向精神薬の減・断薬の世界で、思わぬ方向(いや、大いにありうる?)に事態が展開する場合があることを知りました。

断薬した人は、えらい?

断薬できない人は、根性なし?

ちまちま減薬するのは、考えもの?

一気にやるほうが、勇者?

 

減・断薬はそれこそつらくて、人生そのものを破壊しそうな出来事ですから、それを乗り越えた人は、それを一つの自信として生きていくことは大いにあり得ることですが、それが「えらい」ことなのかどうかは、また別の問題です。

「あなた」にはできたけど、できない人もいる、というだけのこと。減・断薬には、人それぞれの考え、やり方というものもあるはずで、自分の価値観を押し付ける(だけでなく、できない人間をダメと決めつける)のは考えものです。

 

ある女性の体験談ですが、減・断薬に際して、ネットで情報を仕入れ、そうした過程で同じく減・断薬をしている人たちのグループと知り合いました。

そして、グループの人から「減・断薬」の圧力を受けたのです。「いつまでちまちまやってるの?」と。「そんなやり方では断薬なんてとても無理」と。

その言葉を真に受けた彼女は、それから、自身の体調を無視した早いペースで減薬を進め、なんとか断薬までこぎつけました。飲んでいたのは、デパスとパキシル。

そして、今、ほとんど寝たきりのような状態です。

私にしょっちゅう、「薬を飲んでいたときは、元気だった」「私、元に戻るのでしょうか?」とメールが来ます。

減・断薬したことをとても後悔しているようです。

しかし、一方で、デパスとパキシルを一生飲むわけにもいかないでしょう(長期に服薬すれば、常用量離脱を起こすでしょうし、パキシルの副作用も相当面倒です)。としたら、いつかは減薬に向かうしかないわけですが、ではそれはいつなのか。そして、どういう方法で減らしていくのか。

速いペースにしろ、ゆっくりしたペースにしろ、要は自分で決める(医療関係者に相談しながらでも、結局は自分の体と相談しながらになるはず)、それが減・断薬ではとても重要なことなのだと思います。

周囲の意見に流されて、速いペースで減薬を行い、それによって出てきた離脱症状に耐えるのは、至難の業です。なぜなら、それはいつも「誰かのせい」だからです。

そういう思いを抱いているのは、離脱症状にとってもあまりいいことではありません。その延長に、結局、後悔――「減らさなければよかった」「飲んでいたときのほうが元気だった」という思いが生まれてきます。

 

一方で、

断薬できない人の胸中には、断薬できた人への嫉妬の感情が渦巻いている場合もあるようです。

あの人にはできたのに、自分はいつまでたっても断薬できない。

その思いの先に、極端な例かもしれませんが、断薬できた人を貶めたいという思いが生まれてくることもあります。あんなに早いペースで断薬したから、離脱症状で少しおかしくなっている……とか、根性論を押し付けてくる……とか。

どちらもちょっと歪んでいますが、それは自分自身を失って、他者との比較でしか物事を見ない結果のことのようです。

 

さらに、

グループを作って、仲間内で減薬のアドバイスをしている場合もあるようです。微妙な量の減薬の行っている人に、わざと悪意あるアドバイスを行って、離脱症状へと突き落とし、その様子を陰で楽しんでいる……なんて、信じられないことも行われているそうです。あんな耳かきくらいの量で、体調が不安定になるわけない。症状を大げさに訴えているだけなんだと。

 

減薬の世界には、実にさまざまな人間模様、感情が渦巻いているものだと、知りました。

このほかにも、いろいろな感情、ケースがあることと思います。

同じ苦しみを持つ者同士……とは思いつつ、性悪説に従えば、こうした姿もあり得るのが人間なのかなと思いますが、少し寂しい気がします。