精神医療について調べ始めてだいぶ経つが、その内実を知れば知るほど、精神医療が提供する「治療」と、患者側が求める「治療」が大きく乖離していることに気づかされる。

 そもそも精神医療が提供できる「治療」とは薬物治療であり、患者が求めているのは「つらい症状の消失」であるが、向精神薬は「つらい症状の消失」にあまり寄与しない。

 にもかかわらず、精神科、ことに街角クリニックにおいて積極的に薬物治療が行われ続けている(それどころか、ますます盛んになっている)のは、なぜなのだろう。

 ある精神科医のブログを読んでいたら、次のような言葉があった。

 

「今の多剤大量処方の背景には、生活習慣を改めることなく、薬で治りたい患者のニーズと、忙しいため診療時間を短くしたい医者のニーズ、利益を上げたい製薬会社の宣伝活動がある。」

 

 確かにそうかもしれないが、気になる点もある。

「薬で治りたい患者のニーズ」というが、そもそもの話、「薬で治る」と言い始めたのは製薬会社であり、それに乗っかった精神科医ではなかったか。

 現在では製薬会社の喧伝の成果として「精神科=薬物治療」が浸透し、結果、「薬で治りたい患者」は増えているとは思うが、それも医師が薬を処方しない限り、患者は「薬で治りたい」と思っても、薬を手にするのは不可能だ。

 その向精神薬の正体はいかなるものなのか。神経伝達物質を増やしたり減らしたりする(だけの)作用を持つのが向精神薬である。仮説のうえの仮説で作られた薬であるから、その薬物治療が「適切」である場合は、そう多くはない。ということは、不適切な薬物治療が多々あり、その結果、患者が求める「つらい症状の消失」どころか、「さらにつらい症状」がもたらされるケースも多い。

 

 街角クリニックにおいて(安易な)薬物治療が行われ、それによって「被害」を受けた人の話を聞いていると、不適切な薬物治療の根底には、薬物治療に依存する精神科医の存在と、それゆえに、医師が患者の「生活習慣」に対する視点を持たず、のみならず、その人の背景にに踏み込もうとしない。

 医師に言わせれば、そんなのは「精神科」の仕事ではない、のかもしれない。

 しかし、その視点なくして、患者の改善はあり得ないと思うし、その視点に「薬物」は無力である。

 だから、精神医療と患者との間には、深くて暗い溝がある。

 

 以前、ある女性の体験者に聞いた話。

 元々、言いたいことが言えずに胸にため込みやすい性格だった。夫への不満、姑への不満、いろいろあったが、誰にも言うことができなかった。それが原因かどうかはわからないが鬱的になり、精神科を受診した。ときあたかも「うつ病キャンペーン」真っ盛りの頃。精神科受診にあまり迷いはなかった。

 医師に家のことなど洗いざらい話したら、気分すっきり。

 本人にしてみれば、それで十分だった。

 しかし、医師にしてみれば、それはほんの入り口にすぎず、本格的な治療は「薬物治療」。

 抗うつ薬やらベンゾやらが多剤大量に処方された。今では多少、処方に制限が設けられているが、当時はもう「薬はいいもの」という認識の中、医師は信じられないような、まさに殺人的な処方を行った。

 生真面目な性格ゆえ(学校の先生だった)、出された薬は全部飲んだ。それでよくなると信じて疑わなかった。

 そうして飲み続けていたある日のこと、八百屋で買い物をしようとしたら、ほしい野菜が置いてなかった。店の人に思い切り文句を言った。大きな声で罵詈雑言。こんなことは、これまでに一度もなかったが、言いたいことを言えなかった自分がこうまではっきり不満を口にできたことを彼女は喜んだ。「病気がよくなっている」と思い込んだ。それでますます薬をしっかり飲むようになった。

 結果的に、抗精神病薬まで処方されるようになり、精神科病院にも3度ほど入院(医療保護入院)した。私にも、おかしな文章の分厚い手紙を何度か送ってきた。どう読んでも、へんな文章だった。

 

 たぶん、彼女に薬は必要なかったのだろうと思う。彼女に必要だったのは「精神科(の薬)」ではなく、腹を割って話せる相手だった。夫への不満、姑の理不尽さ、それを解決できるのは決して精神科の薬ではない。

 こう書くと当たり前のように思われるかもしれないが、案外、精神科を受診する理由は、この彼女と同じような人が多い。

 精神科はよろず相談所ではない。人生相談のできるところでもない。あなたが抱えている問題を解決してくれるところでもない。ただ、出ている症状をうまくすれば少しだけ軽くしてくれる、それだけのところだ。

 医師は「症状」を見るが、私たち(あるいは親)が見つめるべきは「症状」ではなく、「環境」なのだろうと思う。変えるべきは「症状」ではなく、「環境」であり、受け止め方、考え方であり、自分自身を見直し、親子関係等々を見直すこと。そして、時には一種の行動が必要になってくることもあるだろう。

 こう考えてくると、これはもう精神科が扱う問題ではない。にもかかわらず、あの「うつ病キャンペーン」以来、精神科はこの分野に足を踏み入れてきた。

 我々が解決してあげる、と。

 そして、ご親切にも、多くの機会が、そこへつながるように手練手管の限りを尽くしている。産業医、保健所、学校、スクールカウンセラー、広告、報道、書籍、その他諸々。

 それが現在に至るまでの精神科の被害の土台となっている。

  

「そうはいっても、調子の悪い患者に薬を出さず、帰してばかりでは診療が成り立たない」と上記の医師は書いている。

 この矛盾が、精神科(特にうつ病キャンペーン以降乱立した街角クリニック)が内包する矛盾をよく言い表している。そして、この矛盾が本当の意味での解決を見いだすことを阻害し、結果、被害の温床となっている。そのことにどれほどの医師が気づいているだろうか。