「このときは解離こそしていませんが、叫び声は病棟中に響き渡るほどでした。担当の看護師さんに対しても怒りっぽく、世話をされるのを嫌がっていました。すでに基本的な風呂、歯磨きなどあまりしなくなっていたため、その訓練も課題、また歯の治療も目的でした。歯は何とか治療をしたのですが、歯槽膿漏になってしまったので、永久歯を3本も抜きました。その後治療をしていないため、このままいくと総入れ歯になりそうです。元々は綺麗な歯並びで虫歯もあまりなかったので、残念です



 その頃の処方内容は以下のとおりだ。

 リスパダール内用液5mL  1日2回  朝食後・就寝前

ロシゾピロン錠50mg   2錠

同      25mg   2錠

リスパダール錠3mg    2錠

以上1日2回  夕食後・就寝前


 

これはかなりの量である。リスパダールはマックス処方で、さらに内用液を1日に10mlプラスされ、そのうえにロシゾピロン300㎎だ。大きな声で叫ぶのを何かしようと、こういう処方になったのだろうか。

しかしA子さんは、その後、薬の量に匹敵するように、どんどん悪化していった。



「退院後、一時的に叫ぶことは減りましたが、診察は2か月に1回で、以前は診察の帰りにCDや本(マンガですが)、たまーに服を見るためショッピングセンターに寄ることもあったのですが、だんだんとそれもなくなり、楽しみにしていたマクドナルドにも寄ることはなくなりました。

車で乗せていき、診察と薬局は1人で行かせていたのですが、あるとき薬局で3、4歳の幼児になってしまい、車まで戻れなくなってしまいました。薬局から戻って来るのが遅いので様子を見にいくと、自分がどこにいるかもわからない感じでした。その後、診察にも行こうとしなくなりました。意味のない診察だったのでしょう。血液検査など入院した時以外では全然していませんでした。

リスパダールをそんなに飲んで、血液検査をしていないとは……とセカンドをお願いした笠先生もびっくりしていました。笠先生にメールをし、電話をもらうまで娘は統合失調症であると信じていたのですから……おかしい、おかしいと思いながら長い歳月を過ごしてしまいました。叫び声をあげながら玄関から裸足で飛び出して行った時、確信を持ちました。このままではダメになると。それからです。ネットで調べ出したのは…遅すぎましたけれど」



減薬、そして断薬。しかし……

平成23年7月から、A子さんの減薬は始まり、平成24年の3月には断薬に至った。

しかし、断薬から1年を過ぎても、生活能力は衰えたまま、苦労の多い日が続いた。



困るのは、冷蔵庫にある食べられそうな物は一度に全部食べてしまうことです。牛乳を1リットル入れておいたら一度に全部飲んでしまいます。ヨーグルトの4個入りはもちろん4個食べてしまいます。他の食べ物もです。火を入れないと食べられない物はそのままですが、レンジでOKなものはやはり食べてしまいます。12個入りのジュースなども一度に全部飲んでしまうのには唖然としたものです。隠しておくのですが、探して飲んだり食べたりです。隠す場所も限られてきたので買わないことにしました。化粧品とかヘアケア用品も数日であけてしまうため、仕事に行くときは持って家を出ます。こんな生活をしていて、自分は何してるんだろうって思うこともありです

汗や尿、生理で汚れたままのズボンを洗うことなくそのまま着用……匂いも大変なもんです。一回洗ったら濡れたまま取り込んで、すごい匂いを発して参りました。スキを見て捨てました。ベッドの半分はそんな汚れた服に覆われ、寝る時は着の身着のまま横になります。コートを着ているため、そのまま薄い毛布で寝てます。家の中で靴を履いたままです

注意して、逆にバトルを繰り広げ、ガラスを割ったことも何回かあります。また私が寝ている時というか夜中にやったのか、食器棚のガラスや窓ガラスが割れていたこともあります。ガラス戸をバシン、バシンと開けたり閉めたり、蛍光灯のスイッチ、トイレやお風呂のスイッチ、挙句の果てに、ブレーカーを上げたり下げたり……根競べです。

あまりひどいときは、包丁を持って脅して止めさせることもあります。妄想には妄想の上を行けと、ある人に教わったからです。やり方が正しいかどうかはわかりませんが、てきめんです。「頭おかしいよ……」って引き下がるからです

自分もあまり優しい人間ではないので、時には「ウルサイ! 病院にぶち込むよ」などと怒鳴ります。すると……「お前が入れ」と返ってくるあたりなかなか正常!

