたからだと思う。








人はやっぱり愛のかたまりなのだと感じた時間。






そんな時間を与えてくださった参加者の皆さん、スタッフの皆さん。



みなさんに出会えた奇跡に



心から感謝申し上げます。


 

 

 

 

 

 

 

ジョンさんとトーク

 

 

 

 

 

 


 

みんなと・・・

 

 

 

 

ジョンさんと握手

 

 

 
 

チラシ

 

 

 





 

「幸せの種プロジェクトin長野」~涙の居場所~

幸せの種は次回

9月18日(日)13時より 私の地元、長野で蒔かれます。

詳細は近日中に公開いたします!


「ぜひ一緒に、愛と幸せの種を見つけましょう!」