治験とお金

治験が行われる医療機関としては、大学病院や公立病院といった公共性の強い大規模な医療機関を私達は想像しがちですが、精神治療薬の場合、そういった公共性の強い医療機関だけではなく、個人経営の町の精神科クリニックでも治験が行われています。そういったクリニックでは、治験に参加した患者一人につきいくらという形で製薬会社、あるいはCROから手数料をもらっています。クリニックにとっては悪くない収入源になっています。そのクリニックの医師が、薬の承認につながるような、製薬会社に有利になるような採点をすれば、また製薬会社やCROから治験の依頼がくるだろうと医師が考えても、それは自然な心の動きです。

なら

治験そのものを製薬会社やCROにやらせ、製薬会社が提出してくる治験の結果を見るだけで新薬を承認するかどうかを決めるというやり方は、日本だけではなくアメリカでもヨーロッパでもやっています。日本はアメリカのFDAのやり方に右にならえしたものと思われます。

本来なら、製薬会社に任せっぱなしにするのではなく、公正・中立で利害のからまない政府機関や第三者中立機関が、新薬を承認するかどうかを決めるための臨床試験を自ら実施すべきです。国家予算がそのために多少かかったとしても、国民の生命と健康がかかっている、国にとって優先すべき重大な仕事です。アメリカやヨーロッパではそういった議論が心ある人達の中から出てきています。





向精神薬は市販後副作用調査のデータがない

第1相、第2相、第3相の臨床試験にすべてパスすれば新薬を販売していいという許可が国からおります。薬価掲載も済ませて、製薬会社はその薬の販売を開始します。暫くその薬を患者に投与してみたときに臨床試験では気付かなかった副作用が現れたりすることがあります。そこで製薬会社は市販後副作用調査PMS - post marketing surveillance)を行い、自発報告をすることになっているのですが、こと向精神薬についてはそういったPMSによるデータが存在しないという驚くべき状況があります




 患者や患者の家族が、ある症状(身体的なものや精神的なもの)が服用中の薬の副作用だと思って、製薬会社に連絡しても、製薬会社はそういった訴えや話を聞いてくれません。医者からの報告でない限り製薬会社は服用者からの訴えや話を法律上、聞く必要はないと考えています。あくまでも薬を使用しているのは患者であって医者ではありません。

医者は患者の心の中がどう薬の影響で変化したかわかりません。従って、薬の影響で患者の心がどう変化したか、正しく理解して製薬会社に伝えることはできません。伝えるためには言葉を使いますが、患者の心の中は言葉で表現するのは極めて困難です。医者にしてみれば、患者の訴えを言葉で書き記し、それを製薬会社にあるいは製薬会社の担当MRMedical Representative)――医療情報担当者ともったいぶった日本語を使っていますが、製薬会社が医師のもとに派遣する営業PRマン、営業PRウーマン――に伝達するのは極めて困難です。それは通常の診察業務に加えての仕事になります

から、そんな仕事を良心的な医師であってもやりたがらないでしょう。




 医師はやりたがらない、製薬会社は医師からの副作用情報でなけば受け付けない。八方塞がりの状況です。製薬会社にとっては副作用については「見ざる、聞かざる、言わざる」という方針でやるのが一番です。コンピューターを買った人が、コンピューターが不調であるとメーカーに電話したところ、それについては販売店に聞いてくれと言われたらどう思いますか? 製品については、それを作ったメーカーが一番よく知っているはずです。どこのコンピューター・メーカーでも今はサポート・デスクとかヘルプ・デスクという部署があって、末端消費者の問い合わせに答えています。消費財のメーカーにはどこでも「お客様情報室」とか「お客様相談室」と呼ばれるような部署があります。製薬メーカーは薬の末端消費者を顧客とは考えていないようです。どの薬を処方するかの決定権を持つ医師が製薬メーカーにとっての顧客なのです。医師に対する自社製品のプロモーションには莫大な金を使っています。





