前回のエントリに対して、すごい数の情報が寄せられました。
一つ一つに返事が書けませんでしたが、目を通させていただきました。ありがとうございます。
今回は体験談を公開いたします。
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今年の1月くらいからメール交換をしてきた方がいる。
62歳の女性(Kさん)。ご主人と娘さんが精神医療に関わり、ご主人は現在も入院中。そして娘さん(A子さん)は17年ほど薬物治療ののち、平成23年にセカンドオピニオンを受け、なんとか減薬、断薬にこぎつけた。
だが、断薬はしたものの、その後の状態は思わしくない。
現在、36歳になる。そもそものきっかけは、高校2年生のとき、今から20年前のことだ。
16歳でうつ病という診断
A子さんは高校に入ってから気分的に激しく落ち込むようになった。成績も、中学生までは普通より上くらいだったが、高校では勉強がまったく手につかない様子。母親のKさんから見てもどこか尋常でないものを感じ、また頭痛・腹痛も訴えるので内科を受診した。特に異常は見つからなかったが、学校に行けなくなった。
そこでKさんは、そのときすでにご主人が精神科にかかっていたこともあり、A子さんを同じ精神科医に診てもらうことにしたのだ。
ご主人は30数年前、30歳のときに、幻聴、眠れないなどの症状が出て、精神科受診となっている。最初は「心因反応」「神経衰弱」といわれ、3か所目の医療機関で統合失調症(当時は精神分裂病)との診断を受けていた。Kさんのメールを引用する。
「(娘のことに関しては)夫の経過に疑問を感じていなかったのが問題でした。夫は、薬を飲んで寛解の状態であると思い込んでいましたが、そうではなかったのだと娘のセカンドオピニオンを受けて気がついたようなありさまです。30歳では統合失調症の発病はめったにないということもセカンドの先生から教えていただきました。
しかし、当時は娘ももしや夫と同じようになるのではという強迫的な思いがどこかにありました。だとしたら早めの治療が必要なのではないかと……無知とは怖いものです。
医師を信じてきた自分が、その後の娘の人生を狂わせ、廃人寸前まで追い込んでしまったのだと思っています」
最初の受診では「うつ病」という診断だった。薬が処方され、1週間くらい飲み、多少の落ち着きが見られた。またA子さんが、薬を飲むと眠くなるので飲みたくないと言ったので、ちょうど夏休みということもあり、それなら飲まなくてもいいとKさんも考え、飲まずに過ごしていた。
薬を飲ませなければ悪くなるという医師の言葉
しかし、夏休み明け、最初の診察日に薬を飲んでいないことを医師に告げたところ、
「どうして飲ませないのか。病気が悪化する」と言われて、Kさんは、予防のために飲まなければいけないのかと、医師の言葉を信じてしまった。
当時は、まったく医師も薬も疑うことなく、またA子さんの真面目な性格もあり、嫌々ながらでも薬を飲み続け、そこからが地獄の始まりであることを想像すらしなかったという。
うつ病から統合失調症へ
「夏休み中、明るくなってきたとの安心は、薬を飲むことにより不安に変わっていきました。しかしその当時それが薬のせいであるなどと思いもよりません。登校などまったく無理になり、通信制に転校しましたが、それすら私と3回くらいいっただけです。
それまではなかったことですが、家を突然走って飛び出したり、自転車でだーっと突然どこかに行ってしまったり、近くの踏切に行き線路に横になったり、首を吊ろうとしたりと、自殺行動をするようになってきたのです。
病気が悪化……? 薬で悪化を抑えるどころか、どんどん悪くなっていきました。
そして薬が増え、一時は1日分が32錠。詳しい処方内容は、今カルテ開示請求をしています。(最初の6年間の薬についての記録がないという)。
さすがに他の精神科や、電話相談や、お薬110番などで相談したところ、薬を整理する必要があるといわれ、病院を変わったほうがというアドバイスもありました。
そんな矢先に副作用の悪性症候群に近い状態になってしまい緊急入院です。1か月の入院後、同じ病院の違う医師に変わりました。ここでもなぜ病院を変わらなかったのかと後悔です。
その後その医師に世話になったのですが、医師から、「うつ病ではありません。統合失調症です。今の薬を飲んでいてもよくなりませんよ」と言われました。
