男性(Kさん)からメールをいただき、話を聞くことができたので紹介します。




失職、離婚

 現在、Kさんは45歳。9年前の36歳のとき、不眠、うつ状態のため――家を新築したり、ストレスが重なった時期だった――心療内科を受診した。うつ病と診断され、SSRIのルボックス(フルボキサミン)、1日2回の服用が始まった。

最初飲んだときは、不安感がなくなり「助かった」と思ったという。

しかし、やがて、躁転して、職場の上司とつかみ合いの喧嘩になり、結局、仕事はやめざるを得なくなり、転職した。

さらに、その後、Kさんは離婚も経験している。

家にいても常にイライラし、暴力をふるうことはなかったが、妻に暴言を吐き、現実感もなく、寝てばかりいる生活で、今から思うと、8年間の結婚生活の最後の方はほとんど記憶がない。

しかも、離婚の際、相手方の両親の前で、Kさんはこんなふうに言ってのけたという。

「女なんか他にもたくさんいるからいいんだよ!」

結局、建てたばかりの家を売って、Kさんは別の土地に移った。



2年ほど心療内科に通院したが、病状は一向に改善の兆しを見せないため、Kさんはある病院の精神科を受診した。その時の症状は不安感から胸の違和感に変わっていたが、今考えると薬の副作用か離脱症状だったのだろう。

そんなKさんを診察した医師は、「ここは貴方の来るところではないし、病気ではない」と告げ、薬は処方されなかった。

まだ薬の怖さを知らずにいたため、Kさんは見捨てられたように感じて、すぐに3軒目となる○○ストレスクリニックを受診した。

主治医は、マスコミにも取り上げられる有名医師。しかし、診察中にタバコを吸ったり、Kさんが忙しいというと、診察なしで薬を出してくれたという。

そして、ここからが、Kさんいわく、「地獄の始まり」となった。



「2週間に一度通院しましたが、その先生、「こんな少ない量の薬では治らない」「病院で、貴方に一番たくさん薬を処方している。だから、治るのも早いはず」と言うんです。それで私も、救われたと、本気で思いました」

 お薬手帳など処分してしまったので、薬の詳細はわからないが、覚えているだけでも、

リタリン、ユーロジン、デパス、パキシル、デジレル、リーマス、ドラール、トレドミン、レキソタン、メイラックス……一番多いときで21錠の薬を飲んでいたという。




常に眠さと攻撃性との闘い

リタリン(この頃はまだ規制されていない)を飲んでいたときは、テンションが高く、Kさんは自宅から100キロほど離れた土地へ、サンダル履きのまま原付バイクで走っていった。途中、警察官に呼び止められ、肩を叩かれた瞬間、咄嗟にKさんは、おまわりさんを投げ飛ばした。

このときも会社の上司が呼び出され、厳重注意されたが、なんとかクビにならずに済んだ。



「当時の運転免許の写真を見ると、顔はパンパンで、真っ黒です。湿疹もたくさんできていて、体重も30キロ増えていました。血液検査では糖尿病と言われ、いよいよこれはヤバいと思いましたが、仕事は根性で続けていました。その頃はまだ、薬を飲めば治ると信じてました」



しかし、薬剤師である妹に、リタリンの話をすると「合法覚せい剤」と言われ、Kさんは焦ったが、その頃すでに依存が形成されていたため、やめるにやめられなかったという。

そんな大量処方はほぼ3年続いた。

その間、Kさんは再婚していたが、攻撃性、躁転はやまず、相変わらずイライラが続き、ギャンブルにもはまっていった。パチンコである。ほぼ毎日通って、散財した。

父親は泣いていたが、Kさんの中には「これから復活してやる」との思いもあったという。

そもそも、これほどたくさん薬を飲んでいるのに、なぜ治らないのだろう? というごく当然の疑問がKさんにはあった。それを言うと、主治医は、「薬がまだ足りないから治らない」という返事。

