11月の出版に向け、原稿の整理に追われ、少し時間があいてしまいましたが、過去の体験談の掘り起こしを続けたいと思います。(ちなみに、本は『ルポ 精神医療につながれる子どもたち』というタイトルです)。

なぜ、私がこの「掘り起こし」にこだわるかというと、やはりメッセージという私個人に寄せられた被害の話を、そのまま私一人で持ち続けていることの罪悪感、もったいなさ、そして、実際ブログに載った体験談以外にも、これだけの被害が出ているのだという「証拠」として、残しておきたいと思ったからです。したがって、この「埋もれた体験談」は間欠的ながら今後も続く予定です。


TKさん

私は40代後半の女性です。十年前に他の病気をきっかけにパニック障害を患いました。

最初に通院したクリニックではパニック障害さえわからず、きつい薬を処方され、こじらせてから転院しました。

そのためか、最初からパキシルを処方され、まもなく症状も好転し始め、治療は順調に進みました。

しかし今思うと、六年半の投薬は長すぎたのか、減薬が10mを割ったころから、回転性のめまい、不眠、動機、神経のざわつき、不安感、首や肩の激しい凝り……など自律神経の不調に悩まされるようになりました。

でも、通院中の医師から「離脱症状」の言葉は一切なく、年齢的に更年期障害を発症したのだと思い、婦人科を受診。婦人科医がお薬手帳を見て「これはパキシルを減薬するときに起こる現象です」と説明を受け、初めて自分が置かれている状況が理解できた次第です。

その後も医師からの減薬についてのアドバイスもなく、パキシルへの不信感から独断で薬をやめましたが、症状はつらくなるばかりでした。

そしてジェイゾロフトに変更するも副作用がひどく中断。ルボックス(最高時で50mg)とリーゼで治療が続きましたが、離脱症状はパキシルの減薬時を含めるとかれこれ三年を過ぎる長期間にわたりました。

回転性のめまいから不動性めまい、そして現在は生理前後の頭が熱い感じと、ふらつき、首や肩の凝り、食欲不振、過食、下痢、人ごみでのめまいなどにおさまってきました。それでもなんと長い期間に感じたでしょう。

何度も何度も心が折れそうになるのを「自分は必要とされている」「いつか必ずよくなる」と自分を励ましながらやってここまで来た感じです。

医師からは症状を聞かれ、いろいろ言うと、一度などは「もうとっくに症状は治まっているはず。自分が勝手に不調を感じているだけ」とか「治る人は偽薬でも治る」などといわれ、今では信頼感のかけらもありません。

そのため、サイトを検索して良くなった人の話を参考に自律訓練法、自己暗示、ヨガ、フラワーレメディ、丹田呼吸法などを続けています。また、常葉まり子さんの減薬についてのアドバイスの本もたいへん役に立ちました。

私が痛切に思うのは、医者は薬のことを知らない。薬の勉強まで及ばないのならば、クリニックに薬について深く相談できるカウンセラーを常駐して欲しい、という思いです。

きっと日本中、いや世界中に同じ症状で苦しんでいる人がいるのではないでしょうか。途中で苦しみのあまり命を絶った人もたくさんいるのではないか・・・と気がかりになるほど経験者にとってはつらいものです。ですから、同じ症状を素直に書き込める(話せる)場所があると言う事はとても重要なことです。

このようなサイトを開いてくださって、日々情報を提供してくださることに心から感謝いたします。命を繋いでいただいている気がします。今日、初めて書き込みをさせていただいて、気持ちが少し軽くなりました。ありがとうございました。またメールをすると思います。

早速お返事いただきありがとうございました。気持ちを理解してくれる方がいてとても勇気付けられました。人とつながっているということがこんなにも心強いなんて・・・。 薬の件ですが、最初のクリニックではいろいろな薬をひとつの袋にまとめて梱包して渡されていたのでどんな薬が入っていたのかもわかりません。すでにお薬手帳もなくなってしまいましたので・・・。

現在通院中のクリニックで最初に処方されたのはレキソタンとパキシルでした。パキシルの効果が出始めると、20㎎、一日二回を6年半飲みました。現在はりーゼ5㎎を半錠にして一日三回、それとツムラの当帰杓薬散を飲んでいます。ルボックスはやめて二ヶ月ほどたちます。

