42歳の、Yと名乗る女性からメールをいただいた。なぜYなのかという説明をYさん(仮に淑子さん)はこう説明した。

「YはZの前なので 《 良くも悪くも、まだ終わりではない 》という意味でつけました」

平成16年から始まった向精神薬服用。そして、5年後の平成21年から現在にいたるまでの減薬、それに伴う離脱症状。現在も体の痛みを抱えている淑子さんとの十数回に及ぶメール交換を経て伺った彼女の体験談をお知らせします。




友だちに紹介されて心療内科へ

淑子さんが最初、心療内科に受診したきっかけは、肉体的な疲労が重なり、さらに職場での人間関係にも悩み、気分の落ち込み、自然に涙が出る、息苦しくなるという症状が出たからだった。

受診の前、仲間のMさんに相談したところ、Mさんが心療内科に通っていることを知らされ、淑子さんはMさんに「仕事中に無気力になり限界を感じている」と話すと、彼女は、「今、薬を持っている。落ち着くから1錠飲んでみたら」と勧めてくれた。

淑子さんは、薬は少し怖いなと躊躇したが、藁にもすがる思いで飲んでみたという。そのとき飲んだ薬が何だったのかは記憶にないが、ともかくMさんが通院している心療内科Aを教えてもらい、淑子さんは受診することにした。



医師は淑子さんを「抑うつ」と診断。処方はデパス(1日3回)だった。

このとき、職場の同僚が付き添ってくれていて、デパスを見ると、「~さんも頭痛がひどいと言って、飲んでいる」いう話を聞き、淑子さんは「デパスは頭痛薬? こんな薬で私の悩みやつらさが解決するわけがない」と思いつつも、この息がつまったりする症状が和らげばと、半信半疑ながらも飲み始めた。


それが今から7年前の平成16年9月頃のことだ。淑子さん35歳。

初診の際の処方箋は見つからないが、平成16929日の処方箋には、すでにデパスは消え、以下のようなものになっている。

リーゼ5mg  13

パキシル10mg×2  夕食後

レンドルミン0.25mg  就寝前

ユーロジン2mg  就寝前



心療内科Aでの処方はその後も、いくつか薬が入れ替わったり、種類が増えたり、パキシルはずっと出され続けた。

そして、薬を飲み始めて3ヶ月たった12月頃から、淑子さんに異変が現れる。

思考が停止したような状態になった。言葉が出ない。倦怠感がひどく、食欲もない。体重は薬を飲み始める前に比べると、7キロも減っていた。

1ヶ月というもの、布団で寝たきりとなり、感情の起伏がなくなったが、淑子さんは病気(抑うつ)だからこうなるのかと思っていたという。



人格崩壊

状態悪化が続いたため、遠方の心療内科Aに通うことができなくなり、淑子さんは近くの心療内科Bに、平成174月、転院することになった。

心療内科Bを選んだのは、チラシがポストに入っていたからだ。ニコッとした笑顔のイラストと「漢方処方します」と書かれていた。しかし、実際には、漢方の処方はごく一部にすぎないことがのちにわかる。

だが、その頃の記憶はひどく曖昧である。淑子さんは医師から病名を告げられた記憶もなく、こっそり見ることができた書類には 不安神経症と記入されていたような、あるいは、自律神経失調症だったかもしれないが、ともかくそんな状態だった。

そして、薬に依存、医師を盲信するようになっていった。




その頃の処方

メイラックス1mg  12

レキソタン5  13

プロチアデン25  13回(抗うつ薬)

パキシル10mg  13回(抗うつ薬)

トリプタノール25  就寝前(抗うつ薬)

レンドルミン  就寝前

ロヒプノール2  就寝前

アルマール10  12回(狭心症、不整脈の治療薬)

ムコスタ  13





抗うつ薬3種。その他ベンゾ系が複数処方されている。就寝前には9錠のベンゾ系睡眠薬。それを見ていた淑子さんの母親は、「寝るのに9錠も飲むなんておかしい」と言っていたが、淑子さん自身はすでに判断力を失っていた。




 心療内科Bを受診して数か月、次第に淑子さんの行動は「人格崩壊」を思わせるような症状が現れるようになっていた。

・拒食――食べなくてもものすごく元気で行動的に。

・異常なテンションの高さになる

・そわそわして落ち着きがなくなる

・落ち着かずその場で飛び跳ねる

・混乱して呼吸が出来ない状態が起きはじめる

・被害妄想が強くなる

・狂ったように怒鳴り声をあげる

・見ず知らずの人に声をかけたり、喧嘩をふっかける

・服装や外見が異様なくらい変化し派手になる

・物を盗みたい衝動にかられる

・物を盗みに行くのが楽しいことに思えてくる

・言葉が大きくなり、調子に乗った発言をする

・ギャンブルにのめり込む

・過食嘔吐




ちなみに、平成21年6月1日、この心療内科で処方された薬は以下の通り。通院が始まって4年。明らかに上記より種類が増えていることがわかる。



パキシル10mg 1日3回(抗うつ薬)