憑依も時々あります。今は夫が娘に入ることがあります。信じられないかもしれませんね。困るのは夫が憑依すると結構大騒ぎになるのです。先日、アウトリーチの方々が見えた時、ちょうど夫が憑依していて、話し方まで似るんですねと感心していました。アウトリーチの方が見えても、毎回人格が違います。いったい何人って感じです

私の靴や、パソコンのマウス、本などを持っていってしまったときは、許さんとばかり……水攻めにしたり、相変わらずの変な親をしてます。敵も根性ありでなかなか返さないので大変です。解離か夫か……ほとんど男なので、こっちもつい男になってます。足がやっと動くくらいに疲れているのに嫌になります。

毎日こんな生活ですが、でも、昨年や一昨年の薬を飲んでいた頃と比べたら、叫ぶことがない。自傷行為(自分の頭をこぶしで殴ったりした)がない。泣き続けることがない。助けてと夜中に騒ぐことがないなど、確かに変化しているのです。以前より睡眠時間が長く取れている感じなので、回復しつつあるのだと期待しています」



ご主人のこと

Kさんの家は現在入院中のご主人のほか、2人のきょうだいは家を出て、KさんとA子さん、そしてダウン症の長女がいる。Kさんは週に4日、午前9時から午後3時までクリーニングの受付の仕事をし(許可を得て仕事場に長女を連れて行っている)、その間、A子さんは家で一人だ。

ご主人の発病は30歳――(分裂病という診断だが、30歳での発病はほとんどないという笠医師の意見である)――ちょうど長女が生まれたあとのこと。ダウン症ということで、性格や環境などの条件が重なってもともと張りつめていた糸が、それをきっかけにプツリと切れてしまったのかもしれないとKさんはいう。

それでも、その後、ご主人は何とか通院しながらも仕事を続けて、60歳の定年まで勤めあげた。

A子さんについては、セカンドオピニオンの結果や、その後の減薬をなかなか理解せず、「騒ぎがひどければ入院させればいいじゃないか」という考えだった。入院をして一時的に良くなったように見えてもまた、徐々に悪化して、結局前より悪くなっていることに疑問を感じないようだった。

そんなご主人だったが、なにを思ったか、突然自分も薬を止めてしまったのだ。昨年5月のこと。退職して1年ちょっとが過ぎていた。

薬の管理は自分でしていたので、 Kさんが気づいた時はすでに1ヶ月がたっていた。時すでに遅し……。何とか薬を続けるよう病院へ連れて行くのがやっとだった。

暴れたり、薬を拒否したり、結局お決まりの「保護室・拘束」となった。落ち着いたら、またしても薬を拒否、入院をしていても治療のしようがないと、8月に退院させられた。

その後、2週間もたたないうちに悪化。夜中に起こされ、「すべてお前が悪い! 出てけー! の怒鳴り声……恐怖をおぼえ、長女と家を出てホテル住まい、アパート住まいをした。具合の悪いA子さんは連れ出すことはできない。

そしてまた2週間後、心配して訪ねてきたアウトリーチの人に包丁を持って襲いかかったため、措置入院となった。昨年9月のことだ。



昨年9月11日に入院してから面会はできない状態でした。しかし、措置入院から医療保護入院へ変わることになりその手続きのため、面会できる状態には回復していないのですが、兄に来てもらうことにしました。保護室とはどういうところか知ってもらうために面会してくださいと。兄は渋っていましたが、結局面会しました。以前の病院でも保護室でしたので(昨年5月から8月まで)、代わり映えしない保護室を私も見てきました。

お風呂に入った後だったためか、布団に横になったままでしたが、帰省していた子どももつれて、子どもが話しかけると我にかえったようで、私から見たら普通に見えました。80キロ以上あった体重は嘘のようにすっかりやせていました。

面会後帰る予定でしたが、先生がちょっと10分位お話をというのでまた話を聴いたところ、あのように落ち着いて話をしているのを見たのは入院以来初めてですというのです。薬を拒否したり飲んだりで、12月からはハロマンスの注射に変わりました。現在200mに睡眠剤を飲んでるそうです。

怒りっぽく、人の中に入れると突然服を脱いでしまうなどの行動もあり、スタッフが足りないことも問題ですが、保護室からなかなか外に出せないということでした。幻聴幻覚もとれず難治性です。前の病院でもう少しきちんと治療していればここまで悪くならなかったでしょう、というような先生の話でした。

薬を突然止めたための今回の出来事です。長年の服用で認知機能も普通より落ちていたところへ、急に薬を止めたためにおきた諸々の症状……そして新たに以前より多いであろう精神薬によって受けた脳へのダメージは、素人でも想像がつきます。回復は難しいかもしれません。

私たちの姿を見た時の安心したような顔、安堵感はまだ見捨てられてなかったという安心かも知れませんが、精神科の先生や看護師さんたちには絶対見せないという根性というか、なんというか、このままでは1年でも2年でも保護室暮らし……その前に体が弱って動けなくなるのでしょう。そんな気がします。それを黙って見過ごすわけにいかないかなと……精神医療の現実を知ってしまった者の性でしょう。徐々に面会などの行動を起こしていくつもりです。一時は離婚も考えましたが、腐れ縁とはこういうことですね。自分勝手に薬をやめてしまって、この1年間の思いはかなりのものですが、仕方ありません。

誰よりも真面目で大人しく、犯罪とは無縁というか、一番遠いところにいた人だと思います。真面目が仇となってこのような結果……人生の最後になって精神薬の恐ろしさを、身をもって教えてくれなくてもと……残念です」


この入院に至る前のご主人の主治医、新たに主治医になった医師から、「前の病院でもう少しきちんと治療してればここまで悪くならなかったでしょう」と指摘された病院(医師)はA子さんの主治医でもあり――実は私はその医師に取材を申し込んだが断られている――そんなことをやりとりするメールをKさんと何度か交換し、その後、Kさんからのメールはしばらく途切れた。             (つづく)