奇妙な精神科医が多い

 ともかく、この医師も前医同様(こちらはドクハラ)、かなりおかしな人間だったようです。Ⅿ子さんのメールを紹介します。

 

「ストラテラを処方した医師は(都内のメンタルクリニックM医師)、笑顔でとても優しい医師でしたが、診察のたびにおかしいのがわかりました。

はじめは、診察中に自分は癌になったと言いました。しかも男性器のです。大騒ぎして癌の検査に行っていました。

しばらくして、検査結果のことは何も言わずに元気でしたが、臨時休診が増え、突発性難聴になったと今度は言っていました。

その頃は、あきらかに患者の私より顔色も悪く、落ち着きがなく挙動不審だったし、言っていることが陰謀論みたいなことなのでちょっと不審に感じていました。

処方も毎回スーパーの袋にパンパンになるくらいでしたし、処方ミスも多かったので再び転院したい気持ちになりましたが、転院の面倒さを考えると二の足を踏んでいました。

ある日、診察に行くと医師の顔がどす黒くなっていて、パンパンのムーンフェイス。どうしたのか聞くと突発性難聴で、ステロイドを飲んだからだと答えました。

私にはこの医師が病んでいるようにしか見えなくなり、その後、やっぱり決心して転院しようと紹介状を書いてもらいましたが、中を開けて読むと、とんでもないことが書いてありました。

「中学生の時に、シンナーをやっていた」というのです。

そんなこと一言も言った覚えはないし、事実シンナーなどやったこともありません」

 

 そんな医師から逃れるように、Ⅿ子さんはストラテラを一気断薬し、リボトリールを1シート持たされて、紹介状をもらい、転院しました。

そこでは漢方薬が処方され(どんな薬だったかは記憶にない)、Ⅿ子さんは犬を飼っていたので「自宅入院」と言われ、「一週間に人と会うのは二人だけ」、「本当に必要な買い物以外、外出しないで安静にしていてください」と言われたと言います。

薬は漢方のみ。リボトリールは1シートしかなく、すぐになくなりました。

 当然、離脱症状が出てきます。

 

リボトリールの離脱症状で錯乱

じつは、このことがあった前年の2018年Ⅿ子さんは母親を亡くしています。独りぼっちになった後引っ越しをし、かなりのストレス状態でした。

引っ越し先の部屋に一人いるとものすごい淋しさを感じたと言います。また、ストラテラを処方したM医師への腹立たしさや、さまざまな感情が湧いてきました。

引っ越し先のアパートの部屋で一人、犬にごはんをやり、「自宅入院」という形で、ほとんど人にも会わずにいると淋しさがいや増しに増してきます。さらに、アパートの2階のⅯ子さんの部屋は階下が店舗(居酒屋)という環境のため、音がすごく気になるようになりました。聴覚過敏になっていたのです。

ある時部屋で寝ていると、一階の居酒屋から、女性の甲高い笑い声が聞こえてきて、眠れなくなり、Ⅿ子さんは錯乱しました。

このときのことをⅯ子さんははっきり覚えていませんが、ともかっく、自分で警察に電話をして、駆け付けた警察に対しても騒いで、結局、措置入院となりました。この時は、人生で初めて、幻聴、幻覚、妄想があったと言います。

 ストラテラの一気断薬、リボトリールの離脱症状、母の死、引っ越し……様々な要因が重なっての錯乱と思われます。

 

「もう、医者に治してもらおうとは思わない。自分で治す」

 入院中は再びリスパダール(何ミリかは不明)とリボトリール(2ミリ)が処方されました。

 入院中はともかく薬を飲んで、食べて、あとは寝ていたという記憶しかないとⅯ子さん。

 入院は1カ月半ほどで、医師からは予後がとても良いと言われ、幻聴、幻覚、妄想、不安感もなく、すっきりした気分だったそうです。

 医師の診断は「非定型精神疾患」。

しかし、この曖昧な病名を聞いたとき、Ⅿ子さんはこう思ったと言います。

「もう、医者に治してもらおうとは思わない。自分で治す」

この担当医と話したのは1カ月半の入院期間中にほんの数回。自分のヒストリーも知らないのに、どうして病気のことがわかるのか? と感じたからです。

 

 実は、このとき飼っていた愛犬を、Ⅿ子さんの入院に伴って行政が連れて行ってしまいました。退院後、Ⅿ子さんが犬を返してほしいと懇願しても取り合ってもらえませんでした。法テラスや弁護士相談にも行きましたが、まったく応じてくれず。