レキソタン5 1日3回

デパス1mg 1日3回

レボトミン5mg×2錠 1日3回

グッドミン0.25mg×2  寝る前

ハルシオン0.25mg×2  寝る前

テトラミド30mg 寝る前(抗うつ薬)

アモバン10 寝る前

ベゲタミンA 1日3回

レボトミン25mg (頓服薬10回分)

ツムラ防風通聖散エキス  1日3回

ツムラ? 1日3回

ガスモチン5mg 1日3回胃薬

酸化マグネシウム 1日3回

プロテカジン10 朝夕胃薬

ロキソニン 1日3回

メバロチン 1日1回コレステロールの薬




 SSRIによるアクチベーションシンドローム、てんこ盛りのベンゾジアゼピンによる脱抑制。酩酊のような状態となり、結果的に、淑子さんの奇行はさらにエスカレートしていくことになった。




淑子さんのメールから。

「今、考える力を取り戻し、過去を振り返ることができるのが、こんなに苦しいものかと、現在も記憶に苦しむ日々です。

家族や友人・知人にどれだけ迷惑をかけたことか……自分の人生すら、もうそれは取り返しのつかないことになってしまいました。家族や他人様には言えない狂乱狂気の沙汰、人格崩壊はどんどんエスカレートしていきました。

たとえば、

・わざわざ相手を殴りに行った事が何度もあった

・抑えきれない凶暴で家の壁を蹴ったりしていた

・線路に寝そべり電車を待った

・私の身体には自傷行為でつくった沢山の傷と火傷の痕がある

自傷行為は得体のしれない怒りや悲しみが強かった時に行っていたと思う。



心療内科Bにかかって以降、今ここに書ききれない、数え切れないくらい、考える力のある人間ならば到底行わないだろうことを行い、人格は崩壊していく一方でした。

思い出せば出すほど、次々と甦って……。長い間、沢山の出来事があり過ぎて……。

就寝前の薬を飲んでも、すぐに眠れず錯乱・混乱・発狂を起こし、親友に電話ばかりして、『 苦しい、苦しい、薬を飲んでも眠れない、息も苦しい、助けて助けて』と訴えていました。

親友も、私に疲れ果ててきていたんでしょうね。それでも、イライラしながら、眠れないならば、規則正しい生活を送るように、日中どれだけ眠くなっても、絶対に寝ないように、1日のタイムテーブルまで作成してくれました。そして、タイムテーブル通りになるよう、決められた就寝以外の時間に『寝てないよね?』と確認の電話がかかってきたり、寝てしまっていると、少し呆れるような言葉を放たれたりもしました。

私は、すごく不愉快になり、感情の高ぶりを我慢できずに、罵る言葉を出すようになってしまいました。

『依存しないで欲しい、いいかげんにして欲しい 』と言われた時も、発狂しました。

次第に私の中で、敵となっていき、心は、孤独のドン底になって行く一方でした。



また、大量の睡眠導入剤を飲んでいた時には、とても怖い思いをしました。布団で寝たはずなのに、目が覚めると、台所にいるんです。口の中に食べ物が入っていたり、食べ物がアチコチに散乱していたり、これは何度もありました。当時の感覚は、『え~~~ なんなんだぁ~~~ ??? 』

ハッと気が付くまで、時間がかかりました。良く分からないまま、顔や髪の毛にこびりついた食べ物を水で流し、片付けをした後は、虚しい気分や、やさぐれた気分が混ざり合っていたと思います。それでも、私は何をどうして良いのか、ハッキリした意識を持てませんでした。

母には、混乱した姿を何度見せたことか、奇行も少なからず耳に入っていたことでしょう……。他の家族にも……」

淑子さんは離婚後、子どもを引き取り、この時期一緒に暮らしていた。



奇行はその後も続き、危機感を抱いた淑子さんは入院を決意した。心療内科Bに病院を紹介してもらったが、実際入院をしてみると……。

「私、このまま入院していたら絶対にヤバイ、絶対にヤバイ、この病院は治してくれない、治す気なんかサラサラないんだ」

淑子さんは他の入院患者たちをみてそう感じた。泣きながら母親に電話をし、「こんなところイヤだ、こんなところにいたら治らない。退院したいから迎えにきて」と何度も訴え、3日ほどで退院した。そのとき、精神科病院の、精神医療の一端を見たような気がした。

しかし、退院後も心療内科Bに通院を続け、状態の改善はまったく見られないままだった。