以前に比べて離脱症状は軽くなってきたとはいえ、生理の前後にはふらつき、頭の熱さ、立っていると足にとても力が入る平衡感覚の欠如、首や肩の凝り、動悸などはまだ抜けていません。一日中楽に過ごせるということはまだなく、比較的我慢しやすかった・・という日があれば気持ちが晴れやかな程度です。

1番辛かったのは、離脱症状が出始めたころに、パニック症状のぶり返しのような症状が出たことでしょうか。また元に戻ってしまうのでは・・・という不安感はたまらないものがありました。

現在は飛行機以外の乗り物はすでに乗っています。ただ、離脱症状からくる体調の不安感で遠出や人ごみに出ることを自然と避けるようになっています。

実は、私の知り合いが医薬品の卸の会社に勤めていて、「パキシルは薬価が高いから医師は処方したがる」というからくりを聞き、とてもショックでした。また、離脱症状に苦しむ人があまりにも多いために、さらに少量のパキシルが作られたことも知りました。

まだ私の離脱症状との付き合いはしばらく続くと思います。でも、完治する日を信じて頑張ります。勇気とやすらぎをくださってありがとうございます。心無い書き込みをする人もいるようですが、あなたの活動は多くの人の命を繋いでいます。救っているといっても過言ではありません。患者の話を聴かない医師、自分の思い通りに回復しなければ切り捨てる医師を見てきました。あなたの尊い活動がどんなにありがたいものか……。どうぞご自身のお体も大事になさってください。 ありがとうございます。


SMさん

はじめまして。

SMと申します。いつも記事を読ませていただいています。私は、[うつは心の風邪]と言われた頃に、頭痛や眠れないなどの症状があり辛かったので、自ら心療内科を受診しました。12年前のことです。

〈抑うつ状態〉と診断されて、働きながら病院に通い、薬を服用してきましたが、5年前から全く働くことができない状態になりました。今は精神科の病院に転院しています。

離脱症状がひどかったのもあり、色々調べていくうちに薬のこと、精神科医のことに疑問をもちました。今は自分のできる範囲で減薬し、さらに精神科医に相談して減薬しています。わかった時はショックだったけれど、今の状況は自分である意味選んだことだと思っています。それでも他の人には自分のように苦しんで欲しくない…とも思っています。かこさんの働きは、私の目を覚まさせるには十分でした。有難うございます。これからも応援しています。


MGさん

突然に失礼いたします。

統合失調症の16歳です。

かこさんのブログをみて、今まで自分の思ってきたことが、赤裸々に書かれてて、心を打たれました。

私も日本の精神科を信じることはできず、今でもずっといろいろなことを調べてきました。

私もさまざまな体験をしました。おそろしい体験も。

私はある日、救急車で運ばれ、なんの説明もなく、閉鎖病棟の隔離に入れられました。

薬はセロクエル、ユーパンなどです。

以前は本当に大量に処方されており、アカシジア等のあまりに想像を絶する副作用でした。

そのため、自分の意思で薬を減らしました。医者の思い通りになりたくなかった。

でも日本の精神科は絶対なにかあると思っていました。

いろいろな病気、薬、副作用の勉強をしていきたいです。いろいろ教えてください><

本当に本当に辛いことばかりでした。15歳で大人の精神科はふつうはありえないですよね。私の場合は受け入れてくれる病院がなかったからなのですが…。

そうですね、入院のきっかけは「家で暴れて救急車で運ばれた」です。

薬を飲む前もそのようなことはあったのですが、救急車を呼ぶほどひどくなったのは、薬を飲み始めてからです。


TRさん

最初にお詫びを申し上げます。誠に勝手ながら3度、こちらのブログをTwitterでツイートしました。すみません。

改めて、かこさんの主旨に賛同するものの1人として、読者の1人としてアメンバー登録をお願いいたします。

私自身の体験も可能であればお役に立つ日が来るかもしれません。

統合失調症の診断が下ったのは26歳。現在39です。

何があったかはあなたのブログ賛同、となれば判断していただけるものと思いますが、差別や偏見以前です。やってはならないことを、医療現場で行っている(行っていた)事実は、まぎれのないものです。


