(1からのつづき)



ジェイゾロフトの減薬

「現在、ジェイゾロフトを減らしているのですが、これも地獄の苦しみです。 マジで苦しいです。
これを耐えなければ社会復帰できないので、頑張ってもがき苦しんでいます。
毎日毎日、苦しいです。 24時間、苦しいです。 体重も、5kg減りました。
毎日気持ち悪くて、ご飯が食べられません。
でも、早く、社会復帰したいと思います。
それから、みなさんにご忠告。
うつ病になっても、パキシル、ルボックス、ジェイゾロフト(いわゆるSSRIと呼ばれる抗うつ薬)は、飲んじゃダメだ!
離脱するとき、死ぬほどツライ思いをするから。。。
失敗した。。。




このSSRIという薬は、凄く離脱しにくいんです。
ほんのちょっと飲む量を減らしただけで、ベッドでのた打ち回るほどの苦しみを味わいます。
思えば、SSRIは、「希望の薬」として華々しくデビューしました。
安全性が以前の抗うつ薬と比べて格段に高く、今まで心療内科や精神科しかあまり出していなかった抗うつ薬を、内科などの専門外の科でも出せるようになった、と世間はもてはやしました。
しかし。
上にも書いたとおり、「離脱が非常にキツイ」という恐ろしい事実が発覚するまで、数年かかりました。
服用してしまった人は、後の祭りです。
ボクは、25mgを2錠、つまり50mg服用しておりました。
それを半分の1錠、つまり25mgにしたら、一週間ベッドから起き上がれませんでした。
それからは少しずつ減らしていき、四分の三錠を3週間、二分の一錠を3週間、というように、恐る恐る減らしていきました。
そして今日、ようやく、四分の一錠、つまり、6.25mgまで減らすことが出来ました。
苦しいことに変わりはないのですが。。。
後は、これで三週間ほど耐えて、まったく飲まなくていい身体にすれば、社会復帰できます。
ああ、長かった。。。
不安なのは、どうやって社会復帰するか、です。」





そして、今年の3月には、セルシンを一気に切り、ロヒプノールを4mgから2mgに減薬した。

離脱症状はあまり出なかった。



ここまでBさんは主治医のU医師と相談しながら減薬を進めてきたが、U医師はBさんが薬学部を出ていることを知っているので、薬のことはあなたの方が詳しいから、あなたの考えでやってもらってかまわないという意見。この点、Bさんは現在の主治医い感謝している。そして、それ以降、自己判断で減薬を進めることにした。


この時点で、

・レメロン 15mg
・ベンゾ系睡眠導入剤 10mg
・ベンゾ系睡眠導入剤 10mg

・ワイパックス 3mg
・ロヒプノール 2mg



ロヒプノールの減薬に苦しむ

ロヒプノールに関しては、眠れないときなど、追加で飲むことがあったり、3月の大震災の影響で情緒不安定になり、昼も飲んでしまったりしたため、日中離脱を起こすことがあった。よくないと思い、4月になってからはロヒプノール2㎎を守っていたが、あまりの苦しさに救急車で運ばれる事態になった。

そこで今年の5月、ある病院でさまざまな検査を(脳のMRI検査も)して異常なしの結果を得て、Bさんはまずワイパックスの減薬にとりかかった。
 3日おきに、0.5mgずつ減らし、厳しい離脱症状に襲われながらも、なんとか断薬にこぎつけた。

次に、ロヒプノールを、これも3日おきに減らそうとしたが、あまりの苦しさに、こちらは断念して、ターゲットを、もうひとつのベンゾ系睡眠導入剤に変更した。



「これを1日、10mgを7.5mgにしたところ、激しい離脱症状に襲われました。しかし、このベンゾ系睡眠導入剤は、およそ半日で体内から完全に消失することを考えると、「これは、「日中離脱」だ」と判断いたしました。

そこで、この薬は少しずつ減らすことを止め、一気に切りました。2日ほど苦しみましたが、すぐに楽になりました。
 残りは、レメロン、もうひとつのベンゾ系睡眠導入剤、それとロヒプノールです。
 現在、この、ロヒプノールの減薬に挑戦中です。
 一週間ごとに2mg1.75mg1.5mg1.25mg1mgと減らし、現在、1mgです。
 しかし、かなり、離脱症状がキツイです。もう少し、スローペースにしようと考えております。

 今、困っていることは、とにかく、食事が摂れないことです。離脱症状の苦しさで、ほとんど食欲がありません。身長が180cmなのですが、体重が59kgまで落ちてしまいました。

 睡眠は、なんとかとれています。これは、レメロンの睡眠作用だと判断しております。
 つまり、ロヒプノールともうひとつのベンゾ系睡眠導入剤は、まったく睡眠に役立っておりません。ただ、離脱症状を出さないためだけに、服用しているようなものです。」

Bさんの計画では、ロヒプノールのあとは、もう一つのベンゾ系睡眠導入剤の減薬・断薬へ進み、睡眠に役だっているレメロンは最後に残しておく予定だ。



それにしても、かかる医者かかる医者がどこもなんと「いい加減」なのだろう。

最初のクリニックは言うに及ばず、せっかく減薬した患者の状態が悪いと、処方権を有する医師が自らの権利を放棄して、患者に好きな薬を選ばせたり、減薬をした同じ病院で、医師が変わったとたんに、またしても大量処方となって患者を薬漬けにしてしまう……とは。

そして、患者はそうした医師のやり方ひとつで振り回され、人生の時間を奪われ、大切なものを失うことになってしまうのだ。



失われた時間、そして人間関係

「あのとき、メンタルクリニックに通わなければ、向精神薬さえ服用しなければ、と、後悔してもしきれません。
 仕事を失い(現在、無職です)、友人を失い、婚約者を失いました。
 そして、残っているのは、離脱症状との地獄の闘いです。
 自分は、薬剤師で、薬の知識は一般の方よりあるのに、なんでこんなことになってしまったんだろう、と、後悔と自問自答の日々です。

現在、貯金も底をつき、これからどうやって生きていけばいいのか、完全に途方に暮れている状態です。。。

 いつか、身体から、薬を完全に抜くことが出来るのでしょうか。。。
毎日毎日、苦しくて苦しくて仕方がありません。
いつまで、この地獄が続くのでしょうか。。。」




 Bさんが最初に精神科を受診した2004年当時は、いまほど精神薬、ベンゾジアゼピンについての情報は、ネットでもなかったと思う。いや、こうした情報が、あえて調べて手に入れようと思えば手に入れることができるようになったのは、ほんの最近のことだろう。

 薬剤師でありながら……その後悔はしてもしきれるものではないかもしれない。

「薬の専門家でありながら、こういうことになってしまった、そういう皮肉な人生もあると、みなさんに知ってもらえれば。そして、ちょっとくらいの不調があっても、絶対安易に精神科にはかからないよう、私の例を知ることで、多くの人に伝わればと思っています」



 電話でお話をしたBさんの声は少しくぐもりながらも、わりに元気そうではあった。

「人と話していると気がまぎれます」

 最近では、なるべく外に出るようにしている。苦しいが、ただじっとしていると余計に苦しくなるからだ。時には好きなマージャンをリハビリ代わりにしたり(頭を使うし、他者とのコミュニケーションがとれる)、mixiの日記はかかさず書くようにしている。


 離脱には終わりがある。

 私はそう信じているし、実際、終わった人も何人も知っている。

 大丈夫、時間はかかるかもしれないが、離脱には終わりがある。



(お断り、さまざま考慮して、このエントリでは、薬については多少曖昧な表現になりました)。