先日、ひろさんという女性に会って話をうかがってきた。

 ひろさんは現在25歳。やさしい笑顔と、ゆっくりと言葉を選びながら話す、おっとりした感じがとても印象的な女性である。

 

不登校から精神科へ

 今から11年前のこと。14歳のとき、ひろさんはある精神科病院に医療保護入院となった。

「ずっと学校が辛かった」と言うひろさん。

まず、小学校5年のとき、少し乱暴な男の子がいて、クラスは荒れた状態だった。家では、3世代同居のため、お母さんとおばあちゃんがときどき争うようなこともあった。

記憶にあるのは、この頃から。

そして、中学生。そこは「まるで軍隊みたいな学校」で、教師の多くはあれこれと指図をすることが多く、「勉強しろ、勉強しろ」、あるいは「これをしてはいけない」「あれもダメ」。

「先生が怖くて、生徒に手を挙げたり、体罰もありました。生徒に2時間も説教したり……とにかく学校が辛かった」

 それでも中学1年のときは何とか学校に通っていた。しかし、中学2年になると、半分以上は欠席となった。そして、中学三年はほとんど行けない状態に。

 不登校となったひろさんに学校の先生は「学校に来るように」と迫ったが、両親は、「行かなくてもいいよ」と言ってくれた。

「でも、私の方が、みんなが行っているのだから、行かなくちゃと思ってしまって。親に、学校が辛いとは言えたけど、学校に行きたくないとは言えなかったです。先生が、とにかく怖かった」

 無理に登校しようとしたことで、ひろさんは少しずつ精神のバランスを崩していった。家での暴力――窓ガラスを割る。椅子を投げる。テレビを投げる。トイレットペーパーをクルクル回してほどいてしまう……。

 そして、ついに中学2年生の6月、小児精神科病院を受診することになったのだ。

どのような経緯でそういうことになったのか尋ねると、「わからない」と言う。この頃の記憶がひろさんにはほとんどない。



 その後、同病院に2ヶ月ほど入院となった。そのときの処方は、以下の通り。

 アナフラニール(10ミリ) 3T

 リスパダール(2ミリ) 6T

 アキネトン(1ミリ) 3T

 アーテン(2ミリ) 3T

 ルボックス(25ミリ) 2T



抗精神病薬のリスパダールはマックス処方。プラスSSRIのルボックス。プラス三環系の抗うつ薬(アナフラニール)、副作用止め2種――14歳の少女への処方である。

 

退院後も家での暴力がおさまることはなく、さらに薬の副作用からかイライラがつのり、家の中の物を壊したり、投げたり……。便秘、振え、むずむず、目のまぶしさ、生理が止まる、乳汁が出る……なども出現した。




14歳の少女を全身拘束

結局、退院してから4ヵ月後、都内の別の病院に再び入院となった。このときが医療保護入院である。

その様子をひろさんがメールで送ってくれたので、引用する。



「14歳のとき、私が精神科に行くと、すでに親と医師によって入院が決まっていて、動揺しました。私は相談ができるところだと聞いていたので、「どうしても相談がしたい」と繰り返し、泣きそうになりましたが、それでも静かに穏やかに告げました。

 けれど、親と医師の入院への意志が変わることはなく、「あなたの入院は決まっています。お父さんとお母さんは、あなたのために疲れています。休ませてあげるために入院しましょう」と医師は繰り返し言うのでした。

「ここで、ただ相談をさせてください。ここに来て、話すのでは、ダメなのでしょうか」

 繰り返し尋ねたのですが、そのたびに「入院すれば相談ができるよ」と言ったり、「では、今から悩みを話してごらん」と言ったり。

 まだ幼かった私には、初対面のこの場ですぐに深い悩みを話すのは難しかったです」



 こうしたやり取りをしているうちに、医師の対応や病院の異様な雰囲気もあり、ひろさんはパニックを起こした。診察室から逃げ出そうとしたところ、押さえつけられ、注射を打たれた。そして、気が付いたら、保護室で全身拘束されていたのである。

 そのときの「看護記録」を以下、部分的に引用する。



「16時 ストレッチャーにて○号に入室。バルーン(尿道カテーテル)留置。瞬間尿80ml。全身拘束施行。ソルデム3AG500ml+セレネース(5)1A 左前腕より施行。「痛いよー!! 起き上がれないよー!!」と大声、活発。体動。

 年齢が14歳と若く、両親と離れる不安、知らない環境に対する戸惑いなど、情動不安定さ続く可能性あり。対応注意。

 

 19時 「ほどいて下さい……」「トイレに行きたい!!」「寝返りが打ちたい!!」

 興奮し、大声、奇声、活発。

 23時 入眠する。



 深夜1時 覚醒し、大声、奇声、活発。「これ、外してよー」など。

 拘束の必要を説明するも、理解したかは不明。疎通は良い。

 1時半、再入眠。



 翌日6時 ときおり大声出すも、疎通良好。

「昨日のこと、覚えてないよ。どうしてこうなったの? 注射のせいだ」と繰り返す。

「これ(バルーン)痛いから、抜こうとしたの」



 10時 「家に帰りたい」「体が痛い」など訴え、大声を出す。

 10時半 「ご飯、食べさせて」と訴えあるが、食べ終わったら、もう一度手を止めさせてもらうと告げると、「じゃあ、食べない」と拒否。その後、オーバーテーブルを蹴り、食事をひっくり返す。

 12時 片上腕フリーにて、昼食全量摂取。

 再拘束、スムーズ。

 その後、傾眠経過。



 12時40分 母の面会あり。花瓶など持って来られる。

「体が痛い、どうして解いてくれないの。お母さ~ん」

 痛みに対して過剰反応する。

 17時 「助けて~、お母さ~ん。家に帰りたい!!」と大声で連呼し興奮状態。全身に力を入れて硬直させている」


…………………………

 その後も、ひろさんは「助けてくださ~い」と叫んだり、「ここにいると不安になる、家に帰りたい」と泣きながら騒いだり――。

 看護記録によると、3日後、「室内フリーとなるが、不安、帰宅要求強い」。



 結局、拘束は丸3日続いたことになる。

 14歳の少女が突然手足を縛られ、尿道カテーテルをつけられればパニック状態に陥るのは当然だろう。そのとき、何の抵抗も示さないほうがよっぽどどうかしていると思うのだが、精神科の場合、泣いたり叫んだりすることは「情動不安定」と「病的」なものとして受け止められるのが常である。

 それにしても、「疎通良好」と書きながら、ではこの拘束はいったい何を目的とした拘束だったのだろう。

   (つづく)