統合失調症診断の怖さ

 そもそもケイジさんの場合、始まりは「パキシル」である。因果関係の立証は難しいが、おそらくその副作用である「賦活作用」によって、攻撃性が増し、他者への暴力となってしまった。それが統合失調症診断の決め手というわけだ。

 そして、リスパダールの服用で、即ジストニアの症状が出てきた。これだけを見ても、ケイジさんに薬剤過敏があると、「医師なら」気づいてしかるべきである。

 にもかかわらず、薬を入れ続け、副作用で不穏になると、さらに、これでもかと抗精神病薬を投与し続けた。統合失調症という診断だからできる処方。

 のちにケイジさんは「広汎性発達障害」と言われたが、発達障害の人には薬剤過敏の人が多く、最初のリスパダール投与後の反応を見ても、その可能性は否定できない。

 また、その劇的な副作用の出方から、肝臓の薬物代謝酵素(CYP)が関わっていることも考えられる。

 原因はともかく、あのリスパダール投与の時点で後戻りができていれば……。あるいは、入院後、拘束しての過剰投与が回避できていれば……。言っても詮無いことだが、そう思わずにはいられない。そうすれば、きっとケイジさんの人生はその後も、たとえ躓くことがあったとしても、続いていったのは間違いないと思えるから。

 すべては「医療」という名で行われた行為である。しかし、ケイジさんが辿った道は、すべてその「医療」に裏切られ続けた果ての、暴行事件による死亡である。

 どこにでもいるような学生だった。彼にどんな落ち度があったというのか。

 しかし、それは裏を返せば、どんな人でも、精神医療に関わることで、ケイジさんの辿ったのと同じ道に迷い込む可能性を秘めているということだ。

 薬剤過敏も知らぬ精神医療。発達障害の過剰診断ばかりに血道をあげて、真の意味で「人間を診る」ための根本にある「発達特性」に目を向けることなく、あまりに安易に統合失調症診断を下してしまう。

結果、伝統の多剤大量処方によって、その人の人生をメチャクチャにし、さらに電気ショックによって、人間としての尊厳を踏みにじり、それだけでもまだ足りないとでもいうように、そういう「医療」の被害者を、差別的な心でもって、実際の暴力で傷つけ、そして殺してしまう。

 お父さんがぽつりと言った。

「36年間生きてきて、その3分の1は、精神科に関わる人生だった……。小さい頃は私とよくキャッチボールをしました。そう、あの子は、運動神経がよかったんですよ」







(テニスサークルの合宿。どこにでもいる健康で、活動的な青年だった)




精神科病院の狂気

 それにしても、石郷岡病院の准看護師たちは保護室に監視カメラがあることは当然知っていたはずである。にもかかわらず、あのような暴行をはたらくというのは、いったいどういうことなのだろう。どうせわかりっこないというという思いがあったのか、それとも精神科病院で起きたことは、何とでも言い訳がたつと(これまでもそうだったので)高をくくっていたのだろうか。

 映像を見ていて胸クソが悪くなるのは、職員が患者を物のように扱っているからだ。そして、相手がちょっとでも「反応」を見せたりすると、それに対してこてんぱんに「仕返し」せずにはいられない、人間的にレベルの低い姿を見せつけられるからだ。

 統合失調症として治療を受け、その副作用でジストニアになり、首が曲がってしまった患者に対して、彼らはどんな感情を抱いていたのだろう。日々の「看護」のなかで、彼らは何を思い、職務をどう受け止めていたのだろう。

 しかし、残念ながら、こうした事件は日本全国、あちこちで起こっていることだろう。監視カメラのない保護室という密室でなら、やりたい放題。そして、それらの事実をもみ消すことも、言い繕いも、いくらでも可能である。カメラの映像がある石郷岡病院でさえ、自傷行為と最初は主張していたくらいなのだ。

 病院側は最近和解を申し入れているようだが、ぜひ裁判ですべてが明るみに出ることを期待する。そして、こうした事件は、ケイジさんだけに起こった「特別」な不幸ではなく、長い歳月、日本の精神科病院というところが内包し続けている「狂気」の一部に過ぎないということを、多くの人に知ってほしいのだ。