最近「うつ病」、とくに「うつ病の診断基準」についてあらためて考え直そうと思い読んだ数冊の本を紹介する。



まず、『うつ病の常識はほんとうか』(冨高辰一郎・日本評論社刊――冨高氏は『なぜうつ病の人が増えたのか』の著者でもある――この本はいってみれば、うつ病急増の原因の一つをSSRI現象に求めている。)

5章からなる本書の第4章に「うつ病の診断基準とは」という章がある。

その中で著者は、診断基準として、現在、世界中の精神科医の多くが使用している、アメリカ精神医学会が定めた精神障害の診断と統計の手引き(DSM)について語る前、DSMが世に出る前の時代、1980年代以前の状況として、ドイツ精神医学について語っている。



ドイツ精神医学の時代

今から30年ほど前、日本で(だけでなく世界的にも)主流だったドイツ精神医学におけるうつ病の考え方は、一言で言えば、「心理的な抑うつは病気ではない」というものだった。

何か辛いことがきっかけで起きた心理的な抑うつと、うつ病は違うものであり、それらは区別されるべきである。そして「心因性」――「心理的な反応」で、抑うつになった場合、病気ではないので、当然医療に頼るべきではないとする。

一方、病気としてのうつ病は、ドイツ精神医学では正式には「内因性」うつ病と呼ばれ、医療の対象である。内因性とは、原因不明だが、心理的な要因や外的要因によって起きるものではなく、脳が原因となって起こるという意味である。

「心因性」の抑うつは病気ではないので、本人が自分で克服する。

「内因性」の抑うつに対しては病気なので、医者が治療する。

 というものだ。


 1980年以前の精神医療の現場におけるうつ病のとらえ方について、もう一冊の本『「治るうつ病」と「治らないうつ病」』(富澤治著)に興味深いことが書いてあった。

 著者は「なぜ、うつ病はこの20年間で10倍に増えたのか?」という問いに対して、

「今この時点で答えるなら、それは「本来的なうつ病でないものを「うつ病」と診断するようになったから」という他はない」と言っている。

 また、現在の10分の1しかうつ病患者がいなかった20年前――著者が精神科の医局に入った頃は、先輩医師たちからは次のように教えられていたという。

「(本来の)うつ病は……予後の悪くない病気である。うつ病にかかって、調子が悪い期間は短くて3ヶ月、長いと半年から1年、まれに2年くらいのこともある。治療をしなくてもだいたい2年くらいの間には完全に元の元気な状態に戻る。(休養や抗うつ薬の投与など適切な治療をすれば病相期を短縮したり、病状を軽くしたりすることはできる。)5年も10年もずっと調子が悪い、ということになると、それは「うつ病」としてはおかしいので、他の原因を考えるべきである。」



 つまり、上記二つの論理を合わせると、「本来のうつ病」とは心理的な反応としての抑うつ状態とは別物の、原因不明の内因性のものであり、それは治療をしなくても、長くて2年ほどの期間をかければ、必ず治る病気である、ということになる。


 これだけ見れば、では「うつ病」になったからといって、放っておいてもいいように思える。 しかし、医療としてせっかく手にした抗うつ薬である。そして、「本来のうつ病」には抗うつ薬も効果があるとすれば、そこに精神医療が介入する価値はあるだろう。


 しかし、問題は、医師が治療に当たるべき「本来のうつ病」(内因性)と、医療が介入すべきではない(病気ではない)「うつ病」(心因性)との見極め、線引きである。

 それぞれの背景が典型的なものなら診断に迷うことはないが、現実はそれほどきれいに分かれるわけではない。鑑別は混乱せざるを得ない。

 そして、ドイツ精神医学も、その境界に関してはほとんど言及していない。というか、正確に線引きは不可能なのだろう。



DSMの誕生

 そうしたジレンマから生まれたのがDSMなのだ。

心因性と内因性の鑑別に頭を悩まし、不満を抱える精神科医は多かった。そうしたことから、内因とか心因とか面倒なうつ病の定義は棚上げにして、とりあえず患者が訴える症状によって診断を下す操作的診断方法であるDSMは、簡便、使い勝手のよさもあって、あっという間に世界中に広まった。

 じつはこれの基礎を作ったのは、若手精神科レジデント(研修医3年目)だった米国人のフェフナーという人物である。DSMはそれまでⅠとⅡは出ていたが、DSM―Ⅲにおいて初めてフェフナーの診断基準が明記されたのだ。(1980年)


「(引用)彼が作った9項目からなるうつ病の診断項目では、それぞれの項目で特定の症状があるかないかを判断し、6項目以上あてはまればうつ病とした。結果として、うつ病かうつ病でないか具体的な境界を引くことになったのである。」

 しかも、現在使用されている「DSM―Ⅳ」における大うつ病診断の9項目も、30年以上前のそれとほとんど変わっていない。(変わったことと言えば、うつ病エピソードと診断するには当時は1ヵ月の期間が必要とされていたが、今では2週間以上に短縮されていることだ。)


