民事裁判

 私の訴えを刑事裁判として取り上げてもらえなかったので、次に私はこれを民事裁判にすることにしました。民事裁判では有罪か無罪かで争うのではなく、被告医師に過誤があったかどうか、過誤があったとすれば、被告は原告にいくらの損害賠償金を払えという裁判所の判決を求めて裁判を争う事になります。私にとっては金などどうでもよかったのです。世界最愛の女性を医療過誤によって失ってしまったという無念さがありましたが、それは私の個人の問題です。それ以上に私の心を痛めたのは、何よりもこの医療過誤によって、1人の女性が人生を台無しにされ、さらには51歳という若さで人生を閉じることになってしまったという彼女に対する憐憫の情です。それじゃ余りにも宏子さんが可哀想だと思いました。



 民事裁判を進める上で、私にとって第一のハードルは、私の事案を引き受けてくれる弁護士を探すことでした。最後に1人見つかるまでに、10人程の弁護士に声をかけたのですがことごとく断られました。私の事案は裁判で勝つ見込みはないと皆読んで、断ってきたと思います。弁護士にとって成功報酬は大事です。裁判で勝てば、損害賠償金のかなり大きな部分が弁護士に謝礼金として入って来ます。ですからできるだけ勝ちいくさを手掛け、負けいくさには手を染めたくないのです。特に医療問題をよく手がけている弁護士は、裁判官が医師の肩を持ち、医師の過誤をなかなか認めないという歪んだ日本の医療裁判の実情を知っています。私の事案を引き受けてくれたのは、過去に医療裁判の経験のない弁護士で、医療裁判を勉強のために初めてだがやってみようと考えて引き受けてくれたようです。



 民事裁判は刑事裁判とちがって、裁判所の法廷で、傍聴人もいる中で、口頭によるやり取りがある訳ではありません。映画やテレビ・ドラマで見るような法廷での裁判の進行はありません。裁判所の上の階にある普通の会議室のような所で、弁論準備会議と呼ばれる打ち合わせのための簡単な会議が裁判長が取り仕切る中で、1~2か月に1回程度開かれるだけです。準備書面と呼ばれる書類に言いたいことはすべて書いて、あらかじめ裁判所に提出しておきます。弁論準備会議は単なる裁判進行のための打ち合わせの場でしかなく、通常数分で終わってしまいます。

 私の場合には訴状を東京地方裁判所に提出してから、判決が出るまでに約1年8か月かかりました。1年8か月かかったからといって、裁判所がそれだけ時間をかけてじっくりと検討し、審理したと思ってはいけません。裁判官は余りにも多くの事案を手掛けているので、実際に一件あたりに費やす合計時間は驚くほど短時間です。裁判所はそういった数字を一切世間に公表していませんが、世間に伝わっている情報を総合的に吟味して見るとそれが正しそうです。

 第二のハードルはカルテの開示手続きの問題でした。医療裁判の場合にはカルテが重要な意味を持ちます。カルテが廃棄されたり改ざんされてしまっては、証拠に基づいた公正な裁判が出来なくなります。そこで証拠保全申立書という書類を原告が裁判所に提出して、それを裁判所が認めれば、裁判所の命令でカルテを被告から強制的に提出させることができるのです。証拠保全申立書には、何故、証拠保全が必要かを詳細に書いて説明し、証拠書類を付けて提出しなくてはなりません。訴状に書いたと同じような詳細さが求められます。提出後、裁判所に言われた日時に裁判所に行って、証拠保全担当の一人の裁判官(通常は若い裁判官)と面接し、裁判官のいろいろな質問に原告は答えなくてはなりません。この裁判官が証拠保全をするかどうか最終決定をします。



 証拠保全を許すという決定が下されると、この裁判官と裁判所の書記官が被告の医療機関を抜き打ちで訪れ、カルテの開示を求めます。私の場合には、そこまでは順調に行きました。ところが裁判官と書記官と私の雇った弁護士が、証拠保全当日被告クリニックを訪れると、カルテはそこには物理的にありませんでした。被告は被告の雇った弁護士事務所にカルテを前もって預けていたため、カルテの開示はその場ではできなかったのです。

