寄せられた体験談を紹介します。

 40歳の女性、後藤〇子さん(仮名)からのメールです。




「はじめまして、後藤〇子と申します。

体験談募集をブログ上で拝見し早速メールを送らせていただきます。よろしくお願いします。




① 最初に精神科を受診したきっかけ(西暦何年? 何歳のとき? どのような症状があったか? その症状が出るきっかけとなる出来事(事件)は?)

 成育歴など気になることがあれば簡単にお願いします。また家族関係についても同様です。

1993年、高校3年生(18歳)。ひどい抑うつ状態、希死念慮、早朝覚醒などの症状で初めて受診をした。

祖母がアルコール依存症、小学3年生より兄の不登校や家庭内暴力のもと、母はワーカーホリック(仕事中毒)になり、家事放棄をするようになる。

高校1年生の時に兄が愛犬を殺害し、父を刺したため警察が介入し、精神科へ措置入院するという家庭環境、生育歴がある。

高校3年生の時、交際相手と別れ話をしている時に包丁を持ちだされ、丸1日、殺されないように相手を刺激しないよう、静かに対峙したことがある。


そして、その日の夕方から上記症状が出現し、動けない、寝たきりの状況になり、初めて受診をした。




② かかった病院(クリニック)はどこか(非公開)。医師の診断は? どんな薬がどれくらい処方されたか?

Hクリニック(うろ覚え)。医師の名前はわからないが開業医。

10分程度の診察で、診断は出されず、処方のみ。記憶が確かなら、抗うつ剤、抗不安剤のほかに、抗精神病薬(メジャー)が処方された。

 



③ 服薬後のこと(効果はあった? 副作用が出た? どのような副作用?)

滅茶苦茶な処方だと思い服薬はしなかった。

半年間、寝たきりだったが、自然にウツは解消し、1年休学はしたが大学へ進学した。





④ 医師とのやり取り。不信感を持ったことは? 通院期間はどれくらい? 入院した?転院したことは? 診断名が変わった? 薬が変わった? 

23歳の時に再び、上記症状が出現し、半年間で3ヶ所の病院を転々とした。この時も家庭の問題(両親の別居)があり、最初は心因反応と診断された。

症状が2度目なので、病気であると確信し、はじめて服薬をした。

精神科医に対しては不信感でいっぱいだった。話を聞かない、抗コリン薬特有の口渇、便秘など、副作用が強い薬の処方など。現在通院中の医師と出会うまではずっと不信感を抱いていた。

現在の医師は、23歳から40歳現在まで、K診療所のA医師。初診時に1時間、話を聞き、すべてカルテに書き留めていた。それまでの医師がほとんど話を聞いてくれなかったためホッとした。

テトラミド(四環系抗うつ薬)とセパゾン(ベンゾ系抗不安薬)が処方され、1週間眠り続けた(催眠作用の強いクスリです)。

薬が著効し、すぐに社会復帰できたため医師を信じるようになった。

症状はすぐになくなったが、そのあとも再発予防という目的で通院を継続。

24歳から27歳ーー精神看護を学びたくなり、看護師免許を取得した。

27歳、看護師になり、職場の同僚や先輩との人間関係から軽度のうつ症状を自覚した。

(当時は維持療法として、夜だけテトラミドとセパゾンを服用していたが、看護師として集中治療室で働ける体力や集中力、意欲だけはあった。)


同じ頃、母がある新興宗教に入信し、勧誘されて私自身も入信した。

そして、教団の幹部にクスリをやめろと言われ(教義だ)、母の管理のもと、突然の断薬を迫られた。

断薬後、3日間眠れなくなり、教団の神殿で祈祷中に幻覚・妄想が出現し、記憶をなくした。

不眠不休、飲食も一切しない状態となり、教団幹部の指示で精神科病院に入院。相当暴れたようで身体拘束された。

入院先(東京のH病院)の医師からは「躁が隠れていた」と言われ、躁うつ病と診断された。

その後3度、2年おきに(教団と関わるたびに)同じ症状で入院することになり、A医師から「統合失調感情障害」という診断がおりた。

(統合失調感情障害とは=重大な気分障害の症状に加えて、統合失調症の症状によって特徴づけられる。この障害は,抑うつまたは躁症状のエピソードが1回以上発現するという点で統合失調症とは区別される――と言われている)。