 ちなみに、DSMⅣのうつ病基準を以下にあげる。(現在では、この9項目のうち5項目を満たせばうつ病と診断される)。

1、ほとんど一日中ほとんど毎日の抑うつ

2、ほとんど一日中ほとんど毎日の興味または喜びの著しい減退

3、著しい体重減少、あるいは増加

4、ほとんど毎日の不眠あるいは睡眠過多

5、ほとんど毎日の焦燥または制止

6、ほとんど毎日の易疲労性または気力の低下

7、ほとんど毎日の無価値感または罪責感

8、思考力や集中力の低下または決断困難

9、死についての反復思考


 こうした項目は、多少表現を変えて、うつ病のチェックシートとして、ときどき目にするものである。

 しかし、こうした項目は、例えば「愛する人が死去した」場合や、失恋、職場での不快な出来事、家族が重い病気になる等々が原因でも、症状としては起こり得るものである。(ちなみに、DSMでは「愛する人が死去した」場合の悲哀は除外するとされている。しかし、期間は2ヶ月間。それ以上続く悲哀は病的なものとされる。)



DSMへの批判、そして回帰?

 こうしたことから、DSMはうつ病かそうでないか「具体的な境界を引くことになった」のがエッセンスでありながら、相変わらず曖昧な部分が多分にあり、その結果、「うつ病の拡大解釈」へとつながって、批判も多い(それだけでなく、DSM作成委員である精神科医と製薬会社との利益相反問題なども表面化し批判の対象となっている)。

米国精神医学会誌の編集責任者を長く務めたアンドリアセンや、DSMⅢにフェフナーの作った診断基準を取り入れることを決めた、当時DSMⅢの統括責任者だったスピッツァーでさえ、「内部から」DSMやその改訂のプロセスを公然と批判しているのだ。

『それは「うつ」ではない――どんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由』(アラン・V・ホーウィッツ ジェローム・C・ウェイクフィールド)という本の序文にスピッツァーはこう書いている。

「(この本は↑)疾患の範囲を広げ過ぎたとして、現行の診断基準を批判する……。(この本は)ストレス要因に対する予想可能な反応は疾患ではないことを明確に述べている。……DSMの基準は、特定の診断の根拠となる症状を並べるだけで、それらの症状が現れた背景についての言及を完全に無視している。そのために、DSMはストレス要因に対する正常な反応を疾患の症状とみなす誤りを容認することとなったと、著者らは論じる。」



 これを一読すると、なんだか、1980年以前のドイツ精神医学への回帰のようにも読める。

 これでは、結局、本来のうつ病とそうでないうつ病との線引きという、ドイツ精神医学が抱えていた当初の問題に引き戻された感があるが、本書では、その鑑別に「機能不全」という概念をもってきて、線引きしようと試みている。

読んでみても、あまりに専門的でよくわからないが、そうした鑑別診断も、結局は、ドイツ精神医学当時からそうだったように、精神科医の技量、裁量にゆだねられることになりはしないだろうかと思う。


 この本ではまた、抗うつ薬については、次のように述べている。

 薬物療法擁護派は、「病的かどうかを問わず、患者の苦痛をとり除くために薬を処方すべきだと主張している。」

 一方、こうした薬の利用に疑問をもつ人々の多くは、「何千年もの間、人々は宗教や哲学に救いを求め、精神的な苦痛を契機として、よく深く生の意味を考えてきた。そうした哲学的な探求を通じて、自分の感情が人間の実存と切り離せないことを理解し、薬がもたらす安らぎよりも深い救いを得てきた。……その悲哀につきものの苦痛を薬で軽減してもいいのかという思いがあるからだ。」

 抗うつ薬の効果そのものについては、

「「軽度」のうつ、つまりさほど強くない非精神病性の症状(多くは正常な悲哀と考えられる)に、抗うつ薬が有効であることを示すデータはない。」

そして、問題なのは、「根拠のあやふやな診断で病気を示唆し、薬物療法を選択させるような状況があること」だと結論付けている点は大いにうなずける。



心因性抑うつの自らの克服

 ところで、最初に紹介した『うつ病の常識はほんとうか』からの引用だが、ドイツ精神医学(診断学)の泰斗であるクルト・シュナイダーは「心因性抑うつ反応」について次のように書いていて非常に興味深い。(『臨床精神病理学』)

「悲しいことがあるからといって、医師のところにやってくるような人々は、よりぬきの消極的な人なのである。昔の人たちには、憂愁を「病気」と考え、それによって悲しみをのがれようなどということは、思いもよらなかったことであろう。そして今日でもなお、自分の運命を、課せられたもの、負わされたものとしてみずからひき受けるような成熟した人間が、つとめてこういう態度を避けようとするのは当然である。」

 心因性で抑うつになった場合は、医療の対象ではなく、自ら「克服」することが望ましいとして、シュナイダーは克服の方法について次のように説く。

「克服の可能性はいろいろある。すなわち単純な立ち消えとはんこん化、断念、放棄、あきらめ、他人による慰め、悲痛な思い出の薄らぎ、憂さ晴らしや気分転換、入信、忍従、肯定などである。いろいろの可能性が相次いで、あるいは相並んで試みられることも多い。この克服の様式、すなわち、いかにして悲しみから抜け出すかということも、人格を見分けるひとつの標識である。精神療法の課題は、その際の助けの手を貸すことである。」



『臨床精神病理学』は今から60年以上前、1950年に書かれた本だが、あらためて、現在の精神医療の状況、混乱を考えたとき、非常に意義深い言葉に響く。