36歳の男性(仮にBさん)からベンゾジアゼピン、および多剤大量処方による被害報告が寄せられました。

 Bさんは某私立大学の薬学部、および大学院を修了後、大手製薬会社に就職をしました。薬剤師の資格を持ち、就職して7年ほど経った頃、不眠になり、ごく軽い気持ちでメンタルクリニックを受診したのがすべての始まりでした。



「いわゆる「エリートコース」を邁進していたのですが、たった一度の精神科通院で、すべてを失いました。順調だった人生が、転落していった様子を、詳細に書きたいと思います。」

 Bさんはメールにそう書いてきました。



 以下、Bさんからのメールです。



あっという間に薬物中毒に

「2004年、当時、睡眠が上手く取れないことに悩んでいた私は、インターネットで、安易に通えるメンタルクリニックを選んで、通院してしまいました。

 うつ病と診断され、(これは、ハッキリとは覚えていないのですが)トフラニール、アナフラニール、アモキサン、リタリン、ロヒプノール、ベゲタミンA、マイスリー、デパスを処方されました。
 その後、クリニックに行くたびに、リスパダール、ジブレキサ、エビリファイ、ピーゼットシー、エミリン、ハルシオン、リスミーなどの薬が追加されていきました。
 一応、毎回、診察はありました。



薬剤師であるにもかかわらず、安易に、そこで出された薬を服用してしまいました。

その結果、あっという間にリタリン中毒、睡眠薬中毒になりました。」



その頃、Bさんは薬の飲み過ぎでもはや廃人同然となり、会社も退職せざるをえなくなっていた。

そして、最初の受診から2年後の2006年、友だちに、某国立大学の医学部を卒業し、病院に勤務している医師(専門は心臓内科)がいて、彼に会ったところ、

「君は、明らかに、おかしい」と言われ、同じ病院の精神科医、N医師を紹介された。

そして、N医師いわく、「君は、薬漬けだ。抜かなくちゃいけない!」




この世のものとは思えない離脱症状を味わう

そこでN医師から紹介され、2006年秋に、地元の精神科病院の閉鎖病棟に入院した。

入院後は、それまでクリニックで処方されていた恐ろしいばかりの量の薬を、セロクエル、リスミーだけを残して、一気に断薬。当然のことながら――。

「入院した当日から、激しい、この世のものとは思えない、離脱症状に襲われました。恐らく、人間が生きているうちに体験する苦痛の中で、最も苦しいものではないでしょうか。
 あまりの苦しさに暴れまわり、「頼むから、殺してくれ!」と叫び続けました。
 その結果、保護室に入れさせられました。これは、かなり屈辱的でした。」




それでもBさんは、その離脱症状を耐え抜き、2週間ほど経過するとなんとか落ち着き、入院2ヶ月で退院となった。

退院後は通院治療が続き、担当医師がA医師に変更。そこで、せっかく減らして薬が、ルボックス、ロヒプノール、デパス、マイスリーと増えることになった。


その後Bさんは再就職したが、「心」は一向に回復せず、そんな状態が2009年ころまで続いていた。

業を煮やした父親が、Bさんとともに病院に行き、回復する傾向がないことを伝えると、担当のA医師は、こう言ったという。

「そうですねえ、じゃあ、この中から、お好きな薬を選んでください」

当然父親は、「患者に薬を選ばせるとは何事か!」と怒り、担当医師を代えるよう、病院に申し出た。
 そこで、担当医師がC
医師に変更になった。

その医師が再び Bさんを薬漬けへと誘導することになったのだ。



再び、薬漬けとなる
「私が、一向に調子が良くならないことを告げると、次々に薬が増えていきました。最終的には、去年の10月の時点で、14種類の薬剤を服用しておりました。

・レメロン (ミルザタピン)
・ジェイゾロフト 50mg (SSRI

 その他、抗うつ剤1種

・ロヒプノール 4mg (フルニトラゼパム・ベンゾ系睡眠導入剤)
・ワイパックス 3mg (ロラゼパム・抗不安薬)

・セルシン10mg (ジアゼパム・ベンゾ系精神安定剤)
  その他、ベンゾ系の睡眠導入剤、精神安定剤5種



・イソミタール 0.1mg (アモバルビタール)
・ブロバリン 1.0mg (ブロムワレリル尿素)

・ベゲタミンA 1錠 (塩酸クロルプロマジン配合剤)」



それにしても何という薬の種類と量だろう。

しかも外来での処方である。イソミタール? ブロバリン? ベゲタミン、しかもA?

こんな薬、まだ出すところ、あるのかという感じである。

ベンゾ系も似たような作用の薬が重複されて、抗うつ薬も3種類。



 2006年に「この世のものとも思えない」離脱症状を経験し、せっかく減らすことのできた薬である。それが、3年後、医師によって、再びこれだけの薬(14種類)が処方されることになったのである。

薬を処方したC医師は、「薬を飲めば、治る。眠れるようになる」と言い続けたという。


当然のことながら、これだけの量を服用していれば、毎日フラフラで、何もできない状態になった。去年の8月には、勤めていた会社を退職。しばらく休養してから調剤薬局に勤務したが、フラフラの状態で、結局、そこはクビになってしまった。

見かねた父親が、自宅のすぐ近くにあるクリニックにBさんを連れていった。

担当医師はU医師。

U医師は、Bさんが飲んでいた薬の処方箋を一目見て、

「これはちょっと考えられない量だ!」と言ったという。

そこで、ロヒプノール、ジェイゾロフト、レメロン、ワイパックス、ベゲタミンA、セルシン、ベンゾ系睡眠導入剤2種を残して、あとは一気に切ることになった。


もちろんこの頃になるとBさんも薬についていろいろ調べ、化学式を見て、自分は大変な薬を飲まされていたと知るが、それがわかっても離脱症状の苦しさに変わりはない。

14種類のうち6種類を一気に切って、再び、あの「地獄の離脱症状」を体験することになった。

最初の2日間、48時間はまったく、一睡もできなかったという。そして、全身、頭の先から足の先まで電流がビリビリ流れるような苦しさが絶えることなく丸3日ほど続き、全身が締め付けられる感覚に、布団の上を転げまわって苦しみぬいた。もういっそのこと死のうかと思うほどの苦しみだった。

それでも2ヶ月もすると多少落ち着き、そうするとU医師は、残り8種類の薬のうち、まずベゲタミンAを一気に切った。しかし、このとき、離脱症状はほとんどなく、次にジェイゾロフトの減薬にとりかかる。

しかし、ジェイゾロフトでは、またして地獄の苦しみを味わった。

当時Bさんは、せめて社会とつながっていたいとの思いから、mixiに毎日日記をつけることを自分に課していた。その日記に、ジェイゾロフト減薬中の様子が書かれている。



                             (2へつづく)