行政からは、担当者が移動になったからわからないとうやむやにされ、ただ一通の通知……「愛犬の所有権を放棄します」という同意書にⅯ子さんのサインらしきものがある書類のコピーだけが届きました。

入院中朦朧としているときにサインしたものか、Ⅿ子さんには記憶がありません。

 

結局、退院してもペットロス状態で、毎晩泣いて過ごしました。悲しいやら、罪悪感やら、後悔やら……。

「今でも、思い出すと犬のことでは涙が出てきます。これは、一生抱えていくことかと思っています」とⅯ子さん。

 

ただ、この入院でラッキーだったのは、担当医がリスパダール(因縁のリスパダールだったが)とベンザリン(リボトリールから変更)の2種類だけを処方し、多剤にならなかったこと。

 

減・断薬へ

 退院後は別のクリニックに通院し、その医師に相談しながら、薬の調整を行うことになりました。

因縁のリスパダールはやはりある程度飲んだところで、以前のように過鎮静になり始めたので、医師に相談しルーランに変えてもらい、昼間はエビリファイ6ミリ、夜はルーラン4ミリで維持量となりました。

その他、シクレストを試したりしましたが、眠気が強く(そのおかげでベンザリンは断薬)、全身がムズムズする副作用が出たのでシクレストは中止。

その後エビリファイもやめましたが、体調に変化はなく、最終的には、ルーラン4ミリになりました。

しかし、そのルーランも昨年の11月から自己判断で減らしていき(1日おきにしたり、2日おきにしたり)、現在はルーランも断薬していると言います。

まだ、断薬1カ月なので何とも言えませんが、今は眠れる、食べれる、精神的に不安定になることもないそうです。

「ただ、離脱症状的なものは、肩こり、首、腰の痛みがよくあります。それで、整形外科に行って、トリガーポイント注射(プラセンタ)をしているのですが、離脱症状をかなり減らしてもらえているようです」とⅯ子さん。

そして、薬を飲まなくなったので、現在は通院もやめています。

精神科卒業。

ただ、以前、通院をやめたとき、クリニックが追ってきました。が、今のところ、今のクリニックはそうした動きもないようです。

以下、Ⅿ子さんからのメールです。

 

「私自身が、医師や病院に依存的だったことが、こんな人生の始まりと思っています。今は、薬なしで毎日一万歩近く歩き、元気に過ごせています。

多少、眠れてない日や体調がすぐれない日もありますが、100%体調がいいということは、誰にでもないのだと思うようにしています。

私は、両親も亡くなりましたので、1人です。自分の事は自分で管理していかなくてはなりません。倒れたら、誰も面倒見てくれないからという自覚でいますので、疲れたら休むということも、あえて心がけております。

この先、また体調を崩すことがあるかもしれません。生身の身体ですから。そうなったとしても自分の身体を治すのは自分だ、何を選択するのがよいかよく見極めていけるようにしたいと思っています。まだ完全断薬して1ヶ月なので、何かあるかもしれないですしね。

 

 それから、一年前に、新たに犬を飼い始めてから私は劇的に元気になっています。規則正しい生活を余儀なくすることになりましたし、犬に食べさせる為に自分も食べますし、歩きますし、何より唯一の家族ですから、寂しさも埋まりました。

体調がよかろうが、悪かろうがしなければならない事があるのが、とても良い方向に向かったんだと思います。

今でも、連れ去られた愛犬の事は思い出すと涙が出てきますし、幸せを願うしかできませんが、それでも今は新しい犬が来て幸せです。張り合いもあります。

 

今は、しばらく体調の様子を見て、再度 職業訓練に行き、なにか家でできる仕事を身に着けようかと考えています。年齢的に勤めに出るのは、探してもなかなか見つからないような気もします。

もう結構な年齢になってしまいましたが、生きていくしかないですし、何より今飼っている犬を大事に守っていかねばなりません。

 ひとつだけ最後に言いたいのは、自立支援という言葉についてです。

なにが自立なんだろうか?

自立支援で薬の負担が少なくなっても、自立どころか、人生を破壊するような支援だなあと常々思っています。

自立のために支援することって他にもたくさんあるんじゃないかと思います。

それでも、そういう網の目をくぐってでも私も再起していかねばなりません。

希望を捨てずに、人生をやり直していきたいと思っています。

 最後にこんな人生を送ってしまいましたが、後悔せず、意味のあるものにして行く生き方をこれから先していけたらと思います。

 最後まで読んでいただき感謝です。

こうして、こんな悔しい思いや腹立たしい理不尽な出来事を、読んでくれる人がいるだけで報われます。Ⅿ子」