 証拠保全でカルテを開示させるという決定を裁判所は一回したのですが、カルテが医療機関に物理的に置いていなかったという理由で、証拠保全手続きを一からやり直しです。証拠保全申立書をもう一度正式に裁判所に提出し、その裁決を再び仰がなくてはなりません。2回目に私の証拠保全請求を認めるかどうかを審査した裁判官は若い女性の裁判官でした。年の頃から判断してまだ裁判官に成りたての人と思えました。彼女はいろいろと難癖をつけてなかなかイエスと言ってくれません。その時の彼女の言った言葉が印象的です。彼女はこう言いました。「医者だって一生懸命やっているんだから、そんなにいじめたら可哀想だ」という言葉でした。何気なくこの若い裁判官が言った言葉が、裁判官の間での物の見方をよく表しているのではないかと思います。それを彼女の口から聞いた時に、私は内心こう彼女に尋ねたくなりました。「あなたの親、兄弟姉妹、あるいは親戚に医者がいるんですか?」

 こういった物の見方はこの若い裁判官に固有の個人的なものではないでしょう。裁判官になった時からそういう教育を内部で受けていることと思います。「医者だって一生懸命やっているのだから、そんなにいじめたら可哀想だ」。公正さ、公平さ、中立性、理性と正義に基づいて裁くと言った考え方は後ろに追いやられています。医者が可哀想だと言っても、大方の医者は医療過誤保険に入っている筈です。人の命を預かるという重大な職務を遂行しているが故に、平均と比べてずっと高い収入を社会は医師に許しているのです。患者の命と人生は金で買い戻すことはできません。患者家族や近親者の悲しみや苦しみについてはそれを可哀想だとは思わないのでしょうか。判決を下す時にも裁判官の間のこの物の見方が反映されています。日本の医療裁判で原告側が勝てない理由がここにあります。私の民事医療裁判でもその裁判官のバイアスが如実に現れています。

 この若い女性の裁判官が証拠保全によるカルテ開示を許すかどうか迷って、結論が出ぬまま数日たったところで、被告弁護士の方から地裁に自発的にカルテを提出してきました。ここまで来てカルテを提出しないことは、被告にとってかえって不利になることであると被告側の弁護士は考えたことと思います。

 私の事例では被告の精神科医は、診断と治療(薬物療法)という二つの面で誤りを犯しています。

 まず診断の誤りです。明らかに宏子さんは統合失調症ではないのに、統合失調症と診断しました。しかも何年もの間、カルテには初めから統合失調症と書いているにも拘わらず、被告医師は本人に統合失調症であるとの診断名を告げませんでした。宏子さんは日記を長年に渡ってつけていました。その日記を見ても幻覚、妄想や統合失調症の症状と思えるものは何もありませんでした。15年間親しく交際する中で、宏子さんが幻覚や妄想に基づいて行動するのを私は一度も目撃したことはありません。私だけではありません。彼女は生まれてから51歳で亡くなるまで母親と姉と絶えず一緒に暮らしていました。裁判の時点ではまだ健在であった母親と姉は、宏子が幻覚、妄想などの精神病状態になるのを見たことはないと供述しています。

 この母親と姉の供述に関して、判決文は以下のように言っています。以下は判決文からの引用です。

 「しかし、いずれの供述も、個々人の主観的な記憶や印象に基づいて宏子に統合失調症の症状がなかったことを述べるにとどまるものであるから、これらの供述のみをもって、宏子が統合失調症ではなかったとする原告の主張を採用することはできない。」

 51年間、同じ屋根の下で住んだ母親と姉が、宏子さんに幻覚、妄想などの統合失調症の症状を一度も見たことがなかったと言っているのに、それは主観的な記憶や印象に基づくものであるとして退け、平均すると3~4週間に一回、一回につき5~10分、診察で会っただけの精神科医の言う事を何故認めるのか、完全に人間の理に反した判決文の内容です。