KNさん

12月に入った頃から外出恐怖や対人恐怖で、通院以外、外出も会話も出来ずにいました。

今はネットでスーパーの買い物が宅配できるので助かりますね。

私も、抗うつ薬をやっと1種類に減らすことが出来たばかりです。

初めて抗うつ薬の処方を受けてから、今年で10年になります。

自分から、「お薬手帳」を申し出て、「お薬110番」というサイトで処方が出るたびに確認して、減らしたいと何度も働きかけて、やっと、です。

外出恐怖の一番の原因は、入院した病院です。

薬や保護室や閉鎖病棟での監視、禁止事項、詮索、干渉……。

退院後の訪問看護も、「自宅まで監視が来る」という心境にしかなれず。

日本の精神疾患の治療には、色々問題はありますが、一番にいまだ根強い病院での人権無視ともいえる「運営」、障害年金が一番そうですが、社会福祉資源を利用する時の情報のなさ(あえて医師が教えてくれないというのは常識です)。困難で複雑で患者に負担の大きい申請、通るのに何ヶ月も待たされること……。

薬物治療がここまでおかしくなったのには、カウンセリングをはじめとする心理療法などが社会保険の適用外だということ。

病院に常駐の心理士の多くは、家族全体の病巣まで診る人はまず居ないのでハッキリ言って、グチの聞き役、あるいはそれ以下にしかなりません。

うつで働けなくなる患者の多くは、経済力を失っています。

1割負担の自立支援医療でどうにかなる薬物治療で「我慢する」しかないのです。

薬にだけ頼らない治療が常識となっていってくれることを患者としては願っています。


AKさん

いつもブログを興味深く拝読しております。私も向精神薬の被害者です。自分の「統合失調症」が、どうしても薬なしで治らないのかとmixiのコミュを検索していた時、こちらのブログを知り、いろいろ調べて当時の主治医に話したところ、「統合失調症でない可能性がある」と言われて話し合いの下で薬をやめました(主治医は担当になった時から大量に処方されていた薬を減薬してくれていました)。

私はかこさんのブログに登場したり、コメントをしたりしている人たちに負けないくらい(という言い方が妥当かどうかわかりませんが)の被害者です。26から35までの9年間、最初はうつ病患者として、すぐに統合失調症にされて人生を台無しにしました。

でも、私は自分が精神科にのめりこんでしまった、一日何十錠もの薬を無批判に飲み続けた責任は自分自身にもないことはない、と思っているし、実際に向精神薬で救われている人を沢山見てきたこと、最後の主治医が医師として良心的だったことなどから、「向精神薬は全部悪い、精神科医も全員悪くてお金のためなら非道なことをためらわない」といった感じには思っていません。

本来なら声をあげるのが私がやるべきことなのかもしれませんが、正直今後の人生をまた精神科に費やすのはもったいないと感じています。それに、本当に自分が失ったものを見つめたら、絶望してしまうほど長い時間・多くのものを失ったからかもしれません。

私は過去9年間通院している間、いわゆるリアルとネット上とで「統合失調症」の人たちと交流を結んできました。当時よくしてくれた人たちの大多数はおそらく薬剤性精神病と思われ、今もなお病気に苦しみ、診断を疑うことなく薬を飲み続けています。

特に、私は自分自身がリスパダールを長年大量に投与されて、妊娠が危ぶまれる体になってしまったため、妊娠に禁忌というリーマスを服用しているので子供をあきらめている知人に、なんとかして服用をやめてもらいたいと思っているのですが、何か言っても信じてもらえないのでは、とどうしていいかわかりません。

かこさんのブログに辿り着く人は、自分への精神医療に何らかの疑問を持っている人だと思います。その陰にはより多数の、精神科に従順な患者がいます。私が親しくしていた人たちも、精神科になんら疑いを持っていません。

なんとかしたいと思いつつも、家族でも恋人でもない他人の「治療」に介入することはできないと思い、無力感を噛み締めています。