入院時の処方はまったくわからないが、体感的に抗うつ剤以外の抗精神病薬が多剤で投与され、身動きが全くとれない状況になっていたのではないかと自覚している。

幻覚・妄想がなくなり、興奮も鎮まり、医師の言う「低め安定」という状態になると、炭酸リチウム・睡眠薬(現在は2種 ロヒプノールとレンドルミン)とロゼレムという処方がつづく。

時々、多弁・攻撃性の増大でメジャー(リスパダール、ジプレキサ、エビリファイ)が一時的に追加となる。(短期間)

この状態が28歳から現在40歳まで繰り返し続いてきた。




⑤ このブログにたどり着いた経緯について(副作用がひどくて、減薬を考えた? 離脱症状を経験した? 等々)

昨年、39歳で結婚をして、東京に引っ越してきたが、主治医は経過を長く知ってくれているのでA医師のまま、少し遠くなったが通院をつづけている。

私自身、ちょっと高齢ではあるが、一応妊娠を希望しているため、炭酸リチウムには催奇形性があるという説明をうけ、気分安定薬がラミクタールに変更となる。(ラミクタールの妊婦への影響はまだはっきりしないようではあるが。)

結婚後、感情の起伏が激しくなり、攻撃性が一気に増し、PMS(月経前症候群)の症状であるとして、漢方薬(加味逍遥散)を処方されてきた。もの凄く感情の起伏が荒くなった。



2015年3月28日。突然毛穴に紫色の発疹が現れ、ラミクタールの副作用を疑い自己断薬した。

その後1週間、夫と旅行の予定が入っており受診できないまま、主な治療薬ラミクタール断薬を続行。

旅行中3日くらいは睡眠薬を服用しても5時間くらいの睡眠、悪夢などの離脱症状はあったが、そんなに苦ではなかった。(旅行が楽しくて)

この時期は生理前で、この1年間は最も攻撃性が増し、PMSだと決めつけていた症状……喧嘩っぱやい、攻撃的などの症状が一切なく、ラミクタールを服薬しないほうが自分の気分がとても穏やかであることに夫婦で気がついた

ラミクタールの副作用に発疹のほか、易刺激性、攻撃性、胃腸障害など、個人的には結婚生活に適応できずにPMSと重なり突然出ているであろうと医師と確認しあってきた症状の数々が、ラミクタールの副作用ではないか? と疑うようになった。





「ラミクタール 断薬」と検索して、かこさんのブログにたどりついた。

看護師免許を所持しているため、ブログの記述に専門的ではないことが多いと感じ、暫くの間は半ば懐疑的にブログを読ませて頂いていた。

配偶者もフリーライターで専門性がないにもかかわらず、様々なテーマに関して無責任に原稿を書くのを目の当たりにしているので、断薬という一歩間違えれば自死にもつながりかねない難しい問題を素人が売名行為で扱っているのではないか?と猜疑心が増し、悪い意味でかこさんのブログに興味をもった。

個人的に、ある意味批判的にこのブログに興味を持ち、リンクのラジオの動画、音声を聞かせて頂いた時に、かこさんは本当にきちんと裏をとり、精神医療の実態を取材し、大層に表現するならば人間の尊厳のため、真摯に断薬というデリケートな問題、一歩間違えれば自身の身が危うい、誰か精神疾患患者を不穏にしかねない、キケンな領域のお仕事を慎重にされている方であると納得した。

そして自分自身が今後どうしていいかわからなくなってしまった。




⑥ 現在の状態、今後についての思い。

ラミクタール(気分安定薬)を服薬しないこの10日以上、皮肉にも自身の感情がより安定し、夫婦関係も結婚後、最も安定していると互いに確認し合う事実をまえに、呆然としています。

 17年間、何らかの向精神病薬を服用しつづけてきました。

 つまりは、23歳以前の脳や身体の状態は、40歳のわたくしにとっては未知のも        の、あるいは忘れかけているもの、向精神薬のない生活がまったく想像がつかないほどに薬物に依存してきた(真面目に患者として生きてきた)自分が情けなくなりました。

マイナー(睡眠薬)を減らす厳しさはこれまで存分に味わってきています。

(胃炎で緊急入院したことがあります。服薬量が多すぎることが原因だと内科医に言われました。6錠の睡眠薬を3錠に減らすのは大変時間がかかりました。)

今後は睡眠薬も減薬からはじめ、17年前の自然なカタチの脳と身体を40歳の今、どんなふうに感じるのであろう? と自己責任を前提としてクスリを断つカラダになってみたい、と心底思いました。