そこで疑問に思わず、変に納得してしまったのです。やっぱり夫と同じなのかと。そして薬を変えるために2か月の入院をしました」
うつ病として薬物治療を続け、おそらくその副作用で「奇行」が出たのだろうが、精神医療お決まりの、副作用を症状の悪化ととらえられ、うつ病から統合失調症へと診断が変わった。
じつはA子さんが関わった病院は、これまで私がこのブログでも何度も触れてきた厚労省の研究事業として行われた「精神科早期介入」を推進する中心的医療機関の一つである。
当然というべきか、その病院(医師)のもとではA子さんの病状が改善することはなかった。単に薬が処方されるだけ。症状が出れば、それに沿った薬がまた出されるだけ。
例えば、A子さんが22歳(平成12年5月)のときの処方は以下のとおりだ。
(1日分)
イソプロメン3mg 3錠(抗精神病薬)
ロシゾピロン25mg 3錠(抗精神病薬)
コントミン25mg 4錠(抗精神病薬)
プロチアデン25mg 6錠(三環系抗うつ薬)
タスモリン1mg 3錠(抗パ剤)
コンスタン0.4mg錠6錠(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)
Kさんのメール。
「この処方のころから攻撃的になり、それまでのうつ的な状態はなくなりました。きょうだいに対してもかなり攻撃的で、激しさは増すばかり。しかし、医師に伝えても「仕方ない」という感じでした。
家にいたら共倒れになると、きょうだいたちは家を出ました。そして、藁にもすがりたい気持ちから、その頃から先祖供養を始めました。(関西から)東京のほうのお寺に2年間通いました。(結局、供養をしても一時は状態がよくなっても、すぐに戻ってしまうし、お坊さんの霊視も疑問に思えてきたから、やめましたが。)
しかし、供養を始めて半年後、娘は薬を飲むことをやめてしまったのです。私もあまり深く考えることなく、飲むのが嫌なら飲まなくても……という感じでした。当然病院にも行かなくなりました。主治医は悪化するから飲んだほうがいいとの話でした。
そしてそれから半年後、つまり供養を始めて1年後、憑依状態になってしまったのです。医師に言わせればそら見たことかという感じです。
それでも、そのまま薬を飲ませなければよかったのです。そうしたら今頃は……。
当時は、解離状態ということも、離脱ということも知りませんでした。ただ再発ですという医師の言葉を鵜呑みにし、薬をまた飲ませだしたのです。
本人がまったっく別人格となってしまい、雨戸を閉め部屋から出ようとしないため、通院はあきらめ、薬だけ出してもらい飲ませていました」
状態の悪化
薬の副作用か、A子さんはきょうだい関係だけでなく、友人関係もうまくいかなくなってしまった。友だちのなかでも最後まで付き合ってくれて、看護師を目指していた同級生もだんだん来なくなり、話にまとまりがなくなり、好きだった絵も、描くものがだんだん雑になっていく、そういう変化が目に見えてわかるようになってきた。
何とかしなくては。Kさんはその思いから、平成19年12月(A子さん29歳のとき)、入院をさせた。
「もちろん騙して車に乗せ連れて行きました。病院についても降りないため、先生が車まで来ると観念したようで、自分から降りました。それでも自分は○○A子ではない……宇多田ヒカルだなんて具合で、宇多田ヒカルで入院しました。
入院後、薬を変え、1か月ほどで本人に戻りました」
2か月入院し、その後の処方が次の通り。
リスパダール内用液4mg、ドラール錠1mg、デパス錠1mg、ランドセン錠1mg、リスパダール錠1mg、リスパダール内用液とリスパダール錠は寝る前。
4月にはドラール錠がロヒプノール錠2mgになり、リスミー錠2mgが増え、リスパダール内用液2mgになる。
5月にアーテン錠2mg(手が震えて絵が描けないと訴えた)、6月はリスパダール内用液が6mgになりリスパダール錠はなし。
8月はエビリファイ錠6mgが増え、2週間後、エビリファイ錠12mgになり、9月にはエビリファイ錠はやめている。
その後は、リスパダール内用液、リスミー錠、ロヒプノール錠、ランドセン錠、リスパダール錠、アーテン錠で20年11月まで同じ。
11月にロナセン錠2mgと4mgが4錠ずつ出て、21年3月にはロキソニン錠60mgが2錠追加。
そして平成22年7月、騒ぎがひどくなる一方で、叫んだりもあったため薬が合わないのではということで、薬の調整のため、またしても2か月間程入院している。 (つづく)