医師を変える(減薬)
正夫さんはこの医師に対しては完全に信頼感をなくしたため、昨年の5月末に医者を変え、断薬を希望した。
すると医師は飲んでいた薬を変更して、以下のような処方になった。処方を見ても、何をしたいのか、よくわからないが、セルトラリン4錠、フルニトラゼパム2錠、エバミール2錠を一気に切り、リフレックス2錠は半月ほどで断薬。
薬を減らしたことに対してこの医師は「1か月もすれば薬の影響はなくなる」と言ったという。
2017年5月30日 サインバルタ20mg 1カプセル、アルプラゾラム3錠、リフレックス2錠
6月6日 セルトラリン2錠、デパケン100mg3錠、 アルプラゾラム3錠、リフレックス1錠
6月12日 セルトラリン1錠、デパケン3錠、アルプラゾラム3錠、 リフレックス1錠
6月20日 リフレックス1錠、デパケン3錠、アルプラゾラム3錠
6月27日 リフレックス1錠、デパケン3錠、アルプラゾラム2錠
7月5日 アルプラゾラム1錠、リフレックス1錠(8月上旬まで)
8月23日 リフレックス1錠 14日分
しかし、正夫さんはサインバルタは2回飲んで止め、 デパケンはさらに頭をいじくられそうで怖くて飲まなかった。そして、アルプラゾラムを、錠剤を削って減薬していった。そして、8月にアルプラゾラムの処方がなくなり不安だったので、勝手に減薬した時の残りを少しずつ飲んだ。
手の震えは10月頃には止まったが、体のこわばりはますますひどくなった。足の筋肉がこわばるので、歩く姿は90歳くらいの老人のようだったという。
正夫さんはもう薬は怖いので、何も飲んでいないとメールに書いてきた。しかし、うつ的な傾向が非常に強く、夜は眠れず、後悔と自責の念、絶望に苛まれている。また、足の筋肉のこわばりがあるため、子どもと並んで歩くこともできない。思考力だけでなく記憶力も落ちて、特に多くの薬を飲んでいた2016年の記憶は消えているところが多い。
昨年9月に1か月休職するように言われたが、仕事は辞めさせられないで何とか出社しているものの、人と会うことや思考することができないので、誰にもまともに相手にされず、閑職に耐え、元部下からデータ入力などの簡単な仕事を分け与えてもらい、それをやるのが精いっぱいの状態で、会社としても辞めさせることはできないので、飼い殺し状態だ。
頭の中でこだまするように襲われる「死ね、死ね」という囁きに突き動かされるように、昨年は何度も自殺を試みた。一度は完全に足を離してみたが、死にきれなかった。
妻に二度助けられ、首を吊っている夫の姿を見た妻の心は大きく傷ついてしまった。3人の幼い子供たちのことを思いはするが、感情が動かず、ただ貧乏ゆすりをしながら一緒にご飯を食べるのが精いっぱい。いらいらして落ち着いていられないので遊んであげることもできない。ご飯を食べたら一人部屋に閉じこもっている。
元主治医への憎しみ
それにしても正夫さんの心を苦しめるのは、最初の主治医の言動である。
医師は正夫さんが2016年9月に3台目のバイクを「 投資だからと妻に言って買った」と言うと、こんなふうに言ったという。
「そういう手で説得しましたか。理屈は通っているようだけど、おかしなことをするんですよ」
医師は正夫さんが躁状態であることをわかって相手をしていたのだ。しかし、とうの正夫さんはそのときはハイになっていたので気に留めることもなかった。
そして、その年の12月に精神的に落ちると、医師は、
「眠剤だけに減っていたのにおかしいですね。 またセロトニンを飲めば大丈夫ですから」と言い、2017年1月には「この薬はとてもいい薬ですから」とリフレックスを最大量の1日3錠 に増やしている。
医師は正夫さんが躁転していたのは知っているはずである。にもかかわらず、状態が落ちたから「セロトニンを飲め」と、セルトラリンとトラゾドンという抗うつ薬を2種類出しているのだ。なんと安易な処方だろう。
また、正夫さんが通勤のための運転や免許更新のことを尋ねると、「後ろの車に嫌がられても40キロくらいでノロノロいけばいいでしょ」とバカにしたように言い、一旦パソコンに運転免許のことを入力した後に、「何かあったらいけないからカルテからは消しておきましょう」と削除した。この医師はカルテをパソコンに入力し、時系列を無視して勝手に内容を追記したり削除しているようだった。
