精神科に長期入院されているごきょうだいをもつ女性から以下のようなメールをいただきました。

 この方とは以前からメールのやり取りをしていましたが、当事者家族として避けられない問題に直面し、しかし、同じ問題を抱えている人たちとの接点もなく、孤立感を強めています。

 きょうだい間もそうですが、お子さんの問題を抱えた親御さんにも通じるものがあるでしょう。「将来、この子(人)の面倒を、誰がみるのか」……。

 以下、メールを紹介します。

 

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 同級生との関係に悩んでいた18歳の弟は、親からも突き放されて自暴自棄になってしまい、反抗的だからと精神科に強制入院させられました。以来、親の都合に合わせて生活や入退院すべてを管理されてきました。

  入院しても間を置かず退院を勧められます。けれども、徹底した隔離と監視を望む母が、頑として退院を拒否してきたのです。

 

  長い間きびしい態度を変えなかった母ですが、先日認知症と診断され介護の問題とも向き合うことになりました。

  一番の懸念は、親が亡くなったあとの弟のサポートについてです。

親は長男の兄にすべて任せていると言うけれど、兄は十年近く弟とは会っておらず、成人した兄の子どもは、入院している叔父がいることには気づいているけれど、あまり口にしてはいけない雰囲気を察しているようです。

  今までは遠ざけられてきた私が主体となって関わらざるを得なくなる日が来るかもしれません。

 

  弟が病気になったと聞かされてからは、家族が協力して医療ばかりに頼らないサポート体制をつくることを望んできました。それゆえ母にうとまれ、嫁に出たものは口を出すなと拒絶されるようになりました。

 

  母は異様なほど子供を監視してきました。

机の引き出しをあさったり、日記を盗み読んだり、外出を制限したり、友人関係を詮索したり。そんな母に私たちは二人して反感を持っており、弟は小学生のころから授業参観も体育大会も「お母さんじゃなくてお姉ちゃんに来てほしい」と頼んでくるくらいでした。

だからこそ母は、私と弟を断絶させたのでしょう。私が勝手に弟を助け出さないように。

 

 スポーツが得意で穏やかな性格、スポーツインストラクターの仕事につくのが夢だった弟の人生は18歳で閉ざされてしまいました。弟にスキーを教えてもらってから私はターンがうまくできるようになりました。大学に着ていく服を買いに行くからつきあってと頼まれ二人で古着屋めぐりをしたり、ガールフレンドの話を聞いたりもしました。

 

  弟が暮らす閉鎖病棟の大部屋を見たことがあります。清潔とは言いがたく、一人きりになれる場所はどこにもなく、ただ生きるためだけの最低限の生活。

  親の一存で何十年も入院させられたまま、週末の自宅への外泊だけを楽しみにしていたのに、いつの間にかそれすらも拒否されるようになり、「家に帰りたい」「退院したい」と口にすることもなくなりました。

なぜ、このような非道がまかり通っているのか。

 

  長年の服薬で内臓も弱ってきており、身体的な問題が出てきました。そんな弟を支える側には以前にも増して体力と気力が必要になっていくというのに、私は年々衰えていきます。

父母が世話をしてきた弟は若く、生活習慣病とは無縁で、身体障害者になる恐れなどなかったことでしょうけれど。

  人生のほとんどを奪われ、取り返しがつかなくなったあとの弟を、私ひとりが、嫌な言葉ですが「押し付けられてしまう」形になるとしたら、それにも理不尽さを感じます。

早くから関わらせてくれていれば、受け入れる環境を、時間をかけて準備することができたのにと思います。弟がもう少し健康な状態のときに引き受けていれば、社会の中で人生を楽しめる選択肢がもっとあったかもしれないと悔やまれます。

 

  私自身が幼いころから母とはよい関係ではありませんでした。今も、できることなら実家とは距離を取っていたい気持ちと、弟の環境に目配りするためにも実家への支援や働きかけをやめずにがんばろうと思う気持ちがせめぎあっています。

 

  コロナのために面会・外出制限が続き、先日二年ぶりにようやく会食をすることができましたが、弟には拘禁反応の症状が強く出ていました。表情も体の動きも固まってしまい、反応が乏しく、もしかしたら強い鎮静剤の処方がなされているのではと心配になるほどでした。

二年前はとつとつとではあっても会話のキャッチボールができていたというのに。

週に一度は外に連れ出して、一緒にいろいろな所へ行こうと決意をあらたにした矢先、またもや外出制限が出されました。

 

  弟は病気ではないとずっと信じています。親にだまされて、大勢で寄ってたかって力ずくで入院させられるなどという想像を絶する体験をすれば、誰でも平静さを失うことでしょう。そこへ鎮静剤の大量投与をしたことで、脳に大きな損傷を与えたかもしれません。あるいは、治療の副作用や拘禁反応を症状の悪化とみなされて大量処方となり、人としての尊厳を奪われた暮らしを強要され、壊されていってしまったに違いないのです。

許せない。

怒りを原動力に、希望を捨てずに退院の道を探ってきた私ですが、少し疲れてしまいました。

 

 認知症の影響もあるのか、ますますわがままになった母の姿を見て、また、どんな時でも母ばかりをかばう父や兄を見て、気力がわかなくなってきました。

現在、父は母を買い物やウォーキングに連れ出してはリハビリに励んでいます。いつも母を最優先にして、弟の自由と幸せは後回しにして、何が起こっても必ず立ち直ってきた両親を見ていると、私のほうが参ってしまいます。

 

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