アスペルガーピアニスト・もこのブログ

アスペルガーピアニスト・もこのブログ

★もと、 宇宙人ピアニストもこ です。

  先天性の脳の発達障害、アスペルガー症候群です。

  0歳から48歳までの自伝を書きました。

  
★動画は、「アスペルガーなピアノ自作曲」でネット検索してね。

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はじめて読む方へ……



★このブログは、アスペルガー症候群の私の、
 0歳から48歳までの自伝です。


 初めての方は、このひとつ前のページが、
 自伝の1ページ目になります。

 1冊の本と思って下さいませ。




★ふだん考えていることは、もう1つのブログ↓

  http://ameblo.jp/momoko3momoko



なお、コメント設定してませんので、何かありましたらメッセージでお気軽にどうぞ。




アスペルガーもこ。



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「私の宇宙人歴」
           アスペルガー自伝




       2歳ごろのワタシ




このブログは、
アスペルガー症候群の私が、
0歳から48歳まで、
どんなふうに生きてきたかを描いた、自伝です。


一般のブログの順と違って、
このページが最後じゃなくて最初です。


本みたいに、ここが1ページ目ですので、この順にだんだん後へ読んでいって下さいませ。








もこの、宇宙人歴……。      


小さい頃の様子、       


人間関係に悩んだ少女時代、  


引きこもり、         


仕事を転々とした社会生活、  


まさか?の結婚、       



そして現在なんとか社会生活できる状態に至るまで……。       



           




まず、周辺の宇宙人的?環境から。              






●もこ一族の謎        




両親は、未診断だけれど、発達障がいに似た症状が昔からあった。         

          


 父親 対人関係が苦手
    突然、怒りだす
    人の気持ちが理解できない
    マイペース     
    常識はずれ、興味の偏り


 母親 社会性に欠け、空気が読めない
    時間の感覚がない
    物をためこむ    
    落ち着きがなく、突発的行動
    感覚過敏、被害妄想


 兄  子供のころ多動ぎみ
    運動が極端に苦手
    ヒラメキ型
    感覚過敏            



父親の先祖は学者、医者、薬業の血筋。               


親戚に、精神病者や自殺者が多かったと聞いている。       


両親とも社会生活が苦手で、人の気持ちが把握できず、集団の空気が読めず、職場を転々とした末、自営業に落ち着いた経歴を持つ。





●寝る子は育つ?赤ん坊時代  


もこは、産まれる前から、変わった子供だったらしい。          


母親のお腹の中では、ほとんど動かず、もしかしたら死産ではないか?と心配されたほど。      


しかしなんとか、無事にめでたく生まれまして……。        





母親が            

  「もこちゃん、あばばぁ」    



今度はお兄ちゃんが、     

  「もこちゃん、いないいない、ばぁ!」             


とあやしたり、笑いかけたりしたが、もこは全く反応なし。       




     ???


  知 ら ん 顔。... .





本人としては……

何でいろんな人達から「バァ~」と言われなければならないのか?

一体こういう大人に対して、どうリアクションをとったらいいのか?

たぶん考えあぐねていたのだろうと推察される。




で、考えあぐねているうちに、みんな馬鹿らしくなったのか、反応がないから飽きてきたのか……


そのうち、誰も「バァ」をやらなくなってしまったようなので、まぁ、静かになったことだし、安心して一日中グウグウ寝ることにした。



母親いわく、

「お腹の中にいた時から大暴れしたお兄ちゃんとは大違いで、もこはよく寝て、手がかからへん子やった。

全然おもしろくない子やったけど」     





●宇宙語炸裂?二歳、三歳頃  





二歳ぐらいまでの間に、言葉が増えていったが、母親の話では、  



「一体、何をゴニョゴニョしゃべっているのか、さっぱりわからなかった。会話にならなかった」   


という。           




二歳、三歳頃は、テープレコーダーに凝っていて、自分でしゃべって録音し自分で聞いて面白がっていた。


のちに四歳頃になって、当時の録音を再生して聞いてみたのだが、(何か歌のようなものも入ってるようだったが…)、      


 やはり、自分でも、......
  さっぱり?.........

  わからなかった。......






(4歳ごろに書いていた絵。

オバケのQ太郎が好きだった。
突き出ている棒は、
この頃に流行っていたマジックハンド。)





もこは、あまり親になつくタイプではなく、絵を描くのが好きだった。

部屋いっぱいの大きな紙とクレヨンを渡しておくと、一人でゴニョゴニョしゃべりながら、一日中でも絵を書いていたという。        


なぜ、部屋いっぱいの紙じゃないとダメかというと、
そうしないと、絵の続きということで、
テーブルでも壁でも、どんどん書いてしまうからだという。      




(3~4歳ごろに書いていた文字。

平仮名は理解できたが、その他に、
未知の文字を創作して、
デタラメの宇宙語?を、
部屋の壁などに延々と書いていた。)








二歳の頃に不可解な習性が発覚した。              


家の前がバス通りだったのだが、道路の真ん中までスタスタ歩いていき、ドッコイショ、と座りこんで、バスを止める。      



  母「これ~! あの子わいな…」



  父「危ないやないか! 

