5月19日の読売新聞、「命の葛藤 出口なき若者」のシリーズ5回目に、以前、このブログに登場してくれた方の話が掲載されています。

 多い時で日に50錠もの向精神薬を処方され、「死にたい」病に取りつかれた末の自死。

22歳の大学生だった彼……。自身の通う大学の校舎から飛び降りての自死でした。

https://ameblo.jp/momo-kako/entry-12198444831.html

 

 読売の記事のタイトルは「大量服薬 壊れた心」になっています。念のため、書きますが、彼の死は「過量服薬による自死」ではありません。

 それにしても、これだけの短い文章の中で、あの大手の、しかも政権寄りの読売新聞が、こうした特集を組み、この「事件」を取り上げたことは評価しつつ、ここまで書くのが精いっぱいと言わざるを得ない内容ではあります。

 

たとえば・・・(引用)

「向精神薬は精神疾患の症状の悪化を防ぐには有効とされるが、専門家は「服用の方法によっては、自殺を誘発することがある」と指摘する。厚生労働省は10年6月、薬の投与日数や量に注意するよう医療関係団体などに通知を出した。だが、患者が過量服用したり、医師に隠れて複数の医療機関で処方を受けたりできる現状を防ぐ仕組みは十分ではない。」

 と書いています。

 

「薬の投与日数や量に注意するよう医療関係団体などに通知を出した」というのは、以下の厚労省のHPにある、「向精神薬等の過量服薬を背景とする自殺について」

http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/jisatsu/jisatsu_medicine.html

のことです。

 この中で、「自殺時に向精神薬その他の精神疾患の治療薬(以下、「向精神薬等」という。)の過量服薬を行っていた例(薬物が直接の死因ではない場合を含む)」とありますが、このケースはこれには当てはまりません。なぜなら投身時、彼は過量服薬をしていないからです。従って、この「通知」を記事中にひっぱってくること自体、私には違和感があります。

 もっとも、記事の終わりの方で、他のオーバードーズによる自死の事例が紹介されているので、それに関する前振りなのでしょうが、「過量服薬」という言葉自体、やっぱり違和感が拭い去れないのです。

 

もう一点。

ここに出てくる「専門家」というのは国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦部長のようです。記事には松本氏への取材コメントがあります。以下そのまま引用します。

 

「患者支援の仕組み必要

 精神科医で国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦部長によると、つらい出来事やストレスを抱える若者の中には、周囲の人に悩みを相談できず、つらい気持ちを薬で消そうとした結果、量がエスカレートして過量服用に至るケースが少なくない。自殺に至ることもある。

 背景には、医師が患者1人に十分な診療時間を取れず、患者を少しでも楽にしようとして、求めに応じて薬を処方せざるを得ない現状もあるという。

 松本部長は「投薬だけに頼るのではなく、臨床心理士や地域のソーシャルワーカーと連携して患者や家族を支援する仕組みがもっと必要だ」と指摘する。」

 

 松本医師は「薬物依存」が専門の精神科医です。その医師にコメントを求めたということは、このケースを「薬物依存」という視点でとらえているわけです。

 では、なぜ「薬物依存」になったのか?

 それは、医師が処方したからです。

このケースでは1人の医師によって処方された薬が日に何十錠にものぼっていたのです(複数の医療機関を受診して、それだけの薬をかき集めたわけではありません)。1人の医師が、この患者に、患者が求めたとは言え、処方箋を書き、調剤薬局も疑義照会もせず、そのまま薬を出していたのです。

その理由が、「患者を少しでも楽にしようとして、求めに応じて薬を処方せざるを得ない」ということなのでしょうか。これでは精神科医は「白衣を着た売人」と何ら違わないのではないでしょうか。

「つらい気持ちを薬で消そうとした結果、量がエスカレートして過量服用に至るケース」を精神科医が目の当たりにしたら、「薬物依存」であることを患者に指摘し、その「治療」を行うのが、本来求められるべき医療の姿だと思うのです。

 それを薬物依存専門の精神科医が、こんなコメントを寄せるというのは、いったい、どうなっているのか……!?

 

 松本俊彦氏は2013年の「臨床精神薬理」に寄せた論文の中で次のように書いています。

「精神科医は『白衣を着た売人だ』という耳の痛い批判を再三聞かされてきた。我々精神科医は何としてもこの汚名を払拭しなければならないし、「乱用するのはパーソナリティ障害の患者だけだ」などといった、患者の個人病理のみに責任転嫁する、よくあるタイプの弁明を許してはならない。

(中略)

 いま精神科医は、医療者としての仁義を問われており、精神科治療はこれまでの極端な「薬物(療法)依存」から脱皮することが求められている。少なくとも私はそう考えている。もちろん、そのような物言いをすれば、筆者は精神科医仲間から糾弾され、孤立へと追い込まれてしまうかもしれない。しかしこのままでは、精神科医の方こそが医療界で孤立しかねない状況にある、ということを忘れてはならないだろう。」

 

 この文章と新聞のコメントと、言っていることに一貫性がないと感じるのは、私だけでしょうか。

 このとき打ち上げた花火はどうなったのでしょう。

 それとも、この記事のあと、やっぱり「精神科医仲間から糾弾」されたのでしょうか。

 あるいは、この自死のケースに絡んでいるのは某国立大学病院ですから、それが関係してのコメントなのか。

 

 大手読売さんが「エビデンスのないこと」を書けないのは理解します。自死の「本当の理由」がどこにあるのか、それは誰にも断定できません。

しかし、記事の内容をこういうふうにもっていってしまうのは、ミスリード(あるいは真実から遠ざかること)です。書けないお立場の事情は理解しつつ、ならコメントを求める相手をしっかり選んで、自身で書けないことをきちんと指摘してくれる医師を探してほしかった……と思います。