幸い主治医は単剤処方に近いシンプルな処方を目指す方なので、どうでるか? 現状を正直に明日伝えに受診をしようと思います。明日は区の保健師さんとの面談もあり、精神疾患、精神障害者のケアに尽力をされている方々に相談に行く機会であったりします。




医療やクスリに懐疑心を持つ患者は、問題視されるのはわかっています。

(このブログに出会う前から、8年間「統合失調感情障害」の症状が出現せず、入院をしていないので、病気は治っているんじゃないか? という自説を持っていました。でも社会的に12年間、何もできないで、ただぼんやりしてきた。社会に出るのが怖くて仕方がなくなっています。今も全身倦怠感、意欲の低下はあります。が、それがクスリの作用であるとしたらと思うと、本当の自分『躁うつ気質ではあります』が、ハツラツと自分の脳力を発揮できていた昔の自分に出会ってみたくなりました。)

自死を選択しない、クスリも服用しない、天寿を全うする人間になりたい、なんて、身勝手にも精神障害2級、統合失調感情障害と診断されたぼんやりと無為に過ごす40歳の女が希望のようなものを持ってしまいました。

かこさんの執筆領域は、もう本当に大変な領域であろうと推測します。当事者としては、ただ、ありがとうございます、としか言えません。

精神疾患を持っていても健康な人と同じように侮蔑されることなく、QOLを高めること、肩身の狭い思いをせずにこの世界で生きてもいいのかな?

そんなふうにメンヘラという人間の尊厳を普通に人間とし

て大事にしてくれる方がちゃんといるのだな、と感謝しかありません。」



 後藤さんにはメールでお礼の返事を書き、それと同時に、「自己責任を前提としてクスリを断つカラダになってみたい」そんな思いを主治医に告げてどのような結果になったか尋ねてみた。するとほどなくして以下のような返事が届いた。



「早速の返信をありがとうございます。

(今となってはベンゾジアゼピン系薬剤の長期服用の影響かはわかりませんが、かつてと比較すると頭がよく回転せず意欲も途切れやすく、メールを返信するという行為一つも大変であったりします。失礼します。)

さて、昨日は区の保健師さんとの面談、主治医の受診がありました。

ラミクタールの死亡事例が直近で話題になっていることもあってか(注・今年2月のニュース。ラミクタール 4カ月で皮膚障害による死亡4例 ブルーレターで用法・用量遵守指示)、発疹について、発熱はなかったかなど、普段とは違い主治医も数人の薬剤師もかなり深刻に、少し慌てた様子でたくさん質問をされました。

そして、みな異口同音に「発疹だとわかった瞬間に自分で断薬できてよかった」と言われました。すんなり、ラミクタール錠100mg 2(朝・夕)が処方中止となりました。

昨日からの処方は

加味逍遥散(ツムラ)5g×3

レンドルミン錠0.25mg×1

ユーロジン2mg錠×2

ロゼレム錠8mg×1

と、まるで統合失調感情障害と診断され精神障害者保健福祉手帳2級を持っている患者には見えない、ただの不眠症のような処方になりました。

A医師は「今、現在は感情の波が大きくなく安定して生活できているので、後藤さんの気分を安定させるための薬は漢方の加味逍遥散だけになります。これだけはこれまでPMSの症状がひどかったのでしっかりと服薬してください。他のお薬は不眠の症状に伴う対症療法にすぎないので、今は漢方だけが感情障害に対しての唯一のクスリです。今後感情の波がまた大きくなった時にはすぐに受診してください」という主旨の言葉があり、血液・尿検査をしました。

かこさんのブログを読み進めていくうちに、たぶん、主治医は日本の精神科医師としては、まともな方なのだと思います。

今は睡眠時間が毎日7時間、ひきこもりがちで家事をする意欲もなかなか出てこない生活をしています。大変疲れやすいです。

これまで全て病気の陰性症状、あるいはうつ状態と考えてきた状態ですが、かこさんのブログを読み進めていくうちに、あまりにも長く(約17年ですが)服薬してきた抗不安薬や睡眠薬などのベンゾジアゼピン系の薬剤の影響が考えられる、とやっと思えてきています。

長いスパンで上記処方薬を安全に減薬し、断ってみようかと思っています。

一生治らないとつい先日まで考えてきた病気です。

これまでの経過事態が怖ろしかったわけですから、大きく怖れることもなく、じっくりと試みてみます。

たった1つのメールに丁寧に向き合ってくださり、一つ一つの励ましの言葉に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

後藤〇子





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お知らせ

 5月9日の船堀の会(子どもの精神医療を考える親の茶話会)は締切とさせていただきます。