  ちゃんと見とかんかいや。」




母親が、あわてて家から飛び出して私をダッコし、家に連れ戻そうとした。            


普通の子供なら、道の真ん中で、車のクラクションに囲まれたら泣くはずだが、
私は、母親が連れ戻しに来た時に嫌がって泣いた。


その後も、母親の目を盗んで、
たびたび、バスを止める遊びにふけった。             

そんなことが何度もあったので、
もこ家の前では、どの車も、のろのろ、
徐行運転となった。     


もことしては、
おばぁちゃんの家に、あのバスに乗って行くんだと、意思表示をしたつもりだったが。






●受難の幼稚園時代      




もこが通っていた幼稚園



四歳の頃、もこが絵を好きだと思った母親が、絵画教室に通わせようとした。            


しっかし、二人で近所の絵画教室に「入りたい」と挨拶にいって、何日かたって、母親が、     





「もしもし、絵の教室ですか? 

  何曜でしたっけ?  あ、金曜ね」  




 で、金曜が過ぎると、     



「あ、忘れとったなぁ。まぁ、来月から行こか」         



で、次の月になると、     



 「もしもし、何曜日でしたっけ? 

  あ、金曜。 そぅでしたね!」   




で、またまた金曜の晩御飯の時、





 「あ! もこちゃん、絵の教室、

  忘れとったなぁ。 もぅえっか~!」





とまぁ、母親が曜日や時間をたびたび忘れてしまうので、
結局、一回も絵の教室には行かないで終わってしまった。        




(↑絵か音楽か、
ズボラの母親のおかげで、
ここが、人生の別れ道となった)           




幼稚園の朝礼のようす




幼稚園の中にピアノ教室があり通い始めた。          


今度は、母親をあてにしなくても、
担任の先生がつれていってくれる。


が、バイエルが面白くなかったので、だんだん行かなくなり、
一年足らずで、やめてしまった。   





(↑またもや人生の別れ道、危うし。)             




しかし、家ではおもちゃのピアノで、
「ヒミツのアッコちゃん」や「クシコスポスト」等を、
聴き覚えで、人さし指で弾いていた。.




(↑四歳にして、芸術とは楽しむものであり
習うものではないことを悟るに至った)       






幼稚園に入る前には、だいたいの平仮名や片仮名の読み書きができた。              


友達の持ち物に書いてある名前などから漢字に興味を持った。  


「塩」という字をじっと見て、暗記して帰ってきて母親の前で書いてみせ、「これ何?」と読み方を聞いたりした。        


家では少しはしゃべったが、今日あったことを母親に聞かれて、しゃべるのが、面倒くさかった。  


近所の子供とはよく遊んだし、しゃべったが、ほとんどが年下だった。かくれんぼや電車ごっこをした。             

幼稚園ではほとんどしゃべらなかった。


周りの会話は理解できたし、今でも内容を覚えているが、自分が何をいつしゃべったらいいのかが、わからなかった。       




(↑解説:アスペルガーは同年代と気が合わないというケースは多い)              




私が少しでもしゃべると、   



「わ! ちょっとこの子、しゃべれるの???」        




と、みんなにびっくりされ、クラスの子が集まって来たりした。  





「ねぇ、もっかいしゃべってみてよ」





と詰め寄られて、そんなにびっくりされたら、どうリアクションとっていいか、こっちもわからないので、こりゃ、しゃべらない方が無難だと思い、ますますしゃべらなくなった。





休み時間は、自由帳にサリーちゃんの絵を毎日描いた。      




「あれ? なんか、サリーちゃんばっかりじゃない?」     



とクラスメイトが言うので、少しムッとしたが、構わず毎日サリーちゃんを描いた。







お弁当の中身は、毎日「たまごサンド」。



(卒業アルバムより。)




他のおかずは、どうしても食べれず、残してしまう。

残すと、全部食べてしまうまで、家に帰してくれない幼稚園だった。     






幼稚園の帰りは、オモラシしながら帰ってくることがしょっ中だった。





 原因があった。       



 水が極端に怖かった。     



水洗トイレのジャーという音がこわいので、幼稚園では、がまんをしていたのだ。



(当時、我が家は、昔ながらのポットン便所)




顔を洗うとか歯を研くとか風呂に入るとか、なにせ水に触るのが嫌いだった。           




(↑解説:発達障がいには、場合によっては、極端に何かに対して反応する「感覚過敏」というものが現れたりすることがある。母親も兄も同じものがあった)