最初はそうかと思う気持ちもあったが、あまりの体調の悪さに、さすがのKさんも不信感が募っていった。




あるクリニックとの出会い

そんなとき、奥さんがあるクリニックを知り、そこで診てもらったらと言ってきたのだ。

森田療法で有名な精神科医が開いたクリニックだった。さっそくKさんは受診した。

そこで飲んでいる薬を言うと、医師も驚き、こんなに飲んでいて治るはずがないとの説明。

その医師のもとでいよいよ減薬が始まった。

方法は、ある意味、非常に荒っぽいものである。

毎日飲んでいた21錠の薬のうち、3種類ほど残して、あとはすべて一気に断薬。その3種類の薬をすりつぶして粉して、それを約半年間飲み続けた。

Kさんも覚悟を決め、必要のない薬はすべて捨てた。

しかし、21錠から3錠への減薬である。当然のことながら、離脱症状はすさまじい。

数字を扱う仕事だったが、やってもやっても頭から数字が抜けていった。新聞、テレビ、本もまったく頭に入ってこない。人が怖くて、電車に乗るとパニックが起きた。車から降りられない、人の名前も出てこない、思わず大声を出しそうになるが、舌を噛んで必死にこらえた。

「何度、仕事を辞めようと思ったかわかりません。でも、人に弱みは見せたくない。職場でも必死にこらえ続けました」

 さらりとKさんは言うが、その苦痛は、経験のない私でも想像にあまりある。


そして、半年後、今度は3種類のなかのメイラックス(半減期60~300時間の超長時間型)だけを残して、他2種を断薬した。メイラックス1日1錠をほぼ1年半続けて、今から2年半ほど前に、完全断薬。

医師からは常に「おまえだったらできる」と励まされ、体育会系のKさんには、その励ましが素直にうれしかった。

また、クリニックの患者同士で話し合える機会もあり、薬を完全にやめた人の話を聞くことができたのは大いに勇気づけられたという。

もちろんその間も、離脱症状との闘いは続いた。アカシジア、目眩、発汗、心臓がバクバクし、目の不調、全身の筋肉が絞られるような不快感……。

仕事中、あまりに苦しくなると、職場をこっそり抜け出して、カラオケボックスに逃げ込むこともたびたびあったという。

しかし、そんな我慢強いKさんもついにギブアップ。奥さんに「仕事を辞めてもいいか」と尋ねると、「いいよ」と。その一言で退職を決意した。


その後、以前のブログでちょっと紹介したことがあるが、離脱の苦しさを紛らわそうとKさんは大型トラックの運転手となった。毎日15時間働いた。体を動かすのは、もともと運動選手だったので、苦ではなかった。とはいうものの、かなりの荒療治である。

しかし、そのおかげで30キロ増えた体重も元にもどり、糖尿病も落ち着いてきた。

1年ほど運転手をやり、その後、運よく、現在の会社に再々就職することができた。



21種類もの薬を完全断薬して、現在2年半である。

Kさんにお会いしたとき、私には非常に落ち着いているように見えたが、「じつは、こうしている今でも、かなりきついです」とぼそりと言ったので驚いた。

「離脱症状、本当に厳しいです。医師からは、薬を飲んだ年数くらいはかかると言われています。やっぱり、我慢するしかないですね。相変わらず、筋肉の症状はしつこいです。舌も痛いし、耳鳴りもある。人が怖い……。今も、本当は体中、動かしたい気持ちですが、そこはぐっとこらえています。死ぬわけじゃない、と自分に言い聞かせて」

 一方で改善したものもある。現在、不眠はまったくない。頭がクリア―なので、仕事はできる。




 21種類からの断薬。自分の体験が現在も薬に苦しみ人たちの、なんらかの道標になればと、その思いでメールをくれたKさん。

 確かに、5年近くの薬漬けから、現在、完全断薬し、職場にも復帰しているKさんのケースは凄まじいものがある。

 21種類の薬を漸減するとしたら、どれくらいの期間が必要なのか……?

 21種類から3種類への減薬がはたして通常の人に耐えられるものなのか……?

 しかし、「薬が少ないから病気が治らない」と医師がどんどん薬を増やしていった結果の21種類である。

 途中、やめようにも、依存のため、やめられないまま飲み続け、いよいよ体の方がこれ以上薬を受け付けないような状態になって初めて患者は減薬、断薬を決意する。

 そうした成り行きを作ってしまうその責任は、やはり医療という看板を掲げて患者を診察している医師の側にあると言わざるを得ない。

それにしても、薬をたくさん飲めば飲むほど早く良くなると、医師は本当に信じて患者に言っているのだろうか???

もう本当に、どう表現すれば適切なのか、言葉に窮するような精神医療の実態である。