正夫さんがシャンビリで手が震え、朦朧として仕事ができないと話すと、
「あなたを雇ってくれるところは、どこにもありませんよ」と吐き捨てるように言われたりもした。
正夫さんのなかではこの医師への憎しみが消えない。ついつい最悪のことまで想像してしまうが、妻や子供のことを思うと、実行するわけにはいかない。
以下、正夫さんからのメールを引用する。
「日中は後悔と自責、絶望感、体の苦しみ、白い目で見られる惨めさのなか、消えてしまいたい思いに耐えています。睡眠は2時間取れたらいいほうで、 夜12時頃に目が覚めて朝まで眠れません。生きているのが不思議です。
夢も悪夢ばかり見るので、24時間休みなしに自分を責め続ける生き地獄です。寝ている子供の布団に入り、ゴメンねと謝ってから、自分の床に帰っています。
頭の中はコンニャクでも入っているかのように常にモワモワと重い感じです。声は掠れてハリがなく小さくなりました。
世界が黄ばんで見え、暑さ寒さ季節を感じる余裕はありません。
好きだった音楽もうるさく感じ、楽しいこと、意欲はわかず、暗くても電気をつける気になりません。何をするにも不安が襲ってきて、じっとしていられず、 貧乏ゆすりが治まりません。
薬を止めると何か改善するかと期待しましたが、体も心も状態はほとんど変わりません。
自分の体がどうなっているのか、どうなってしまうのかわからず、医者も誰も信用できません。
一昨年のハイな時は、 普段話しかけない近所の人にバイクのことで話しかけたり、付き合いのなかった職場の人までサーフィンに誘っていました。それがぐったりと落ち込んで、ボーっと無表情で動けなくなったのですから、誰もが不審な目で見るでしょう。
挨拶しても返してくれない人もいます。私を見ても目をそむけ無視して通り過ぎていきます。仲良く話していた小学校と幼稚園の保護者も、よそよそしくなりました。職場では、私に声をかけてくれる人はほとんどいませんし、目を逸らされます。外に出て人と会う仕事はできなくなりました。これまで築いてきた人間関係が音を立てて崩れていきます。人にどう見られているのか怖くて家に引きこもってしまいます。
仕事はまだ辞めさせられてはいませんが、仕事らしいことができないのでいつまでいられるかわかりません。
それにふらつく体と思考力を欠いた精神状態、誰にもまともに相手にされない絶望感、孤独と惨めさの中で、この先何年、何か月、何週間、出勤する精神力を保てるか自信がありません。毎朝、家族のためと自分に言い聞かせて起き上がっています。
仕事の不安と体と心の不自由がある中で、子どもたちを育てていく未来を思い描くことができません。
結婚以来、妻と喧嘩をしたことはありませんでしたが、お互いピリピリして、 つい声を荒げることが多くなってしまいました。仲良くにこやかだった親の変わりように、子どもたちがいつも親の様子をうかがっていることがわかります。
息子は、本当のお父さんとお母さんはどこに行ったのかと問うてきました。
それでも5人で暮らしていたいと泣く妻に、こんなに苦しい毎日なら、入院して薬漬けになってしまえば楽なのかもと思います。
思い出せば、 初診であの医師のところに行く前日の土日は休日出勤して働いていまし た。眠れない中で自分を見失いかけてはいましたが、意欲がなかったわけではありません。セルトラリンなどの抗うつ剤を飲んで、無理に意欲を高める必要はなかったのです。病院に行った私が馬鹿でした。
精神病となった今では、 壊れた人間関係や信頼を取り戻すことができません。人生をあきらめそうになる毎日です。」
その後、正夫さんには内緒で奥さんからメールをいただいた。
まず、夫の怒りの感情が凄まじいこと。元主治医への怨み、妻への暴言、物を投げる、目につくものを片端から蹴り上げる。職場でのストレス、子どもを育てていくことへの不安。
ここまできたらもう入院しかないと思う……と奥さんは書いていた。
あとで正夫さんからもメールが来て、妻がメールをしたようでと書いてあったのでこのことは知っているのだろう。私はその頃、ブログに「怒りの感情」について書いたが、それは正夫さんのことが頭にあったからだ。