それにやっと気づいた幼稚園の担任が、一緒にトイレに行ってくれて、入って二番目のトイレの戸をあけ、一緒に足をレバーにかけて





「先生の足の上に、もこちゃんの足を、ちょんと乗せてごらん~」





と言うので(まだ、怖い、怖い、と、ベソかいてボヤきながらも)

ちょんと足を乗せてみた。   






(ジャ~~~)        





「ほら、怖くないでしょ?」   



と、のたまった。       





もこ「………」        





それ以来、もこは、トイレに行きたくなったら、         



トイレに入って、入口から「二番目」の戸を開け、レバーを踏む時は目をつむって、流せるようになった。





(しかし、三番目とか、

 他のトイレは、ダメだったようで~w)  












★もこのニャンコ歴



赤ん坊の時から、あやしても笑わない、親が呼んでも反応がない、「何を考えているのか、さっぱりわからん子」だった、もこ。






2歳から3歳ぐらいの頃に、ヨチヨチと家の前の道路に歩いていき、ペタッと道の真ん中に座り込むクセがあった。


もこが道に座ってしまうのには理由があった。

バスに乗って、婆ちゃんの家に行きたいのだった。


婆ちゃんの家は、庭も広くて、もこが大好きなカマキリもいるし、ニャンコもいるのだった。






 婆「よう来たなあ…。」



もこは、たまに母ちゃんに連れられて、1時間かけてお婆ちゃんちに行った。



婆ちゃんと、もこ。



もこは電車が好きだったが、このころ、煙をはく汽車ポッポがまだ走っていた。



お婆ちゃんは、庭からカボチャを採ってきて調理したりしていた。

台所に立つお婆ちゃんの足下には、1匹の白黒ネコの「ミイコ」がいて、何かオカズをもらおうとして、ひっきりなしにニャーニャー鳴いている。




 婆「シッ! どかんかいな。これっ!」



婆ちゃんは、あんまり猫は好きではないのだった。


もこは、時々、猫に手を出してみるのだが、気性が激しい猫なので、こちらの手の出し方が気に入らないと、爪で引っかいてくるのだった。


もこは、何回かミイコにチョッカイを出してみて、どうやら背中とシッポは触らない方がいいらしいと理解した。


ミイコの喉をナデナデすると、ごろごろといって目を細めてきた。



 もこ「……。」



もこは、婆ちゃんが猫ぎらいなんだったら、猫を連れて帰りたいなと思った。




 もこ「……いてっ!」



 婆「オットシイ!」
     (びっくりした時の、兵庫の方言)



無理にダッコしようとしたら、暴れて引っかいてくるのだった。




 もこ「…………(あかんなあ)。」



 母「もこちゃん、帰るで…。父ちゃん、待っとるし。」




もこは、あきらめて帰るしかなかった。

せめて、カマキリだけでも1匹、連れて帰りたいのだった。

あの、3角形の顔の、何とも言えないコッケイな表情を見ていると、愉快になってくるのだった。




母「もう~! そんなもん、捨てとき。」



せっかく、ちっちゃいカマキリを手のひらに乗っけて持って帰ろうとしたのに、無理だった。






小学校に入った頃…

もこの住んでいた家には、父ちゃんが小さい庭に池を作っていて、池には鯉やカエルがいた。

池を作ってからは、よく、のら猫が鯉を狙って入ってくるようになった。
庭に入ってくる猫を、父ちゃんは嫌いなのだった。




 父「おい、行ってくるぞ。」


 母「どこ行くん?」


 父「墓園や。」




父ちゃんは、よく、のら猫をつかまえて段ボールに入れて自転車に積み、遠い墓園のある原っぱに、猫を捨てに行っていた。

二度と家の池に近づけないためだった。



 もこ「……」




もこは、自転車に乗った箱を、じっと見ていた。
箱は、ガタゴト音をたてている。

猫は、箱のスキマから、前足の爪を出そうと、一生懸命、ガリガリやっているみたいだった。



だけど、こうやって捨てに行っても、また戻ってきてしまう猫もいた。


茶色くて、模様もキチャナい、父ちゃんから「トラジ」とアダ名された、やんちゃな猫だった。





もこが小学校2年ぐらいの時だった。

この猫が、また戻ってきて、庭の物置小屋の隅で、子猫を何匹か産んだらしかった。


その中に、白黒の猫がいた。
婆ちゃんちのミイコと、よく似ていた。




 もこ「……ミイコや。ミイコがおる」




もこは、少し大きくなって近所をチョロチョロ歩いている白黒ネコが気になっていた。

なんとか、父ちゃんに気付かれないで、猫とお友達になるには、どうしたらいいんだろう?と考えた。




つづく










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