以下は、お母さんたちから寄せられた、「教師の発言集」です。

 読んでいると、先生たちが「薬物に依存」している姿が浮かび上がってきます。

 教室運営をうまく運びたいために、教師から見て好ましくない行為・行動をする児童・生徒には薬を使う。

そのことに対する罪悪感のようなものはうかがえません。むしろ、そういう状態の子どもに薬を使うのは当然だといった雰囲気です。

多動の子は薬でコントロールすればいい。風邪をひいたら薬を飲むではないか、それと同じこと。今の時代「いい薬」があるのだから。

 子どもに薬を飲ませることへの「抵抗感」はもはや昔の話のようです。世の流れは、安易な「薬物指向」であり、それを当然ととらえる風潮は空恐ろしくさえあります。

 子どもへの向精神薬の長期投与に関して、その安全性は確立していないのです。

 にもかかわらず、服薬の後押しをするのが、児童・生徒を守るべき教師であるという現実。

 向精神薬、子どもが飲み続けたら、どうなるのか?

 いまはその人体実験の最中です。

 

 

「お母さん、薬飲ませてないんですか? 飲ませたほうが本人が楽ですよ」

 

(副作用が気になり、薬をやめたいと担任に申し出たら)

「薬を飲んで落ち着いているようなので、このまま服薬を続けてください」

 

(薬をやめたと伝えると)「なんでやめたんですか?」と責められた。

 

「お母さん、こんなお子さんの状態が、いじめを誘発するんですよ」(いじめられたくなかったら、薬を飲んだ方がいいですよ)

 

「クラスのみんなに嫌われちゃうから、薬を飲みなさい」

 

「いい子になるための薬だから、飲んがほうがいい」

 

 不登校の中学女子。担任から母親に市内にある心療内科、精神科クリニック、病院の一覧表を手渡され、「これのうちのどれかを受診してはどうか」と提案される。

 

 支援級の担任がクリニックへの同行を申し出て、医師が学校での様子を担任に尋ねると、担任曰く。「薬が半錠から1錠に増えましたが、まったく変わりません」

医師「どんな状態までもっていきたいですか?」

教師「まわりに影響されず、授業中も静かに受けれるまで子どもを仕上げたいですね」

 

薬の副作用がひどくコンサータをやめたところ、担任から、「課題が終わらない。やろうとしない。話を聞いていない。おしゃべりがひどい。字が汚すぎて読めない」と言われた。本人が困っていなくても周りに迷惑をかけていると思い、母親の判断でコンサータ少量を再服薬。さらにストラテラの服薬も始めた。母親としては、学校に通う以上、自分さえよければそれでよいというわけにはいかない。クラスの他の子に迷惑をかけるのは困る。だから、薬を飲ませている。

 

担当医は服薬の必要なしと言っている。親も飲ませたくない。それを伝えているにもかかわらず、担任から電話がたびたびあり、服薬を提案される。

 

毎日のように担任から「~君が脱走しました」「友達を殴りました」と電話がかかってきて、その際、服薬を提案される。

 

あるスクールソーシャルワーカーは250人の子どもを担当。教室の後ろにいて「あ、あの子ADHD。じゃあ、ドクターに紹介状を書きます」で終わり。(だから、250人もの子どもを担当できるわけだ)

 

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