癒着の構造


PMDA
ができてまだ10年かそこらです。今、日本で使われている処方箋薬の大部分が、PMDAができる前に、旧厚生省が、旧体制の下で販売許可を与えたものです。旧厚生省以来、多くの役人が製薬会社に天下っています。何故、製薬会社が厚生労働省(旧厚生省も含む)の天下りを受け入れるのか、当然何かうまみがあるからですね。厚生労働省は製薬業の育成と振興が目標であってはなりません。製薬業の育成と振興が必要であるならば、それは経産省(旧通産省)に任せればいいのです。厚生労働省のミッションはあくまでも国民の生命、健康、生活福祉を守るというものでなくてはなりません。同じ省が二足のワラジを履くことは、そこに利益相反が必ず生まれます。





1剤だけの臨床試験と現実との齟齬

 臨床試験の話の最後に付け加えたい重要な一点があります。臨床試験では、被験者は対象となっている1種類の薬だけを服用します。他の薬を同時併用している人は、初めの被験者を選考するプロセスで排除され、そもそも臨床試験に参加できません。ところが実際の精神科の治療の場では、1種類の薬だけ処方されるのは少数派であって、大多数の患者は多剤を処方されています。1剤の服用量が、医薬品添付文書で決められた服用量上限を下回ったものであっても、多剤を服用していた場合、それぞれの薬の服用量を1つ1つ足していけば、全体として大量の薬を患者は服用していることになります。

日本の精神科の多剤大量療法は悪名高い習慣です。そういった状況があるのに、臨床試験では1剤の対象となる薬だけの副作用を調べているのは茶番です。また臨床試験の期間がわずか数週間というのも、実際の薬の使われ方を考えない現実離れした設定です。新薬の承認を出し易いように、出し易いように臨床試験のルールが決められているのです。臨床試験というと科学的、合理的に行われ、臨床試験の結果は信頼にたるものと多くの人は思い込んでいますが、大きな思い間違いです。国民の生命、健康よりも、製薬会社の利益を優先するという、欺瞞に満ち溢れた現在の臨床試験のやり方なのです。

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 新薬が承認される過程で、これだけの問題があるということである。

 1剤だけの、せいぜい8週間程度の試験を行った結果をもって、新薬が承認されているという現実。さらにそこには製薬会社に有利に働くような治験の構造、お金や人の流れがある。

また、市販後の副作用報告を吸い上げる本当の意味でのシステムがないこと……。

 こんな「安全性」しかない薬を、医師は「国が承認しているから安全である」として安易に患者に(きちんとした説明もなく)処方しているのだ。

しかし、こうしたことは向精神薬に限らず、他の分野の薬においても利益相反など明るみになっているように(例えばディオバンという高血圧の薬)、医療、薬全般に言えることだろう。ビッグファーマと言われる巨大製薬会社の存在、その駒となって働く医療従事者たち、癒着の関係等々、薬の問題に関しては、政治を含めてどこにも「正義」がないように見える。

せめて、医師が「国の承認」を盲信することなく、副作用を訴える患者の言葉に耳を傾け、それを製薬会社に報告する。それ以前に、製薬会社主導の治験をまずはやめるべきではないだろうか。

いやいや、今からでも遅くはない。すでに出ている薬の治験をいま一度、公正な立場の組織が現実に沿った形で、誤診なく診断された患者に対してやり直せば、どれほどの薬の承認が取り消されることになるだろうか……? もちろんそこには「長期服用」という尺度も加えるべきである。

そんなことをやるはずはないとわかりつつも、いや、この被害の実情を真摯に見つめれば、多くの患者さんがすでに被験者としてその答えを出してくれているのではないかと思う。

向精神薬なるものがこの世に誕生して半世紀、「精神科治療薬の真実」は、ロバート・ウィタカーが言うように、長期的には新たな「心の病」を「流行させてきた」だけで、精神疾患の治療にはなっていないといっても過言ではない。


お知らせ

東京茶話会の開催

9月20日(日)午後1時から5時まで

豊島区内の施設で開きます。

定員 36人

申込み kakosan816@yahoo.co.jp (かこまで)

追って場所をお伝えします。